それとすむもの 8
籠ノ目、籠ノ目
籠の中のあなたは、いつまでも囚われたまま
見慣れた景色、目新しさの無い街、勝手知ったる友人と血の通った家族。
近くにいる時は飽きを感じ距離を取りたいと思うが、いざ離れるとかけがえのないものと気付く……そんな存在。誰にだって心当たりの一つや二つぐらいあるだろ?オレも例外ではない……ただ、その全てが全て、離れて初めて気付くものであり、ようやく理解出来るもの。
――残念ながら、オレも例外ではなかっただけの話。
「いやー、初めて入ったお店だったけど案外良かったねー!」
「そうね、料理の割に値段も安めで家計に優しいわね」
「……」
家族の団欒――モールにある中華料理店で食事後、三人でダラダラと歩いている。
「アキ!どこ寄りたい?」
「……答えても、どうせ移動中に見つけた店が気になって急に予定変更するんだろ?」
「正解ー!流石は私の弟様だ!」
「はぁ……好きにしろよ」
「あんたたち仲良いわねー」
このやり取りのどこを見たらそう思える?
「あっ!あそこ良さそう!お母さん、行こう行こう!」
「はいはい、そんなに急いだってお店は逃げたりしませんよ」
「欲しかった商品が誰かの手に逃げるかもしれないじゃん!」
「二人で先行っててくれ、オレはトイレ寄ってから向かうよ」
気になったら止まれない、行くと決めたら是が非でも行く……暴走列車の如く、家族ヒエラルキー栄光の1位に君臨する我が姉は、今日も今日とて猪突で猛進だ。
「はいはーい!30秒で戻ってきてね!」
「分かったから迷子にならないでね?」
姉はいつものように無茶振り、母もいつものように童子扱い。家族ヒエラルキー最下位のオレの扱いは固定化されている。二人を見送りながら逆方向にあるパブリックトイレへと向かう。
――二人が向かった先に、"それ"がいるとも知らずに。
お手洗いを済ませ、二人の後を追うように指定の店へと足早に向かう。
「早く行かないと、またバカにされるな……」
休日なこともあってか、家族連れやカップル客が多い。迷惑にならないように早歩きで移動していると、少し離れた場所から誰かの悲鳴が響いてくる。
『きゃぁぁあああああ!!!』
その声で、僅かに足が止まる。現実味の無い悲鳴、悪夢から醒めたような気配、何かのスイッチが入ったような直感――寒気が全身を襲い、足がすくむ。
「なんだ……?」
咄嗟のことに状況が把握出来ない。周囲を見渡すと、悲鳴に気付かず楽しげな客もいれば、少し不穏な表情を示す客、野次馬根性で声のする方へ向かう客……その方向は。
「そっちには二人がいる……!」
心臓の跳ねる音が鮮明に聞こえる。得体の知れない緊張が身体を縛り付け思考を鈍らす。
「さっきの悲鳴も気になるが、それよりも……」
五感が悲鳴を上げている、全身から警報音が鳴り響いているようだ……
「ビビるなっ!行くぞ……!」
床に縫い付けられたように重い足をどうにか動かし、人目もくれず走り出す。
「二人とも大丈夫か……?」
ドクン、ドクン!と、心臓が大きく跳ねる。
人波を掻き分け、悲鳴の上がったであろう場所に辿り着くと……思考が理解を拒絶した。
「……」
そこにあったはずの店舗が、人の手では壊しようの無いコンクリートの壁や柱も、店内の陳列棚も客の気配も全て……文字通り"消えて"いた。
――その店は、母と姉が立ち寄った場所。
「えっ……」
まるで巨大なスプーンで空間ごと掬い取られたかのように、綺麗な曲線を描く"球形"の虚無が口を開いている――人だかりを出迎えるように、大きく、大きく。
「あっ、へ、はっ……?」
言葉にならない。
床や天井の断面に焦げ跡や破片も無く、余りにも滑らかに断絶されていた。
「母さん……」
その穴の向こう側、本来であれば厚い壁に遮られているはずの外の景色が、額縁に収まった絵画ように場違いに露出していた。
「姉さん……」
抉り取られた範囲に一切の未練は残されていない――そこにあるのは、消失と喪失の事実だけ。
「はぁ、はぁ……」
脳が処理を拒んでいる。身体が適応を拒んでいる。心が現実を拒んでいる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
周囲の喧騒とパニックを無視して、群衆一人一人の顔を必死になって確認していく。時には強い力で相手の服を掴むことも厭わない。他人のことなんてどうでも良い、無関係だ……今はただ、二人のことだけを考えろ!
「どこっ!どこに……?お、おい……!?」
オレの思い違いであって欲しい……只の勘違いであって欲しい……人混みからヒョコっと顔を覗かせて欲しい……姉の気紛れで、実は別の店舗に行っていたとか、どうだろう……?うん、なかなか有り得る可能性だ!あいつなら平然とやる、今にも目に浮かぶようだ!あぁ、このパターンは十分考えられる……ははっ、簡単な推理だよワトソン君……また姉にバカにされてしまうな。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
額に伝う現実が、視界を不自然に歪ませる。それを拭う暇は無い……何度も何度も何度も同じ場所を行ったり来たり、狂ったように周囲を見渡す。
「あぁ、あっ……はぁ……はぁ……」
肺が焼けるように熱い、荒い呼吸で喉の奥が次第に痛みを伴っていく。
「なっ、え、はぁ、かぁ……ん……ねえさ……」
心臓が人体を破壊せんと意思を持つかのような脈を打ち、指先の感覚が途切れ始め、思考が真っ白に凍えていく。
「ああ……」
否定が否定される。
「あああぁ……あぁ……」
拒否が拒否される。
「あぁ、あう……あああ……」
拒絶が拒絶され、現実に身を灼かれる。
「ああッ……あああああああッ……!!!」
魂の最奥から這い上がってきた怒号は叫びとなり、理性の崩壊を告げる獣の咆哮だけが虚無の穴へと轟く。
踏み躙られ千切れたレシートと、不恰好に転がる誰かの靴――どれだけ叫んでも何も答えない。
籠ノ目、籠ノ目
籠の中のあなたは、いつまでも囚われたまま?
次話は5/21 6:00投稿予定です。




