始まり5
「やはりそうでしたか……」
俺の呟きを聞き逃さなかった女性は小さくそう呟いて、それからまたにっこりと、人を惹きつける笑みを浮かべた。
「でも大丈夫です。このコロニーはあなたを歓迎します」
理解の範疇を超えると、人はどれほど大きな謎を前にしても疑問など抱かないらしい。
彼女の言葉を前にした時の俺の頭の中にあった素直な気持ちは、安心だった。
俺はあのエレベーターでここに来てしまった。突然銃を向けられたが、少なくとも今こうしてベッドに寝かされている体は五体満足のようだ。
そして、この世界の――というか、少なくとも目の前の女性は――俺をすぐにでも始末するというつもりはないようだ。
起き上がれますか――彼女のその言葉に、実際に上体を起こして答えると、どうやらどこかの民家にいるらしいという事が、その時初めて分かった。
フローリングの八畳程度の部屋。その片隅に置かれたベッドの上に俺は横になっていて、周りには“支給品”という言葉がぴったりな地味な家具類が並んでいる。
「貴方との意思疎通及び生活支援を円滑に行うため、医療用ナノマシンのネスト及びコミュニケーションデバイスを体内に取り付けさせていただきました」
さらりととんでもないことを言う。もし俺が特別に宗教とかやっている人間だったら体をいじられることにそれなり以上に色々制約があったと思われるが、この世界にはそうした諸々は存在しないのかもしれない。
宗教など関係なくとも、そうした正体不明の機械を体に埋め込まれたことに対する不安感は相当なもの――のはずなのだが、不思議とそうしたことへの意識が向かない。
それどころか、それらがそれぞれ体内に常駐することで24時間365日の健康管理や疾病の初期対応と必要な通報等を行う代物であるということと、自動翻訳機能を持ち、ある程度の感情コントロール、そしてそうしたこの世界の用語集のような役割を兼ねている機械であると、彼女の一言を聞いた瞬間に理解できている。
「管理本部に確認した所、所定の処置……つまり、医療用ナノマシンのネストとコミュニケーションデバイスの埋め込み手術を条件に許可がおりました。そして貴方は既にそのどちらも完了している。ようこそ、コロニーへ」
そう言って差し出された色白な手の細い指は、ひやりとした心地よい冷たさがあった。
「ご挨拶が遅れました。私は五百旗頭カンナと申します」
「あ……古賀雄一です」
フルネームを名乗るなど久しぶりだ。
雄一。嫌いな名前。雄弁の雄に一番の一。己の性格を考えれば質の悪い冗談。
「これからよろしくお願いしますね」
その嫌いな名前に、珍しい苗字のその女性はにっこりと笑ってそう言った。
その握手を合図にしたように、彼女はベッドわきに置かれた椅子から立ち上がると、背もたれに掛けてあったカーディガンをふわりと纏った。
「お体の具合がよろしければ、少し外に出てみませんか?この辺りをご案内します」
幸い、布団の下の足はちゃんと二本とも動くし、末端まで繋がっている。
言われた通りに体を起こすと、どうやら病院の検査着のようなものを着せられていたようだということに初めて気が付いた。
「着替えはそちらのクローゼットに入っていますので、お好きなものをどうぞ。こちらにやってきた時の服も一緒に」
これまたベッドの近くのクローゼットを示す五百旗頭さん。言われた通り中から適当なシャツとジーパンを取り出して、病院のベッドの周りにあるようなカーテンで即席の試着室を作ると、それに着替えてみる。
恐らく色々手術した際にサイズを測ったのだろう。まるで俺自身が試着して買ってきたかのように違和感なく体に馴染む。
一緒に置かれていたスニーカーまで足の形にフィットするのだから大したものだ。
――となると、気になるのはその代金。安月給のサラリーマンにこれだけのものを纏めて購入するような余裕はない。というか、日本ではないのだから当然日本円は使えないと考えるべきだ。
「……どうかしましたか?」
「あ、いえ……」
とはいえ、今は人を待たせている。あまり考える時間はない。
とりあえず一通りの着替えを終えて外へ。
「サイズが合わないところはありませんか?」
「ええ。大丈夫です……あの、料金は……」
安心しろ――まるでそう言っているかのような笑顔が返ってくる。
「大丈夫。コロニー住民には無料で支給されています。あなたの登録は既に完了していますので、それらだけでなく、この家の家賃や電気、水道、ガスなども全て無料です」
余りの大盤振る舞いに思わず言葉が出なくなるが、彼女はその間にひらりと身をかわすようにこの寝室の外を手で示した。
「さ、ご説明も兼ねて少しこの家の周りをご案内します。どうぞこちらへ」
開かれた扉の向こうにはまっすぐ伸びる廊下。その先には恐らくダイニングキッチンだろうもう一部屋と、そことの間の左手にはそれが玄関なのだろう扉が一つ。
言われた通りにそちらへ歩を進めると、どうやらその認識で間違いなかったようだ。
「おお……」
小さいが独身者には十分な広さの玄関を開けると、かすかに涼しい風が頬を撫でて、俺を出迎える。
家の前に広がる、かつては何かの施設があった場所なのだろうと思われる、ヒビだらけのアスファルト。
所々雑草が伸びて生きているそこの向こうには数mだけ盛り上がった丘のようになっていて、その向こう側がどうなっているのかはここからでは見えない。
右手側には、その施設があった時代の名残のような年季の入った建物が一つ。
そこと年季の入り方以外は大体同じものに俺は今まで寝かされていたのだと気づいたのは、ボロボロのアスファルトに降り立って少し進んでから背後を振り返った時だった。
外航船のコンテナを思わせるような直方体の建物。プレハブのようにも見えるが、よほど頑丈そうな材質で出来ている。
その背後にはなだらかな丘があって、どうやらその向こうにも地上が続いているらしいというのは、家の左手から伸びる、こちらはしっかりと舗装が行き届いている細い道路が物語っていた。
(つづく)




