ままごとライフ2
自転車は更に進んでいく。
波の中の廃墟を越え、入江の砂浜の横を通り、松の木のアーチをくぐると、再びあの草原が姿を現す。
「確かこの辺だったな……」
その草原の片隅、自転車を停めて、草深い中へと踏み出していく。
始めて見つけた時より草深くなっていたためか、件の人工衛星を見つけるまでには少し時間がかかった。
「あった……」
だが、道からさほど離れていなかったことは覚えていたおかげで、件の残骸もなんとか探し当てることが出来た。
「よう」
当然、答えはない。
だがそれでよかった。今日俺がここに来たのは、あくまで己の中で答えを出すためだ。
「……」
一度辺りを見回してみる。今日はあの老人の姿はない。
「……お前だって、ここで生まれた訳じゃないよな」
足元で朽ちるに任せているその残骸は、以前と変わらず最早本来は人工衛星だなどとは言われなければ分からない――いや、言われたって信じない者もいるだろうと思われるようなぼろぼろの姿だ。
その朽ちゆくガラクタに語り掛け、それから真上の空を仰ぐ。
今はただ高く青い空が広がっているだけだが、夜になればここでも当然満天の星空が広がるだろう――つまり、この足元に転がっている人工衛星がかつて浮かんでいた宇宙が。
通夜の後、カンナさんと二人で見上げた夜空、新川さんが同好の士との集まりに出かけて行って、上機嫌で帰ってきた日の夜空。
そのどちらも、不思議な程に人を惹きつける魅力があった。
昔聞いた話:現在の文明が全て滅びた場合、またかつてのような星空が三日ほどで戻ってくる。
当時は眉唾物だと思ったが、今にして思えば多分それも正しいのだろう。少なくとも、文明が終わりつつあるこの世界の夜空は思わず見惚れるほどに美しかった。
そうだ。人がいなくなった世界は美しい。人がいなくなって、しかし人の作り出した文明の生み出した機械や設備や社会が維持されている世界は、まさに理想郷だ。
たとえ万人がディストピアと呼ぼうが、ここで生まれ育った老人が「ここを離れられやしない」と諦めまじりにはき捨てようが。
終わりゆく世界で、その世界と一緒に静かに終わっていく――その最期の時まで万全の態勢でそれをサポートしてくれる、素晴らしい飼い主の下で。
「お前はここで生まれた訳じゃない」
もう一度視線を下へ。
しかし、その言葉は足元の残骸に向けたものではなかった。
新川さんは日本で生まれた。俺と同じ時代の日本で生きていた。
そしてその人は、この世界で、時折寂しさを感じながらも仲間と出会って、カンナさんに助けられながら最期までしっかりと生きた。
良い人生だったと、あの上機嫌の夜に言った通り、俺には彼の姿は、とてもいいものに思える。
その素晴らしい後半生を、彼は最期までやり通した。
元の世界に戻ることはなく、元の暮らしに戻ることはなく。この世界で、大好きだったジャズをやって、ほとんど苦しまずに死んだ。
「……俺もだよ」
なら、俺のやることだって決まっている。
「それじゃ」
踵を返す。
さわさわと一歩ずつ音を立てる草むらの中を進んで、停めてあった自転車へ戻る。
不思議と、少しだけ背筋が伸びている気がした。
「……よし、行くか」
そのまま自転車にまたがって180度回頭。緩やかな下り坂になっている松のアーチへとゆっくり滑りだす。
折角ここまで来たのだ。帰りに丘の町に寄ってみよう。
そして久しぶりな気がするヒルトップへ顔を出して、あの温かいブレンドコーヒーを飲もう。
「……ふふ」
下り坂の加速。思わず漏れた笑いは、シャーっという自転車の軽快な音にかき消された。
「……っし」
海沿いの道に戻ると、次の目的地に向かってしっかりとペダルを踏み込む。
勿論来た道を戻って、途中の分岐で丘の町に向かうために。そしてヒルトップですっかりおなじみになったブレンドコーヒーで一息つくために。
朝はゆっくり起きて、それから自転車を転がしてコロニーの端まで行き、それから帰り道に馴染みの喫茶店で一息。
ただ、それだけ。
他に何も考えることはない。他の何も気にすることはない。
心配事も、悩み事も、それら一切から解き放たれ、不安も、迷いも、一切から安全に保護されている。
おままごと。それで上等だ。
糞面白くもない出来の悪い現実と、安全で快適なおままごと。どちらを選んでもいいというのなら、俺が選ぶのは間違いなく後者。
管理され、外に行くことは出来ない。だがその世界の中で、俺はようやく自由になれた。
「ハ、ハ、ハ……」
笑いがこみあげてきた。俺の三流の頭では、この結論に達するまで随分時間がかかった。
だが、こうしてようやく理解したのだ。
「自由だ……!」
叫ぶ。手に入れたそれの名を。
「自由だ!」
もう一度。ペダルをこぎ続け、弾ませた息で。
「自由だぞ!!」
ここはコロニー。逃げ場のない世界。
橋は壊れ、道は封鎖されている。どこにも行くことは出来ない。
元の世界に戻るエレベーターはもう動かず、その建物に近づくことさえ出来ない。
周りは人の世話をするために造られ、運用されるバイオドールばかりで生きている人間は数えるほどもいない。
それがどうした。
ようやく始まったのだ。俺の、俺のための人生が。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に
あと一話か二話で完結の予定です。最後までお付き合いいただければ幸いです。




