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拝啓、後夜祭より  作者: 九木圭人
出発と見送り
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出発と見送り8

 新川さんは、見舞いの際の言葉通り翌日の昼頃に帰ってきた。

 生憎の天気のために家にいたため、結果的に彼の姿をもう一度見ることが出来た。


「どうもご迷惑をおかけしました」

 杖を頼りにタクシーから降りてきた新川さんは、カンナさんと、事前に病院から連絡を受けていた彼女からの知らせで帰宅を知った俺とに出迎えられ、少し小恥ずかしいような様子でそう言って、丸一日留守にした自宅へと、普段と変わらない足取りで歩いていき――扉の前で糸が切れたようにしゃがみこんだ。

「「新川さん!?」」

 カラン、と玄関前のタイルと転がった杖との間で響いた音が、妙に大きく耳に届く。

 同時に俺たちが駆け寄ると、彼はそれまで通りの少しばつの悪そうな表情を浮かべて、扉の横に手をついて何とか立ち上がった。


「ハハ……、一日寝ているだけで、随分衰えたね」

 そうやって笑いながら、家の鍵をポケットから取り出す。

 小刻みに震える手は、あと少しでそれを足元に落下させそうだ。

「よし、開いた」

 そう言うや、扉に寄りかかるようにしてしがみつき、鉄塊をそうするかのように全身の力で何とか手前に引き開ける。

「お手伝いしましょう」

 カンナさんはそういうや否や、彼の腕の下に自分の頭を入れ、しっかりと肩を抱いて危なっかしい隣人を支える。

「あっ、すいませんね」

「いえいえ、お邪魔します」

 その姿勢のまま、家の中へと入っていく。

 俺も彼の落とした杖を拾い上げて、それに続いて中へ。


「ああ、古賀さんもすいませんね」

「何かお手伝いできることはありますか?」

 なぜ自分がそんなことを口にしたのかは分からない。

 人付き合いのノルマは既に達成したはずだし、俺のその歪んだ本心は新川さんには見透かされていることも知っている。

 だがそれでも、俺は彼の手伝いを申し出た。

 バイオドールだけでは寂しい――もしかしたら、その新川さんの気持ちに同情しているのかもしれない。


「じゃあすいませんが、その杖をベッドの所まで持ってきてもらえますか」

 足を踏み入れる許可をもらって、初めて彼の家へ。

 恐らく俺の家と同じ間取りだろうそこは、しかし俺のそれとは趣がまるっきり異なった。

 全体的に落ち着いた雰囲気と、整然と整ったキャビネットには音楽関係の書籍や楽譜と思われるもの、CDやレコード――これ程までに科学が進んだ時代にこうした品々が原型だとは思わなかったが、懐古趣味というものがこの世界にもあったのだろう――が隙間なく収められていて、光沢のある木目調で統一された家具といい、どことなくお洒落な喫茶店やバーを彷彿とさせる。もし彼がヒルトップ二号店をプロデュースすることになったらこんな感じの店になるだろうと思うような場所だった。


 その中で数少ない生活感というか、俺の家に通じるような場所=起き出したままの乱れたベッドの横に杖を置くと、すぐ横でカンナさんが新川さんを椅子に座らせた。

「今ベッド片しちゃいますね」

 そう言うや、彼女は慣れた手つきで寝具を元通りに戻すと、畳まれた洗濯物の中からパジャマを取り出してそのベッドの主の前に戻ると、再度その前に腰を下ろす。

「さ、楽な格好に」

「何から何まで申し訳ない」

「お気になさらないでください。あ、私見てない方がいいですか?」

「ハハハ、もうそんな歳じゃありませんよ」

 そんなやり取りをしながら、カンナさんは慣れた手つきで彼の着替えをサポートする。


「無理せず横になってください」

 恐らく新川さんも、自分の体がどういう状態かは分かっているのだろう。

 彼の病気が何なのかは知らない――俺の医療用ナノマシンが一切反応せず、病院でも面会が許可されていた所を見ると感染するものではないのだろう――が、この世界の技術力で、本来ならとっくの昔にこうなっていただろう肉体を維持し続けていたのだということは何となくわかった。


「あと何か、ありますか?」

「いやもう結構……あー、それなら――」

 カンナさんの言葉にふと思いついた様子の新川さん。その目が俺たちの後ろ=玄関とキッチンの方向へ。

「済みませんが、お茶を一杯淹れてもらえますか。台所に電気ポットと、その横にティーバッグがまだ残っていたはず」

「わかりました。淹れてきますね」

 二つ返事で踵を返すカンナさん。


 彼女が台所に向かい、水の流れる音がかすかに聞こえて来ると、まるでその音にかき消すように静かに、新川さんが俺に言った。

「本当は、随分前から……彼女のことを人間のように思っていた」

 そっと耳打ちするような声。しかし俺の耳にははっきりと、彼の独白が届いた。

「この世界は良い世界だ。後夜祭の時代というのは……いい時代だ。優しくて……全てが……安全に管理されていて……」

 賢明で慈悲深い管理。この時代を、この世界の残り僅かな人間たちがそう呼ぶ理由は、彼の姿が何より雄弁に物語っていた。

「……いい、人生だったな……」

 その言葉を言い終わるや否や、まるでその時を待っていたかのように激しく咳き込み始め、それを聞きつけたカンナさんが駆け寄る。

「大丈夫ですか!?」

「ああ……ああ……」

 その咳が恐らく合図だったのだろう。

 彼の喉から出るものは、最早言葉ではなく音にしかならなかった。

 そしてそのことは賢明で慈悲深い管理者には、しっかりと分かっていたようだ。

「落ち着いてください。大丈夫ですよ」

 優しい声、優しい微笑み。

 そっと、空を切っていた新川さんの手を包み込む、色白な肌の細い指。


「私はここにいますよ。古賀さんもいます。みんなここにいますよ」

「ああ……おお……」

「楽にしてください。ね、大丈夫だから」

 ぴったりと寄り添うカンナさん。

 その声に、新川さんの表情は少しだけ穏やかなものに変わる。

「もう辛くありませんよ。苦しくありませんよ」

 カンナさんがじっと寄り添い、静かで優しい声をかける度、新川さんの表情は安らいでいく。

「安心してください。私はずっといますよ」

 小さな子供を寝かしつけるように、カンナさんは語り掛け続けた。


 そしてその日の昼過ぎ。そのまま、カンナさんに抱きしめられるようにして、新川さんは安らかに眠りについた。


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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