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拝啓、後夜祭より  作者: 九木圭人
出発と見送り
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出発と見送り6

 だが、当の本人はそんなことおくびにも出さない。

「明日か明後日には、家に帰ってもいいとのことですしね」

 それがどういう意味なのか、知らない訳もあるまいに。

「……そうですか」

 そして、それに対応するのには、俺にはあまりにも経験が足りない。

 声が詰まり、ただそうとだけしか返す言葉が見つからなかった。


「……正直なところ、私はあなたに感謝しています」

 だから突然発せられたその言葉に、俺は怯えているのかと思われるほどに反応した――驚きと、助かったという思いとのハイブリッドの反応。

「こっちの世界はサービスが行き届いている。何をするにもバイオドールたちが完璧にサポートしてくれるし、彼らのお陰で生活のあらゆる点に何の苦労もない。普段の暮らしも、こうして病で床に伏せっているのもね。……だけど、時々寂しいんですよ。たった一人でままごとしているようでね」


 たった一人のままごと。それはきっと、この世界の説明としてこれ以上ない程的確な表現だろう。

 人は極端に少なく、コミュニケーションをとる相手と言えば専らバイオドール=人と全く区別のつかない、人間と同じ素材で造られたロボットばかり。

 ここに来てまだ日の浅い俺ですら、新川さんとカンナさん、それにヒルトップで出会った伊庭さんや、東の果てにいた老人ぐらいしか人間と呼べる存在には会っていない。毎日の宅食サービスを持ってきてくれるのも、それ以外の生活必需品や諸々の品を届けてくれるのも、ヒルトップの店員や、この病院のスタッフ、そしてこのコロニーでそうして暮らしていけるために必要な諸々の仕事――それらは全てバイオドールだ。


「だから、あなたが来てくれて、随分嬉しかった」

 そう言って笑いかける新川さん。

「えっ、あ、いや……そんな……」

 対する俺の反応はぎこちなさの極み。

 内訳:恥ずかしさと申し訳なさ。

 そんな風に言われたことは初めてだし、ただ――このところは特に――ご近所付き合いのノルマとして顔を合わせていたに過ぎない。

 つまり、俺自身バイオドールとそれ程変わりはないのだ。

 だがそれでも、彼の表情も――そして恐らくは気持ちも変わらないようだった。


「別に、本心からこの老いぼれに付き合ってくれなんて思っていませんよ」

 最初に会った日に言った通りね、そう付け加えてから、彼は病人とは思えない程に穏やかに笑った。

 ああそうだった。この人は俺の内心を見透かしているのだった。

「……すいません」

「いやいや、それでいい。ここはそういう事が出来る世界だ」

 それから再び、彼の目は遠くを見た。

 ――実際に見ているのは遠くでも近くでもないことは、その後に続いた言葉でわかった。


「……日本にいた頃、私は刑務官をしていました。まあいわゆる看守ですな」

 今の新川さんの姿と、看守という言葉からイメージされる姿は全く合わなかった。

「ある拘置所でね……一人の死刑囚と知り合ったことがある」

 遠くを見ていた目が、その当時に飛んでいた。

「もしかしたら知っているかもしれない。八塚という男でね、自分の妻と叔父を殺して、親族が経営する会社に火をつけて、たまたま居合わせた無関係の従業員二名を巻き添えにした男だった。当然許される事ではない。八塚自身も罪を認めていた。……でもね、あの男の犯行には『こうでなければならない』で雁字搦めにし続けた結果という面があるように思えてならなかった」

 その事件の事なら、俺もおぼろげに覚えていた。

 俺の勤め先と取引のあった会社の一つだった。


「八塚は物心ついた時から一族の経営する会社の跡取りになることを決められていた。本人は漫画家になりたいと考えていたものの、親族一同、特に殺された叔父は強硬に反対した。それも『お前には才能がない』とかではなく『そんなくだらない事に現を抜かすような奴は碌な人間にならない』とね。彼は挑戦することすら許されずに経営者の道に進んで、その後『いい歳して家庭を持たない男などまともな大人ではない』と言われて、両親の決めた相手と結婚した。その一か月後に事件を起こした。ちょうど同じ頃、高校野球の強豪校で野球部員による強姦事件がありましてね、彼は私と知り合ってからふと、そのことを思い出したように言いましたよ。『ねえ看守さん。あの高校球児はどれぐらい野球したんだろうね』と」

 その死刑囚の言葉の真意は何となく分かる気がした。


「片や漫画家になる夢をくだらないと一蹴された男。片や周囲から期待され応援され、世間一般からは清く正しいスポーツ少年と見られていた高校球児……、自分の打ち込んだものが周囲に認めらず、その周囲の“まとも”に答えられなくて、どうしようもなくて人を殺したあの男と、たまたま打ち込んだことが世間に評価されていた高校球児と、どれぐらい違いがあったのだろう……あの男が何の躊躇もなく自らロープに首を入れた時からずっと、私にはそのことが忘れられない」

 それからふと、初めて目の前に俺がいるというのに気づいたように、新川さんははっとした様子で俺を見た。


「まあ、遠回りになりましたがね、幸いなことにこの世界は法を犯さない限り『こうするべき』が存在しない。苦手なら人付き合いだってしなくていい。一日中家に籠っていても、好きなことに没頭していてもいい。せっかく、それを欲してついに手に入らなかった男が、きっと夢にまで見ただろう世界にいるのだから、それを満喫するべきだ。誰かに気兼ねなんてしていたら……人生はあっという間ですよ」

「……あなたは」

 喉から出たその声は、自分でも予想外な程に震えていた。

「……あなたは、この世界に来たかったのですか」

「……もう忘れてしまった。けど、同好の士にも出会えて、結果的に随分楽しかった。……それに、最後に見舞いに来てくれるよき隣人も、それも初めての人間の隣人も得た。十分、楽しい人生だった」

 そう言って彼は満足げにほほ笑む。

 見舞いに来た動機を理由にまた良心が俺を責める――いや、その前に、今彼は何と言った?


「……人間の隣人……ですか?」

 見舞いに来てくれる隣人。現状俺しかいない。

 そして、彼にとって隣人と呼べる者は俺ともう一人だけだ。

「ああ、知りませんでしたか」

 少し意外そうな彼の声。

「カンナさん……五百旗頭カンナもまた、バイオドールですよ」


(つづく)

今日はここまで

続きは明日に

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