出発と見送り5
まるで遥か遠くに旅立つ人を見送るようなその新川さんの姿を含めて、彼がそうしている間、俺は空を見ていた。
いや、最初はそうではなかったのだが、引き返していくワンボックスを見送って視線を丘へと向けた時に、こちらに来て初めて気が付いた。俺たちのすぐ上に満天の星空が広がっているという事に。
「いやー、楽しかった」
やがて、ワンボックスが丘の頂上の向こう側に消えて、こちらからでは見えなくなった頃に聞こえた、手を振るのを終えた新川さんの声。
宇宙そのものといってもいいぐらいの煌びやかな星空の下、彼の楽し気な声が響く。
その彼の姿に、笑いながらカンナさんが呼び掛ける」
「随分お楽しみだったようですね」
星空と月明かり、そして俺と彼女の家から漏れる光しかないが、それでもカンナさんの、どこかほっとしたような、こちらまで安心するような笑顔は良く見えた。
そして、それを受けた新川さんの、本当に心の底からカンナさんの見立て通りだったと分かる表情も、また。
「ああ、今日は楽しい夜だ。人生は楽しいな」
無邪気に笑いながら、ほろ酔い気分の新川さんは、そう言って笑った。
「まったく、いい人生だ」
駄目押しするようにもう一度。
ただの酔っぱらいの叫び声――恐らくそうなのだろうが、心の底から楽しそうな彼のその声は、不思議とこの星空に似合っているような気がした。
それからふと、俺たちは一斉に空を見上げた。
どうしてかは分からない。誰が発端だったのかも。
だが結果として、大人三人が寄り集まって、黒い布に山ほどのビーズをぶちまけたような、今にも降ってきそうな星空をじっと見上げていた。
「綺麗な空だ……」
その時間がどれほど続いたのかは分からない。
新川さんのそのしみじみとした声に、ふと彼の顔を見る。
無邪気な酔っ払いは、いつの間にかしみじみと噛みしめるような表情でそこに立っていた。
「明日もいい天気だ」
それから、この場を締めるようにそう言うと、改めて俺たちに出迎えの感謝と騒がしくした詫びを言って、自宅に戻っていく。
その背中にもう一度、安堵のカンナさんの声。
「本当に楽しかったようですね」
「ですね」
俺もそれに同意して、それから二人で顔を見合わせて、少しだけ笑った。
――彼女だって分かっているだろう。新川さんにとって、今日がどういう日だったのか。
パタンと閉じた扉の向こうに消えた彼の方をもう一度見て、それから俺たちはそれぞれの家に戻った。
翌日も、その翌日も、新川さんはいつも通りだった。
朝には「ちょっと出かけてきます」といって、愛用のサックスを抱えて件の休憩所へと向かい、昼頃に帰ってくると、あとは家にいる。
そしてあの夜から三日後の朝、新川さんはやって来た医療担当のバイオドールたちによってストレッチャーに載せられ、救急車で西にあるという病院に運ばれていった。
そして、その日は戻らなかった。
ストレッチャーに載せられた時の姿は、いつもと変わらないように見えた。
「あの、カンナさん」
「はい?」
次の日の朝、俺は意を決して外に出てきた彼女に尋ねた。
「新川さんのいる病院を教えていただけますか?」
彼との間に何か特別なことがある訳ではない。
ただ、前回と同じ俺の習い性=心配をしているというのを相手に見せておかねばならないという強迫観念だ。
ただそれだけ、だがそこに「急がなければこれが最後のチャンスかもしれない」という意識が全くない訳ではなかった――言い訳がましく聞こえるかもしれないが。
とにかく、それからすぐにいつもとは反対の方向に向かって自転車を走らせた。
病院への道のりは非常に簡単だ。以前訪れた灯台のもっと向こうへ、ただ走っていけばいい。
いつも新川さんがいる休憩所を越え、件の灯台を越えると、再び地形に沿って入り江の形に湾曲した道路を進み、それの出口にある岬に建っている病院へ。
三階建てのコンクリート製のそれは、道路から分岐したスロープを登り切った先にあって、成程病院には丁度いいだろう、その立地からも分かる静かな場所だった。
到着してすぐ、看護師型バイオドールの詰めているナースステーションへ。面会の許可を取ると、そのまま新川さんのいるという三階の病室へ。
途中ですれ違うのも全て医師型バイオドールと看護師型バイオドール。皆同じタイプなのか、全員同じ顔かたち。
勿論、だとして不都合が生じることはない。この病院に担当という概念はない。
彼らは患者の全ての情報を瞬時に共有し、全ての個体が同一の対処を可能としている。加えて、患者の体内の医療用ナノマシンが、常にそれらに対して最新情報を伝達している。見た目にさえ慣れてしまえば、むしろ非常に効率的かもしれなかった。
「やあ、来てくれたのか」
病室に入るとすぐ、新川さんはベッドから身を起こした。
「すいませんね、心配をおかけして」
「いえそんな……お加減いかがですか?」
尋ねながらしかし、いいはずがない事は一目でわかった。
これが本当に昨日の朝まで普通の生活をしていた人なのだろうか、そっくりな別人の病室に入ってしまったのでは、そんな風に疑うほどに彼はやせ細り、沢山の機材とチューブとに繋がれていた。
「お陰様で、もう痛くも苦しくもないですよ」
だがその状態でもそう言って笑う姿に嘘はないという事は、俺の体の中の彼のそれと同じ医療用ナノマシンとコミュニケーションデバイスが教えている。
この世界の科学力は流石というべきか、緩和ケアの技術は現代のそれとは比べ物にならならず、最期の瞬間まで痛みも苦しみも感じさせないという。
――故に、痛くも苦しくもないというのは、既に改善が見込めない患者の言葉だった。
(つづく)
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