出発と見送り4
まあ、カンナさんが気にするのも無理はない。先日の発作、病院に付き添ったのは彼女なのだから。
そして妙に引っかかる「これが出来なければ死に切れません」という新川さんの言葉。
頭の中で組みあがる、ある仮説。
「あ……」
「なにか?」
「あ、いえ……」
だが当然、本人にそんなことを問いただすようなことは、俺には到底無理な相談だ。
「それでは」
「あ、ああ。はい……失礼します」
踵を返して自宅に戻っていく彼の背中を見送るしか出来なかった。
「仕方ないですね……」
小さくため息をつくカンナさん。その表情も口調も、言葉とは裏腹に、その仕方ない相手の行動にほっとしているように思えた。
「新川さん、随分と今日を楽しみにしていましたから」
「そうなんですか?」
まあ、先程の言葉から察するにそうなのだろう。
それを証明するようにカンナさんは首を縦に。
「ええ。本当はずっと前から体の具合がよろしくなかったんですよ。でも、今日の日のために毎日練習して……発作で運ばれた時だって、病院について最初に気にしたのが自分の体のことじゃなく『集まりに参加できるか』だったぐらいですから」
なんとも凄い気合の入れようだ。
だとすればきっと、彼は這ってでも行くだろう。今更他人が止めたところで意味などない。
――きっと、この機会を逃せば、次はないのだろうから。
その認識は、カンナさんも同じのようだった。
「……楽しんできて欲しいですね」
病院に付き添った彼女には、きっと俺以上に彼の体について知っているはずだ。
その彼女のしみじみとしたその言い方と、少し寂しそうな笑顔は、その想像を確信めいたものに変えた。
「……そうですね」
そう合わせてから、俺は己の中でじんわりとその言葉を噛みしめた。
もし俺の――そして恐らくはカンナさんも――思っている通りなら、新川さんにとって今夜が悔いのないものであってほしい。
俺には彼の事は良く分からないし、彼の仲間の事もよく知らない。
だがそれでも、少なくとも彼の念願が叶うのなら、それに越したことはない――そう思えるぐらい、俺と新川さんの間には何もなかった。
それから家に戻って、俺はいつもの生活に帰った。いつも通りに読みかけた本の続きを読み、いつも通りに食事をして、いつも通りに風呂に入に入る。
「お……」
外で動きがあったのは、ちょうど風呂から上がった時だった。
時刻はまだ18時30分。このところ早めに風呂を終えておく生活が板について来た俺にとっては、風呂を終えて夕食に掛かろうかという時間だった。
「お出かけですか?」
玄関を開けた向こう、想像通りの相手=新川さんが、迎えに来たワンボックスカーの前で、昼間一緒にいた人物と一緒にいた。
「ああどうも。行ってきます」
仕立ての良いジャケットに、ぴかぴかの革靴。普段の彼の姿とは明らかに異なる、余所行きの姿。唯一の共通点は大切に抱えた“相棒”だろうか。
「お気をつけて」
彼をワンボックスに見送ると、車を挟んで反対側にカンナさんの姿。
「楽しんできてくださいね」
彼女もまた、同じスタンスで送り出す。
まるで遠足に向かう子供のように楽し気に、新川さんはワンボックスに乗り込み、それを合図にしたように車は坂を上り始めた。
俺には音楽は分からないし、彼のように共通の趣味を持つ仲間もいない。だから、新川さんの心情を正確に掴むことは出来ない。だが、彼が楽しそうだという事だけは分かる。
――成程、確かにああやって仲間と集まることを楽しみにする人間には、こういう暮らしは寂しいのかもしれない。
俺はそれほど親しくないし、カンナさんは――よく分からない。俺より付き合いは長いのだろうが、二人の関係については良く知らない。まあ、何にせよ。今や丘の上で小さくなっていくワンボックスの中にいた仲間たちの代わりにはなれないことは確かだろう。
そんな気持ちで見送って、俺は再び家に戻る――同じように見送ったカンナさんに会釈して。
それから再びいつもの暮らし。夕食を終え、歯を磨いて、あとは映画専用チャンネルで今日の映画を見る。今日の映画は楽しいともつまらないとも言えない、つまり大体の日と同じ何となくだらだら見られるタイプのそれ。
いつものようにその映画を最後まで見て、それからトイレに行って、あとは眠くなるまで読みかけの本を読んで、それに飽きたら寝る。
そういういつものルーチンを今日も繰り返す。俺には新川さんのようなハレの日はない。あるとすればこの前の東の果てを見に行ったぐらいだろう。だが、俺にはそれで十分だ。
「……ん?」
それから一時間かそこいらは経過しただろうか、間もなく日付も変わろうかという時間に、外が急に騒がしくなった。
「今日は……、ありがとう――」
聞き覚えのある声。楽しそうな声。
どうやら、念願の日は楽しめたようだ。
「それじゃあ……」
所々聞き取りにくいが、それでも何となくお別れの挨拶なのは分かる。
と、そこにもう一つの声。
「新川さん、お戻りですか」
「ああ、失礼。夜遅くに……」
その声につられるように俺も外へ。
「ああ、すいません。お騒がせしまして」
「ああいえ、お気になさらずに」
俺の存在に気づいた新川さんが先に出ていたもう一人=カンナさんの方から俺に振り向く。
いつになく上機嫌で、恐らく酒が入っている。
「それじゃあ、今日は本当にありがとう」
「こちらこそ。楽しかったよ」
行きと同じワンボックスで送ってくれたのだろう、昼間と同じ人物と、俺の知らないもう一人と挨拶を何度も交わし、それから送ってきた二人が再びワンボックスに乗って丘の町へと引き換えしていくのを、新川さんはいつまでもいつまでも見送っていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




