出発と見送り3
「それじゃあ、また夜に」
「おう。よろしく」
それだけ言葉を交わして、その同好の士らしき人物はすぐ横に停めてあった電動スクーターにまたがった。
「ああ、どうも」
「どうも」
彼とすれ違いになって自転車を降りたところで、新川さんに会釈する。
「丘の町にいる、私のジャズ仲間ですよ」
軽快な駆動音が遠ざかっていくのを聞きながら、新川さんがそう説明してくれた。
「実は今夜、丘の町にある『ヒルトップ』という店で仲間内の集まりがありましてね。その件でここに寄っていたんですよ」
世間は広いようで狭い。
「えっ、ヒルトップですか?私も今行ってきたところです」
そう言うと、彼もまた俺と同じように驚いたような表情を浮かべた。
「おお、そうでしたか。あそこは夜になるとバーとして営業していましてね。あの店員さんも、ピアノをやるんですよ」
その言葉に、ついさっきも会ってきた件の店員を思い出す。
いつもの落ち着いて物静かな雰囲気のあの人がピアノを弾いている姿は何となく想像が出来た。
と言って、彼女の事をよく知っている訳でもないのだが、なんとなくあの落ち着いた雰囲気のまま、そつなくこなしそうなイメージだった。
「いやはや、まったくバイオドールというのは器用なものです」
「ええ……えっ?」
思わず聞き流しそうになったが、慌てて聞き返す。
その姿に、新川さんは意外そうな表情を向けた。どうやら俺がその正体を知らなかったとは思わなかったらしい。
「おや、知りませんでしたか?あの店員さんも、このコロニーの大部分と同じバイオドールですよ」
その姿からは想像できなかったが、言われてみれば納得は出来る話だ。
飲食店の大変さなど、日本にいる頃からいくらでも聞いていたし、実際に上司に連れていかれた居酒屋など、店員を見ていればどれほどの給料であっても御免被ると思ったものだ。
こちらの世界にほとんど利用客などいないだろうが、それでも色々苦労はあるだろう。少なくとも、毎日自転車を転がしてあの店にふらりと立ち寄るような人間よりはよっぽど。
「まあ、普段はそんな事気にはしませんがね。バイオドールだって、人間と同じように接することも出来るし」
「確かに」
言われるまで気づかなかったのだ。それが何よりの証拠だろう。
と、その時不意に、新川さんの言葉が中断されたのが分かった。
と言って、何かを言いかけていた訳ではないし、当然俺が遮った訳でもない。だが何というか、ふと思い立った考えが、本来言おうとしていた何かとぶつかって、彼の中で言葉が止まっているように思えた。
「……古賀さん」
「えっ、はい」
改めて俺を見据える新川さん。
神妙な、何かを考えているようなその顔が、じっと俺を捉えている。
「おかしなことを聞きますが、バイオドールだらけの世界で、バイオドールたちに囲まれて、つまり……人間が自分だけの状況で、人は普通に生きていけると思いますか?」
その問いに即答できなかったのは、自分の中で答えが出ていなかったからではない。
いや、厳密に言えばうまく言語化するのには時間が足りないということはある。だが答えとしてはイエスだ。その証拠に今こうして、バイオドールたちが支えている社会で生きているのだから。
俺に分からなかったのは、彼がその質問をする意図だ。
もっと言えば、一体どういう答えを望んでその問いをしているのかが分からなかった。
「……私は時々寂しくてたまらなくなる」
ぼそりと続いた新川さんの言葉。
それは普段の――といってもあくまでご近所さんぐらいの付き合いでしかないが――彼の声、ついさっきまでのそれとは明らかに異なるものだった。
「日本にいた頃、私は色々な人間に出会いました。中にはどうしようもない、見下げ果てた者もいたし、どうしても全く反りの合わない者もいた。それらを疎ましく思ったのも、一人になりたい時間があったのも事実だ。でも……この世界は時々寂しくなる。どれほど優しくされても、どれ程親切にされても……結局彼らはロボットだ。人間にこの上なく似ている人形に過ぎない」
そこまでを低く静かな調子で続け、それから初めて自分がそういう話をそういうトーンでしていると気づいたかのように、いつもの調子に戻して締めた。
「まあ、だからこそ今日のような仲間内の集まりというものが有難い訳ですがね……っと」
彼の視線が俺の後ろに向く。
つられて俺がそちらを見るよりも前に、その視線を向けた相手に彼が呼び掛けた。
「どうも、カンナさん」
「あっ、どうも」
「こんにちは」
その言葉に促されるように振り返った先にいた相手と俺も挨拶を交わす。
それからすぐ、彼女の視線もまた、最初に視線を向けた相手に向けられた。
「本当に今日行かれるおつもりですか?」
「ええ。そのために今日まで頑張って生きてきたんだ。これが出来なければ死に切れませんよ」
先程までの静かな調子とは打って変わって、おどけたような明るい声。
対するカンナさんは、小さく息を吐いて仕方ないといった様子。
「あまり無理はしないでくださいね」
「ええ。分かっていますよ」
答えながら、仕方ないねとばかりに新川さんも苦笑を浮かべる。
――なんとなく、この二人の間にだけ通じる何かがあるような気がした。
(つづく)
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続きは明日に




