出発と見送り1
このコロニーの果てを見る俺の計画は、午前中で達成されてしまったという事を、いつもとは異なり海沿いの道で帰宅してすぐに理解した。
「さてと……」
自転車を停めて、玄関を開ける。今日は新川さんにもカンナさんにも出会わない。
時間も時間だ。昼飯にして、それから今日も丘の町に行ってみようか――そう思いながらも、しかし久しぶりの早起きとそれから間髪入れずの長距離サイクリングによる気怠さは確かに感じている。
結局、昼食を終えた頃には満腹感による眠気も相まって、その気怠さが再び外に出る事を億劫がる程には強くなってきていた。
「今日はいいか……」
歯を磨いて、ベッドにごろりと横になる。
サイドテーブルに置いておいた読みかけの本を取り上げるが、刻一刻と強まってくる眠気に脳が擦り切れたようになって、文を目で追いながら中身は頭に入ってこない。
やがて眼球すら文章を追うのが不可能になったところで、数分前の行動を巻き戻すようにサイドテーブルに本を戻し、凄まじく重くなった瞼の閉じるのに任せた。
「……?」
どれ程そうしていただろうか、再び目を開けたのは、外の物音に感づいてだった。
「なんだ……?車……?」
久しぶりに聞くエンジン音。
いや、正確に言えば日本にあったそれとは少し違う気もするが、それでも直感的に車のそれだと分かる音に、聞き覚えのある声。
「カンナさん……か?」
思えばこちらに来てから、自動車はあのコロニーレンジャーのSUV以外ではお目にかからなかった。
それが家のすぐ近くまで来ていて、おまけに降りてきたのが顔なじみの人物となれば、仮眠ですっきりした頭には妙な野次馬根性も沸いてくる。
「あっ、古賀さん」
扉を開けた先、西に傾き始めた日差しの下で、ワンボックスカーから降りてきたのはこちらに気づいたカンナさん――そして、そのカンナさんに介抱されながら降りてきた新川さんだった。
「新川さん!?」
その姿に、俺はこちらを認めて声をかけてきた相手より先にその名が口をついた。
カンナさんの肩を借りて降りてきた新川さんは、青白い表情で足取りも弱々しく、ついこの前顔を合わせた相手と同一人物とはとても思えないような有様だ。
「一体――」
「体調がすぐれないようだったので、病院へ。私はその付き添いです」
本人の代わりにそう教えてくれるカンナさんの言葉に、本人も間違いではないというように首を縦に振った。心配かけてしまってすまない――そう言っているかのように弱々しい笑顔を浮かべながら。
その姿は、ただ単に体調がすぐれないと言っていいのか分からない。
「さあ、家に帰りましょう」
カンナさんはそう言って、彼を自宅の方へと向かわせる。
肩を貸して、そちらの腕を相手の腰に回し、もう片方の手でしっかりと自分の首に回っている相手の腕を掴み、歩くペースを全く同じにして彼の家の方へと連れていくカンナさん。
その姿には手慣れているというか、プロの仕事の安心感のようなものが感じられた。
が、当然そんな呑気なことを言っていられる状況ではない。一体新川さんはどうなってしまったのか。
とはいえ、直接聞くわけにもいかず、先程のワンボックスカーも早々に撤収してしまったとあって、俺はただその場に所在なく立ち尽くすより他に無かった。
とはいえ、訪ねていく気にもなれない。先程の様子からして帰ってきたとはいえ快復してのそれとは思えなかったし、何より誰かの家に招かれもしないのに勝手に近づくという行為は俺の中に無かった。
まあ、大丈夫だろう。新川さんだって医療用ナノマシンは体内に投入されているはずだ。素人の俺があれこれ言うよりも、その機械の方がより正確な対処をしてくれるだろうし、何より病院側が帰したという事は、既に危機は脱したという事だ。
そうやって己の良心=便宜上そう呼ぶことにするよく分からない焦燥感を騙して家に戻ると、ドア一枚外の現実から目をそらすように元の暮らしに没頭した。
そして、翌朝。
自転車のタイヤに空気を入れようと外に出たところで、件の新川さんとばったり出くわした時、俺の心の中では二つの声が響いていた。
一つ目の声:ほら見ろ、結局昨日の判断で正しかった。
二つ目の声:よかった。これで相手に尋ねていかずに「貴方の事を心配している」という姿勢を見せることが出来る。
我ながら最低の考えだが、そういう風に育ったのだから仕方ない。
それに知らぬが仏だ。表に出さなければ問題ない。
「おはようございます」
「おはようございます。昨日はお騒がせしましたね」
幸い、向こうから先に切り出してきてくれた。
「いえいえ、お体、大丈夫なんですか?」
その問いに、一瞬彼の表情が鋭くなったのは、恐らく見間違いではない。
そしてそれが、即座にいつもの表情に切り替わったのも、また。
「ええ、お陰様でこの通り」
そう言って、手に提げていたサックスのケースを掲げて見せる。
「近いうちに、丘の町にいる同好の士と集まりがありましてね、それにはベストで挑まない訳にはいきませんから」
「あっ、新川さん!」
と、そこで別の声が割って入った。
この状況でそれが出来るものなど一人しかいない。その一人の声に、パタパタと小走りの足音が続く。
「お出かけしてらしていいんですか?」
珍しくスカート姿のカンナさんが、まるでいたずらした子供を見つけたように、疑問形でありながらもどこか咎めるような口調で尋ねる。
そしてその口調の認識が俺の勘違いではないという事は、言われている張本人の、どこかばつの悪そうな態度で何となくわかった。
「……ええ。もうすっかり元気ですから。今日はこの通り気候も寒くないし……」
どこか言い訳するように付け足す新川さん。
それに対して、本心ではまだ心配なのだろうが、本人がそういう以上は仕方ないといった様子のカンナさん。
「あまり無理をなさらないでくださいね……昨日の今日なんですから」
言いながら、彼女の視線が一瞬だけ俺に向けられたのもまた、勘違いではなかったのだろう。
ただそれがどういう意味なのか、当の俺にはよく分かっていなかった――少なくとも、この時は。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




