丘の町4
やがて雨が上がり、雲の隙間から光が差し始めるのが見えて、俺はカップの底に残っていたコーヒーを飲み干すと、それを自分への合図にして腰を上げた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
コーヒーと一緒に置かれた伝票を持ってカウンターの端にあるレジへ。
といっても、そこでやり取りするのが金銭ではないという事はデバイスにインプット済みだ。
レジ――そういう訳で、厳密にはこの言い方も多分正確ではないのだが便宜上――の横にある端末に、ヒップバッグから出した身分証をかざすと、それで終わり。
電子マネーやクレジットカードの類でもない。ただ、個々の住民であると証明されればそれで飲食出来る。これまで利用していた宅配サービスも全て同様で、ここに暮らしている住民であれば――恐らく上限はあるだろうが――商品やサービスを受け取るのに金銭は不要だ。
からんからんと扉の呼び鈴を鳴らして外へ。自転車にまたがり、振り返って店名を確認。
「ヒルトップ……ね」
明日も来たいと思えるその店の場所と、味のある木製の看板に示された店名を頭に入れて、来た道を自転車で戻っていく。
どうやらこの店のある通りを西にまっすぐ行けば、内陸を通って家の方向へと出られるようだ。せっかくなので、そのルートも開拓してみよう。雨は止んだし、時間はまだある。
「……ふっ」
行きに曲がった交差点を通り過ぎて、漏れたのは懐かしさ故の笑いだった。
まるで小学生の頃と変わらない。自転車で未知の場所に行き、せっかくだから新しい道を開拓しようだなどと。
そうだ。きっと俺は小学生の頃から変わっていない。なのに今日までずっと、新しい道を探してみようなんて考えずにいた。一体どうして忘れてしまっていたのだろう。
「……ま、いいさ」
脳みそが過去を振り返りそうになって、それを自分の言葉で切り上げた。
ま、いいさ。忘れていたのでも思い出したのだから。これから気が向くままにやっていけばいい。丘の町だって、その先だって。あの灯台の先だって、道が通じている限りどこにでも行けるのだから。
そんな風に結論付けて、丘の町から尾根伝いに西に向かうその道は、行きよりもいくらか早く戻ってこられた。
とはいえ最後の下り坂――当然反対からは上り坂となる――は中々の角度で、成程カンナさんのように原チャリでもなければここを登るのは一苦労だろう。
翌日、ヒップバッグに折り畳み傘を追加して、再びサイクリングへ。
昨日と同じ時間に出発し、昨日と同じコースを進む。
昨日通ったことで覚えた道は、昨日より少しだけ早いペースで進むことが出来た。
時折吹く潮風を涼しく感じ始めるぐらいの頃に最後の直線へ。護岸に沿って進むその道を、海に突き出た橋の残骸を越えて進んでいけば、間もなく現れるスロープの方へハンドルを切る。
昨日と同じゲートをくぐって自転車を降りる。時刻は昨日より5分程早い。
「せっかくだ」
昨日は見られなかったこの丘の町をゆっくり散策してみるのもいいだろう――そう考えて自転車を降りると、最初の角を右に曲がる。
昨日は気づかなかったが、どうやらこの道は緩やかな下り坂になっているらしい。例の直線と護岸が見えるその坂道を降りていった先に、何軒かの民家が並んでいて、ちょうど俺の家の辺りと同じように隙間を作りながらも寄り合っているのに当たった。
そしてその左手にある崖の上が、昨日訪れた――加えて今日もお目当てでもある喫茶店『ヒルトップ』だ。
その崖の下からぐるりとまわり込み、降りてきた時同様の緩やかな坂を登って店のある通りに出る。坂の途中に立ち並んでいる家々に人が住んでいるのかは分からないが、仮に空き家だとしても、誰も住まなくなったまま放置されている訳ではない=定期的にメンテナンスが行われていると分かるぐらいには小きれいな佇まいのものが並んでいた。
成程、町だ。
規模は小さいし、人通りもないが、それでも確かにここは町と呼べる。
坂を上り切った、ヒルトップの並びには対照的に建物の類はほとんどない。道に沿って閉店したレストランのようなものが一軒と、人の気配のない――しかし先程の坂道のそれと同様みすぼらしさのない――民家が二軒並ぶだけで、その道の先=ヒルトップとは反対方向は俺のくぐってきたゲートと同じようなものが設置され、今では背の高いフェンスによって封鎖されている。
その格子状のフェンスの隙間から見える道は舗装されているとは思えない程にひび割れて、雑草の海の中に消えつつあるところを見ると、ゲートが封鎖されてかなり長い年月が経っているようだ。
そちら側の端を見つけたので、足を店の方へと向ける。
閉店したレストランと民家二軒の前を通り過ぎると、湧き水なのだろうか、堀のような小さな川が一つ、キラキラと輝いている。
川幅は精々1m程度、深さに至っては俺の膝程もないだろう、ただの用水路のようなそれは、しかしそこにかかる石造りの小さな橋と共に、なんとも言えない趣を感じさせた。
何もない、活気とは無縁の小さな町。しかしそれも、この橋と小川だけで静かで穏やかな町という印象になるのは不思議なものだ。
たもとの辺りに少しだけ苔むしたその石橋を渡ると、いよいよお目当てのヒルトップの前にやってくる。
小さなウッドデッキ。その中にある入口には、今日もOPENの看板が、味のある字でそれを来客に伝えていた。
「いらっしゃいませ」
昨日と同じ扉の呼び鈴が鳴り、昨日と同じ店員が、昨日と同じように出迎えてくれる。
店内も昨日と同じで、唯一の先客もまた同じ席で同じように原稿とにらめっこしていた。
「お好きな席にどうぞ」
ならば――という訳ではないが、俺も昨日と同じ席に座って、壁に背中を預けて反対側の窓の外に目をやる。
今のところ昨日と違うのは、その窓の外の天気と、先客の飲み物がアイスティーに変わっているという事ぐらいだろうか。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




