丘の町3
そのゲートというかアーチをくぐって町の中へ。併せて自転車から降りる。せっかくなので周りを見てゆっくり歩いてみよう。
恐らく元々は商店街だったのだろうが、今ではシャッター通りとなっているようなのが、道の左右にそれぞれ三軒ほど並んでいて、その向こうで小さな十字路。
「とりあえず進んでみよう」
十字路の左右を確認したが、どちらも民家が何軒か並んでいるだけで、何かあるような気配はない――ついでに言うと車両や通行人の姿もない。
だが、恐らく人は暮らしているのだろうというのは、どこかの家から漏れ聞こえて来る音楽と、十字路の向こうにある家=ちょうど俺や新川さんが暮らしているそれと同じようなそれの前に停まっている、年季の入った原チャリの姿からもなんとなく想像できた。
人の姿は見えず、シャッター通りからして住民の数も決して多くないのだろう。だがそれでも、確かにここに暮らしている人間がいる。そう思えるだけで、ここがただの建物の集まりではなく町であると思えるから不思議なものだ。
「っと」
唐突に、鼻先に冷たい感覚。
それが水だと理解したのと同時に、自転車のハンドルを押していた右手にも同じものが落ちてくる。
「降って来たか……!」
先程海の上に見えた鉛色の雲は、今では町の上にまで広がっていた。
自転車を押す手に力が入る。どこに向かうかも決まっていないのに足は小走りになって、どこかを探す――折り畳み傘を持ってくればよかったなどと軽く後悔しながら。
幸い、手頃な場所はすぐに見つかった。この町に入って二つ目の交差点。それを右折した先に少し進んだ所にある、テントに覆われた小さなウッドデッキ付きの喫茶店。
幸いそのテントの下に駐輪スペースが設けられているのも目に入って、吸い寄せられるようにそちらに足を向ける。
「いらっしゃいませ」
OPENと書かれた木の看板がかかる扉を開けると、喫茶店の入口に定番のあの鈴の音と共に、奥のカウンターから声。
それほど広くない店内。奥のカウンターの他には四人掛けのテーブル席が二つと、二人掛けのそれがいくつか。
客もその二人掛けの一つに陣取っている一人だけ。
「お一人様ですか」
「えっ……あっ」
ぱたぱた、とカウンターの奥からやってきた店員に思わず言葉が詰まる。
別に何か問題があったわけではない。ただこちらの都合だけだ。
「お好きなお席にどうぞ」
笑顔でそう言って戻っていく店員。
色白で、シャンパンゴールドの癖のないロングヘアー。ライトグリーンの瞳。
そうした要素だけではない、全体的にカンナさんによく似ていた。
まあ、とはいえそれだけだ。
カンナさんはこの町の生まれと言っていたし、もしかしたら関係があるのかもしれないが、だとして俺が色々詮索するべきことでもあるまい。そう結論付けて動揺を落ち着け、辺りを見回して近くの、壁際の二人掛けの席を選ぶと、そのまま壁を背にして腰を下ろした。
「お決まりでしたらお呼びください」
店員からメニューを受け取り、アルバムのような装丁のされたそれを開く。メニューは極めてオーソドックスな喫茶店のそれだ。
「さて……」
しばし考える。
ごく普通の喫茶店のメニューだが、雨宿りに立ち寄っただけの店で何を頼めばいいのかは案外すぐに出てこない。
好きなメニューがあるのならとりあえずそれを頼むという事になるだろうが、コーヒーにも紅茶にもこれと言って思い入れはないし、それ以外のソフトドリンクについても同様だ。
「それなら……」
指を机の端のベルに乗せると、軽く甲高い呼び鈴が響いた。
視線はやってくる店員とコーヒーの欄の一番上=ブレンドという部分を往復。
「すいません。ブレンドコーヒーを一つ。以上で」
「ブレンドをおひとつですね。かしこまりました」
メニューを回収してカウンターに戻っていく店員を目で追う。後ろ姿もカンナさんによく似ている。
恐らく一人で切り盛りしているのだろう、誰にもオーダーを伝えずに厨房になっているカウンターの向こうに彼女が入ったところで、改めて店内に視線を巡らせる。
客は俺の他にはもう一人だけ。同年代か少し上と思われる女性。肩の辺りで無造作に切り揃えられた、やや癖のある黒髪のその人は、アイスティーと思われるグラスを2/3ぐらいまで干して、手元の紙にペンを走らせている。
締め切り直前の漫画家――日本でその姿を見れば、誰でもそういう印象を受けるだろう。ここからでは何を書いているのかは分からないが、恐らく漫画であることは何となくわかった。
「「!」」
不意に、彼女が顔を上げ、お互いの視線がぶつかる。
――といって何かあるでもない。ただお互いに気まずい会釈だけを交わしてそれぞれの世界=目の前の原稿と店の奥の窓から見える景色へと戻っていく。
どうやらこの店、この丘の町の端にあるようで、俺の席の正面にある壁の大きな窓からは、まっすぐな海岸線とその向こうの海、そしてその上で寸断されている橋の残骸が良く見える。この町のある丘の、ちょうど崖っぷちの辺りにこの店が建っているようだ。
「お待たせしました」
銀のトレーに載せられた厚手のマグカップから漂う香ばしい香りで、意識をそちらに戻す。
「お砂糖とコーヒーフレッシュはお好みでご利用ください。ごゆっくりどうぞ」
「どうも」
ふわりと湯気を立てるカップを口元へ。かなり深煎りなのか、しっかりとした苦みが脳へと抜けていく。眠気を覚ますコーヒーと言っていい刺激。加えてしっかりと味わい深いコクもある。
「ふぅ……」
体の中に温かな液体が流れ落ちて、吐き出す吐息も暖かく感じる。
店内は相変わらず俺ともう一人しかおらず、唯一の店員はカウンターの向こうで洗い物。BGMには静かなラジオが流れている。
落ち着く喫茶店とは、多分こういうものをいうのだろう。
「……」
その心地いい空間の中、温かいコーヒーを口に運ぶ。
苦み走ったそれが胃に落ちていくのを感じて、それが明日以降も丘の町に来てもいいかもしれないという考えを起こさせるのに時間はかからなかった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




