新生活4
ぐるりと灯台を回って、岬の先端へ。転落防止用の柵の他には、何も遮るもののない大パノラマが目の前に現れる。
といって、特に何か特別な光景がある訳でもない。
多分元々景勝地という訳でもないのだろう、ただの岬にあるただの灯台。
そこから見える景色など、新川さんがいたあの休憩所から見える海と大して変わらない。
だがそれでも、どこまでも続く海というのは、不思議なほどに人を惹きつける力を持っている。
ここがどこなのかは未だに分からない。コミュニケーションデバイスからもたらされる情報によれば、この世界の人間は、随分昔に固有の地名というものをつけることを辞めてしまったらしい。
まあ、無理もない。他の国や地域との交流というもの自体が絶えて久しいのだ。他と区別する必要もない。ただこの世界というぐらいの意味で、コロニーという一般名詞で呼ぶだけで事足りる。
この海のずっと向こうには、多分別の大陸や島があるのだろうが、その姿も今は見ることが出来ない。
ただ延々と続く、灰色の海。一定のリズムで白波が岸壁にぶつかり、泡のように弾けて消えるぐらいの動きしかない、巨大な水。
しかし、ただそれだけの景色をぼうっと眺めるだけのことが、不思議といつまでも飽きなくて、胸ぐらいの高さにある太い柵の一番上に両腕を乗せた姿勢のまま、時が止まったようにそこに立ち続けた。
「……っと」
そよ風程度でも海風が吹き付けるのは、いい塩梅だったかもしれない。心地よい涼しさが肌寒さに変わることがなければ、もしかしたら日没までそうしていたかもしれないから。
「そろそろ帰ろうか」
誰に言うでもなく呟いた声に応えるのは、眼下の波の音だけ。
踵を返してヒップバッグから支給品のスマートフォンを取り出すと、時刻はもうすぐ14時になろうとしていた。
今から来た道を戻れば、15時には遅い昼食を始められる。朝が遅かった分、それぐらいのズレは平気だ。
もう一度灯台をぐるりとまわり込むようにして黄土色の細道を道路の方へ。むき出しの土からアスファルトに戻り、来た道を引き返していく。
単純な一本道でも行きより帰りの方がスムーズな気がするのは、ついさっき通ってきた道だからだろうか。或いは単純に、歩いているうちに空腹感を覚えたからだろうか。
行きに新川さんに出会った休憩所に差し掛かったが、彼は既にその場を離れていた。
次に来るときは彼のように上着を羽織っておくのが正解だな――無人になったその休憩所が後ろに流れていくのを見ながら、そんな考えが頭に浮かぶ。
果たしてほぼ予定通りの15時10分前、左手の崖の上に続いている小さな階段が前方に現れ、俺はただ一度しか使っていないはずのそこが、自宅――これもまだ三日しか暮らしていないが――に続く道だと直感した己の脳みそに少しだけ感心していた。
「あら、お出かけでしたか」
階段を登り切った先、朝と同じ人にご対面。
朝の格好から着替えたのか、白いパーカーに黒のスラックス姿のカンナさんが、小さな原チャリを家の方から手で押してくるところだった。
なんというか、意外な組み合わせだ。
まあ、ここから外に出るのには便利というか、丘の町という場所とどれほどの距離が離れているかは分からないが、彼女の家のすぐ脇にある坂を思えばあった方が便利なのは間違いないだろう。
「はい。ちょっと散歩に……カンナさんもお出かけですか?」
改めてみると、原チャリのハンドルにはジェットヘルメットがストラップでぶら下がっている。
「丘の町でお願いしていた整備が終わったので、引き取りに行っていました」
丘の町という言葉を聞いて、灯台に向かう途中にふと沸いてきた思いが蘇る。
「丘の町ですか……ここからどれぐらいあります?」
「うーん、この子でならすぐですけど、歩いていくと1時間ぐらいですかね」
ポン、とベージュのシートを軽く叩いて、目は我が家の後ろに広がる斜面を見上げている。片道1時間ぐらいなら何とか徒歩でも行けそうだ――今日の灯台までの散歩の結果から。
「いいところですよ。丘の町も」
その町の方向なのだろう、家の後ろの斜面の向こうに目を向けながら、彼女は思い出すようにそう付け加える。
「町といっても、そこまで大きくないですけどね。いくつかお店もありますし、居心地のいいところです」
そう語る彼女の表情は、それがただの社交辞令や宣伝文句ではないと直感させる遠い目がその町の方向に向けられていた。
「そんなに……」
「まあ、私があそこの生まれだから、そう感じるのかもしれませんけどね」
いたずらっぽくそう言って締めくくると、照れ隠しのように笑って、それから原チャリを回頭させる。
「それでは、また」
「はい。失礼します」
お互いにそう言って別れ、玄関をくぐる。
名前と顔以外ほとんど分からなかったカンナさんの情報が増えたと気づき、そしてそれに大した意味はないだろうという結論に達した俺は、いつの間にか習慣となった手洗いとうがいをしに洗面所へ。結局、遅めの昼食を始めたのはちょうど15時になった頃だった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




