第六話 混浴と絆の始まり
住民たちは俺たちを囲んで歩き出した。松明の明かりが揺れる。町の明かりが遠くに見えた。
「本当にありがとうございます!」
若い女性が何度も頭を下げる。子供たちは俺の周りをはしゃぎながら回った。
「温泉が戻るなんて、夢みたい……」
老人の一人が呟く。だが、その視線は時折スヴィーナに向いた。
スヴィーナは笑顔を作っている。だが、猫耳が時折伏せる。俺は彼女の横顔を見た。月明かりの中、銀髪が風に揺れる。首元のペンダントが光を反射した。
(何かあるんだろうか……)
だが、聞けなかった。住民たちの声が途切れない。感謝の言葉。温泉の思い出話。賑やかな声が夜の道を満たしている。
町に着いた時、広場には人が集まっていた。
「温泉が戻ったぞ!」
「この二人が魔物を倒したんだ!」
歓声が上がる。即席の宴が始まった。料理が運ばれてくる。焼いた肉の匂い。果物の甘い香り。酒の入った杯が俺の前に置かれた。
町長らしき男が前に出た。白髭を蓄えた老人。彼は深々と頭を下げる。
「感謝の言葉もございません。明日、復活した温泉に、どうかお二人をお招きしたい。我が国の混浴で、疲れを癒していただきたいのです」
「ああ、ありがとうございます」
俺は頷いた。混浴。温泉に入るのか。それなら助かる。体中が痛い。
(温泉か……久しぶりだな)
スヴィーナを見た。彼女は一瞬、表情を曇らせた。だが、すぐに笑顔を作る。
「……ありがとうございます」
小さな声。猫耳が伏せたまま、元に戻らない。
宴は夜遅くまで続いた。住民たちは次々に話しかけてくる。俺は応じたが、スヴィーナの様子が気になった。彼女は控えめに笑い、短く答えるだけ。
宴が終わり、俺たちは宿屋に案内された。木造の建物。階段を上がり、廊下を歩く。町長が二つの部屋の前で立ち止まった。
「どうぞ、ごゆっくり」
町長は去っていく。廊下に二人だけが残された。
スヴィーナは自分の部屋の扉に手をかけた。それから、俺を見る。
「……おやすみ、マックス」
短い言葉。扉が閉まる音。廊下に静寂が戻った。
俺は自分の部屋に入った。ベッドに倒れ込む。体が沈む。天井を見上げた。
(スヴィーナ、何かあるんだろうな……)
だが、考える余裕もなく、眠りに落ちた。
◇
朝、宿屋の前で町長と住民たちが待っていた。
「おはようございます! さあ、温泉へご案内しましょう」
俺は頷いた。スヴィーナは隣に立っている。普段通りの様子。猫耳がぴんと立っていた。
(昨夜の様子は……気のせいだったのか?)
温泉へ向かう道を歩く。住民の一人が話し始めた。
「混浴は我が美人国の伝統なんです。男女が一緒に湯に浸かり、心を開く。それが美の源だと言われています」
「へえ……」
俺は相槌を打った。それから、言葉の意味が理解できた。
(……え? 男女が一緒に?)
顔が熱くなる。スヴィーナを見た。彼女は涼しい顔をしている。
「この国では普通だよ、マックス」
「そ、そうなのか……」
「うん。温泉は神聖な場所だから」
スヴィーナは当たり前のように答えた。俺は視線を逸らす。
(落ち着け……文化の違いだ。文化の……)
だが、心臓の音が大きい。
温泉に着いた。昨夜とは違う。朝日の中、湯気が立ち上っている。透明な湯が静かに揺れていた。
脱衣場に案内された。木の香りがする。湯気が流れ込んでくる。湯気の温かさが肌に触れた。住民たちは先に入っていく。笑い声が聞こえる。
俺とスヴィーナだけが残された。
スヴィーナは自然に服を脱ぎ始めた。白い旅装束が床に置かれる。銀髪が背中に流れた。
俺は視線を逸らした。壁を見る。木目を数える。
「マックス、大丈夫?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、先に入ってるね」
足音が遠ざかる。湯に入る音。それから、小さな吐息。
(……行くしかないか)
俺も服を脱いだ。勾玉だけは首に残す。深呼吸して、温泉に向かった。
湯に足を入れる。熱い。だが、心地よい熱さ。体がゆっくりと沈む。
スヴィーナは少し離れた場所に座っていた。湯気が彼女を包んでいる。銀髪が湯に浮かんだ。
住民たちは別の場所で談笑している。俺たちの周りには、誰もいない。
しばらく、沈黙が続いた。湯の音だけが響く。
スヴィーナが湯面を見つめている。青い瞳が揺れる水面を追っていた。
「……ずっと一人で戦ってきた」
小さな声。俺は彼女を見た。
「誰も信じられなかった。裏切られるのが怖くて」
スヴィーナの猫耳が伏せる。湯気の中、彼女の横顔が寂しそうに見えた。
「でも、昨日……マックスと一緒に戦えた。初めて、誰かを信じられた気がした」
俺は湯面を見た。自分の顔が映っている。歪んだ顔。
「……俺も、一人だった」
言葉が口から出た。自分でも驚く。
「元の世界で、仲間を守れなかった。だから、もう誰も頼れないと思ってた」
スヴィーナが俺を見た。青い瞳が真っ直ぐに向いている。
「でも、お前と戦って……少しだけ、変わった気がする」
「マックス……」
スヴィーナが微笑んだ。それから、少しだけ近づいてくる。猫耳が俺の肩に触れた。柔らかい感触。
「今度は一緒に守り合おう。一人じゃない」
「……ああ」
俺は頷いた。肩の力が抜ける。湯の温かさが体に沁みた。
二人は沈黙の中で湯に浸かり続けた。話す必要はなかった。ただ、隣に誰かがいる。それだけで、何かが違う。
(……心が、軽い)
湯から上がる時、スヴィーナのペンダントが湯気の中で光った。銀色の鎖。だが、刻印は見えない。
彼女は何も言わなかった。俺も聞かなかった。
宿屋に戻る道を歩く。スヴィーナは隣を歩いていた。猫耳が風に揺れる。
「次は、どこへ行くの?」
「次の国だ。まだ八十七か国残ってる」
「……一緒に行ってもいい?」
スヴィーナが俺を見上げた。青い瞳が真っ直ぐに向いている。
「もちろんだ」
俺は答えた。スヴィーナが笑う。今度は、寂しそうじゃない笑顔だった。
宿屋の前で、町長が待っていた。彼は地図を広げる。
「次の国はルーガリア公国――通称『獣人の国』です。ですが……」
町長の表情が曇った。
「最近、奴隷商人が出没しているという噂があります。どうか、お気をつけて」
奴隷商人。俺は眉をひそめた。スヴィーナの猫耳が伏せる。
「……気をつけよう、マックス」
「ああ」
翌朝、俺たちは美人国を出発した。次の国へ向かう道。ルーガリア公国――獣人の国。
だが、奴隷商人の噂が頭から離れなかった。




