第五話 美人国と銀髪の猫耳少女
街道は三日間続いた。歩きながら、俺は勾玉を握りしめる。青い光が掌の中で脈打つ。村での戦いが脳裏に蘇る。魔物の一撃。逃げ出した黒い影。半分しか解放できなかった温泉。
(次は完全に解放する。そのためには……)
仲間が必要だ。一人では儀式と戦闘を同時にこなせない。村長の言葉を思い出す。美人国は温泉が有名だった。なら、そこにも魔物がいるはずだ。そして、戦える者がいるかもしれない。
三日目の夕刻、街道沿いに小さな泉を見つけた。水は澄んでいて、周囲に獣の気配はない。ここで野営しよう。俺は荷を下ろし、焚き火の準備を始めた。
枯れ枝を集め、石で囲む。火打石を叩くと、火花が散った。
地図を広げる。泉の水面に映る夕日が、羊皮紙を赤く染めた。美人国まで、あと半日ほどの距離だ。明日の昼には着くだろう。
その時、遠くから音が聞こえた。
獣の鳴き声。金属が何かに当たる音。そして、断続的な破裂音。
戦闘だ。
俺は立ち上がり、音の方向を見つめた。森の奥。光が明滅している。魔力の残滓が風に乗って流れてくる。硫黄の匂いが混じっていた。
(温泉が近い)
勾玉が熱を帯びる。俺は荷を泉の傍に残し、走り出した。
枝を踏む音。息が上がる。森を抜けると、視界が開けた。
そこに温泉の遺跡があった。石造りの湯船が崩れかけている。湯は枯れ、底に黒いヘドロが溜まっていた。
そして、その中央に巨大な魔物がいた。前回より大きい。三メートルはある黒い塊。触手のような腕が四本、地面を叩いている。
魔物の前に、一人の少女が立っていた。銀髪が薄暮の光に揺れている。頭には猫の耳。青い瞳が魔物を睨んでいた。
小柄な体に、白い旅装束。腰には細い剣。少女は身軽に跳躍し、魔物の腕を斬りつけた。
鋭い金属音。魔物が吠える。だが、斬られた腕はすぐに再生した。黒いヘドロが盛り上がり、元通りになる。
少女は舌打ちし、再び跳んだ。素早い動き。猫のような身のこなし。だが、攻撃は効いていない。
魔物の腕が少女を薙ぎ払う。彼女は剣で受け止めたが、衝撃で後ろに飛ばされた。地面に膝をつく。猫耳が伏せる。
(このままじゃ……)
俺は勾玉を握り、遺跡へ駆け出した。足音が響く。少女が振り返った。青い瞳が俺を捉える。驚きと警戒が混じった表情。
「邪魔するな!」
少女が叫ぶ。だが、俺は止まらなかった。魔物と少女の間に割って入り、勾玉を掲げる。青い光が溢れ出した。
「温泉解放の儀式を行う。俺が儀式をしている間、魔物を引きつけてくれ!」
少女は一瞬、俺を見つめた。猫耳がぴくりと動く。それから、小さく頷いた。
「……分かった」
彼女は再び剣を構える。
俺は勾玉に意識を集中させた。映像が流れ込んでくる。手順。言葉。流れる魔力の道筋。
「古き湯よ、封じられし命よ、今ここに解放を」
詠唱が始まる。勾玉から光の糸が伸び、温泉の遺跡を包んだ。
魔物が吠える。だが、その動きが鈍くなった。触手の動きが遅い。
少女が動いた。風を切る音。銀髪が翻る。剣が魔物の腕を斬り裂いた。今度は再生が遅い。黒いヘドロが盛り上がる前に、彼女は次の一撃を叩き込む。
「効いてる……!」
少女の声に驚きが混じる。彼女は跳躍し、魔物の頭部に斬りつけた。深い傷。魔物が後退する。
俺は詠唱を続けた。汗が額を伝う。勾玉が熱い。光の糸が太くなり、遺跡全体を覆っていく。
地面が震えた。湯船の底から、かすかに湯の音が聞こえる。
魔物が咆哮した。全ての腕が一斉に少女を襲う。彼女は剣を構えたが、四本すべてを防ぐのは無理だ。
(間に合わない!)
その時、少女は剣を捨てた。いや、投げた。剣が回転しながら魔物の目に突き刺さる。魔物がよろめいた隙に、少女は突き刺さった剣を引き抜いた。
そして、俺の前に立つ。
「儀式を続けて!」
少女の背中が見える。小さな肩。だが、揺らいでいない。
魔物の腕が振り下ろされる。彼女は両手を突き出した。爆発が起きた。光と熱。魔物の腕が吹き飛ぶ。少女の手から魔力の残滓が散った。彼女は荒い息をつきながら、立ち続けている。
俺は詠唱の最終段階に入った。勾玉が眩い光を放つ。光の糸が遺跡の底に届く。
「解き放て、命の源を!」
湯が噴き出した。
温泉の底から、熱い湯が溢れる。硫黄の匂いが濃くなる。湯気が立ち上り、魔物を包んだ。魔物が悲鳴を上げる。体が溶けていく。黒いヘドロが湯に流され、消えていく。
少女が剣を拾い、跳躍した。銀髪が湯気の中で輝く。剣が魔物の中心を貫いた。
魔物が爆ぜた。黒い破片が飛び散り、湯に落ちて消える。後には何も残らなかった。ただ、温泉だけが静かに湯を湛えている。
俺は膝をついた。全身から力が抜ける。勾玉の光が消えた。
少女も地面に座り込んだ。肩が上下している。猫耳が疲労で垂れ下がっていた。
しばらく、二人とも動けなかった。ただ呼吸を整える。湯の音だけが響いている。温かい湯気が肌に触れた。
「……初めて、勝てた」
少女が呟いた。小さな声。青い瞳が温泉を見つめている。
「一人じゃなかったから」
俺は答えた。少女が顔を上げる。猫耳がぴくりと動いた。
「あなた、誰?」
「マックス。温泉を解放している」
「……温泉を?」
少女は不思議そうに首を傾げた。それから、小さく笑う。
「わたしはスヴィーナ。……ありがとう、マックス」
その時、遠くから声が聞こえた。
「湯気だ! 温泉が戻った!」
「本当に湯が出ている!」
人々が駆けてくる。老人、若い女性、子供たち。美人国の住民だろう。彼らは温泉を見て歓声を上げた。
「何年ぶりだ……」
老人の一人が呟く。そして、その老人の視線がスヴィーナに向いた。老人の動きが止まる。口が開きかけて、閉じる。
スヴィーナは老人を見て、表情を硬くした。猫耳が伏せる。彼女は視線を逸らし、立ち上がった。
「……久しぶりに、この国に来た」
小さな呟き。俺だけに聞こえる声。スヴィーナの首元に、古いペンダントが見えた。銀色の鎖。だが、刻印までは見えない。
住民たちが俺たちに駆け寄ってくる。感謝の言葉。町への招待。俺は頷いたが、スヴィーナを見た。
彼女は笑っていた。だが、その笑みは少しだけ、寂しそうだった。




