第四十七話 八十七か国目と最後の準備
五人が抱き合ったまま、しばらく沈黙が続いた。
温泉の湯気が、夜空へ昇っていく。硫黄の匂いが鼻をくすぐった。
星明かりが湯面に揺れている。
(残り二か国……長い旅だった)
俺は仲間たちの顔を見回した。
スヴィーナの銀髪が月光を反射している。パティの犬耳がぴくりと動いた。
クラリスは目を伏せて、まだ涙の跡が頬に残っていた。ディアナが静かに微笑んでいる。
「さて」
俺は咳払いをした。
「明日の朝、出発しよう。八十七か国目は火山地帯だ。十日はかかる」
「十日……」
スヴィーナが呟いた。猫耳が小さく揺れる。
「そんなに遠いの?」
「地図で見る限りはな。山を越えて、川を渡って、砂漠を抜ける」
パティが「うへー」と声を上げた。
「砂漠! 暑そう!」
「火山地帯はもっと暑いぞ」
俺は苦笑した。
クラリスが顔を上げた。緑の瞳が揺れている。
「あの……私も、意見を言ってもいいですか?」
「当たり前だろ」
俺は即答した。
「お前は仲間だ。遠慮するな」
「……はい」
クラリスが小さく頷いた。彼女は杖を握りしめて、言葉を選ぶように口を開く。
「火山地帯の温泉は、おそらく溶岩の熱を利用しています。魔物も炎の属性を持っているはずです。水の魔法で対処できますが、熱気が厳しいでしょう」
「なるほど」
俺は頷いた。
「じゃあ、耐熱の装備を準備しないとな」
「あたし、暑いの苦手なんだよね……」
パティが犬耳を垂らした。
スヴィーナがくすりと笑う。
「大丈夫よ。私が風の魔法で涼しくしてあげる」
「本当!? ありがとう、スヴィーナ!」
パティが尻尾を振った。
ディアナが温泉から上がりながら言った。
「では、明日の朝まで休みましょう。長旅になります」
「そうだな」
俺も温泉から上がった。身体が芯から温まっている。
五人で宿へ戻る道すがら、クラリスが俺の隣を歩いた。
「マックス」
「ん?」
「……ありがとうございます」
彼女の声が震えていた。
「私を、仲間として受け入れてくれて」
「気にするな」
俺は彼女の肩を軽く叩いた。
「お前がいなきゃ、ここまで来られなかった」
クラリスが微笑んだ。初めて見る、心からの笑顔だった。
◇
翌朝、宿の食堂で朝食を囲んだ。
焼きたてのパンの香ばしい匂いが広がっている。スープの湯気が立ち上り、テーブルに置かれた果物が朝日を浴びて輝いていた。
俺は地図を広げて、旅程を確認する。
「ここから東へ三日、山を越える。そこから川沿いに二日南下して、砂漠を三日横断。最後に火山地帯へ二日で到着だ」
「合計十日ね」
スヴィーナがパンをちぎりながら言った。
「食料と水は足りる?」
「途中の村で補給できる。問題ない」
パティがスープをすすりながら尋ねた。
「火山地帯って、どんなところなの?」
「溶岩が流れてて、地面が熱いらしい」
俺は地図の端に書かれた注釈を読み上げた。
「普通の靴じゃ歩けないって書いてある」
「うわー、大変そう」
クラリスが静かに口を開いた。
「火山地帯の温泉は、八十八か国の中でも特に強力な魔力を持っています。魔物も相応に強いでしょう」
「でも、あたしたち五人なら大丈夫だよね!」
パティが笑顔で言った。
スヴィーナが頷く。
「そうね。今の私たちなら、どんな魔物が相手でも負けないわ」
ディアナが果物を口に運びながら微笑んだ。
「五人の連携は完璧です。きっと大丈夫」
(そうだな……五人なら、きっと)
俺は仲間たちの顔を見回した。
クラリスが遠慮がちに、でも確かな意志を込めて言った。
「私も、全力で戦います」
「頼りにしてるぜ」
俺は笑った。
朝食を終えて、五人で出発準備を整える。
旅装束を確かめ、武器を点検し、食料と水を詰める。
宿の主人が見送ってくれた。
「気をつけてな。火山地帯は危険だ」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
五人で古代都市遺跡を後にする。石畳の道が朝日に照らされて、影が長く伸びていた。
◇
十日間の旅は、予想以上に過酷だった。
山道は険しく、岩が足場を削る。川の流れは速く、渡るのに半日かかった。
砂漠の熱気は容赦なく、夜は凍えるほど冷えた。
だが、五人で支え合いながら進んだ。
スヴィーナの風の魔法が暑さを和らげ、パティの力が荷物を運び、クラリスの魔法が道を照らし、ディアナの知恵が危険を避けた。
そして十日目の夕暮れ、ついに火山地帯が見えた。
「あれが……」
俺は息を呑んだ。
地平線の向こうに、赤い光が揺らめいている。溶岩が流れる音が、遠くから聞こえてきた。
硫黄の匂いが風に乗って鼻を突く。地面が微かに震えていた。
「すごい……」
パティが呟いた。
「本当に溶岩が流れてる……」
スヴィーナが眉をひそめる。
「あんなところに温泉があるの?」
「ああ。地図によれば、火山の麓に温泉があるはずだ」
クラリスが杖を握りしめた。
「魔力の反応が強いです。魔物がいます」
「よし」
俺は剣の柄を握った。
「行くぞ」
五人で火山地帯へ足を踏み入れる。
地面が熱い。溶岩の赤い光が辺りを照らし、影が揺れた。岩の隙間から蒸気が噴き出している。
やがて、火山の麓にある温泉跡に辿り着いた。
周囲には硫黄の匂いが立ち込めている。
そして、温泉の中央に魔物がいた。
炎を纏った巨大な獣だ。目が赤く光り、牙が溶岩のように輝いている。
咆哮が地面を震わせた。
「来たな……!」
俺は剣を抜いた。
「いつも通りだ。スヴィーナは右から、パティは左から。クラリスは後方支援、ディアナは俺と一緒に正面から!」
「了解!」
五人が一斉に動いた。
スヴィーナが風のように駆ける。猫耳が風を切り、銀髪が揺れた。彼女の短剣が魔物の脇腹を狙う。
パティが力強く跳躍した。犬耳が立ち、琥珀色の瞳が輝く。彼女の短剣が魔物の後ろ足を狙った。
クラリスが魔法を唱える。水の球が宙に浮かび、魔物へ向かって放たれた。炎が水に触れて蒸気が上がる。
ディアナが俺の横で剣を構えた。
「行きます!」
「ああ!」
俺とディアナが同時に斬りかかる。
魔物が咆哮し、炎を吐いた。だが、クラリスの水の魔法が炎を消す。
スヴィーナの短剣が魔物の脇腹を切り裂いた。パティの短剣が後ろ足を深く切り裂く。
俺とディアナの剣が、魔物の首を狙った。
魔物が崩れ落ちる。炎が消え、光が弾けた。
「やった……!」
パティが歓声を上げた。
魔物が消滅し、温泉を覆っていた黒い霧が薄れていった。
俺は胸の青い勾玉を握りしめ、源泉の前に立った。
「温泉神よ、この地に眠る泉を、再び解き放て!」
勾玉から青い光が溢れ、源泉を覆っていた封印が解けていく。
やがて湯が透明になり、温かな湯気が立ち上った。硫黄の匂いが辺りに広がる。
「八十七か国目……」
俺は呟いた。
「解放完了だ」
五人が顔を見合わせる。
スヴィーナが微笑んだ。
「完璧な連携だったわね」
「うん! あたしたち、最強!」
パティが尻尾を振った。
クラリスが静かに頷く。
「皆さんのおかげです」
ディアナが温泉を見つめた。
「美しい……火山の温泉は、初めて見ました」
「よし」
俺は剣を鞘に収めた。
「今夜は、ここで休もう。混浴だ」
「賛成!」
パティが真っ先に服を脱ぎ始めた。
◇
夜の火山地帯は、不思議な美しさがあった。
溶岩の赤い光が夜空を照らし、星が瞬いている。温泉の湯気が立ち上り、硫黄の匂いが鼻をくすぐった。
五人で湯に浸かる。熱い。だが、心地よかった。
「残り一か国だ」
俺は空を見上げて呟いた。
「長い旅だった……」
スヴィーナが俺の隣で微笑む。
「あなたと出会えて良かった」
「……ああ」
俺は頷いた。
パティが元気に言った。
「あたしたち、最強の仲間だよね!」
「そうだな」
クラリスが静かに口を開いた。
「でも……最後の国は、これまでとは違います」
「どういうことだ?」
俺は彼女を見た。
クラリスの緑の瞳が揺れている。
「温泉神様の真の試練が待っています。おそらく、八十八か国目の温泉は……」
彼女が言葉を切った。
その時、空が光った。
「マックス様!」
声が響く。温泉国からの魔法の伝令だった。
光が俺たちの前に降り立ち、緊迫した女の声が響いた。
「最後の国の温泉が、異常な力を放っています! 急いでください!」
「何が起きているんだ!?」
俺は立ち上がった。
「詳しくは分かりません! しかし、王宮に保管されている秘宝が激しく反応しています。至急、温泉国へお戻りください!」
光が消えた。
五人が顔を見合わせる。
「温泉国へ……」
俺は呟いた。
(王家の秘宝が、最後の国と関係している……?)
スヴィーナが立ち上がった。
「行きましょう。急がないと」
「ああ」
俺は頷いた。
五人で温泉から上がる。溶岩の光が、俺たちの影を長く伸ばした。




