第四十六話 八十六か国目とクラリスの告白
「残り三か国か……」
俺は夜空を見上げた。星が瞬いている。
「早く済ませて、すべての温泉を解放しないとな」
ディアナが頷いた。
「ええ。でも焦らず、慎重に」
「あたしも賛成!」
パティが尻尾を振った。
スヴィーナは湯に身を沈めたまま、何も言わなかった。
クラリスは俯いていた。
湯気が、五人を包む。
「明日は早いぞ。もう休もう」
俺は立ち上がった。
◇
翌朝、俺たちは出発した。
八十六か国目となる、古代都市遺跡が眠る国へ向かう。
地図によれば、ここから六日間の道のりだ。
石畳の道を歩く。足音が規則正しく響いた。
「ねえマックス」
パティが話しかけてきた。
「八十六か国目って、どんなところなの?」
「古代文明の遺跡があるらしい」
俺は地図を確認した。
「昔は栄えていたが、今は廃墟になっている」
「廃墟かあ……」
スヴィーナが呟いた。
「魔物が強そうね」
「油断しないようにしよう」
クラリスが杖を握りしめた。彼女の手が、微かに震えている。
(何か、気になることでもあるのか……?)
俺は心の中で考えた。でも、今は聞かない。
彼女は最後の国ですべてを話すと言った。それまで待とう。
六日間の旅は、穏やかだった。
草原を抜け、丘を越え、川を渡る。
夜は焚き火を囲んで眠り、朝は温かいスープを飲んだ。
クラリスは、いつもより口数が少なかった。
「大丈夫?」
パティが心配そうに声をかける。
「ええ……大丈夫です」
クラリスは微笑んだ。でもその笑顔は、どこか硬い。
六日目の夕暮れ、俺たちは古代都市遺跡に到着した。
石造りの廃墟が、一面に広がっていた。
「すごい……」
ディアナが息を呑んだ。
崩れた柱、割れた石畳、蔦に覆われた壁。苔の匂いが鼻を突く。
「ここに温泉があるのか?」
スヴィーナが尋ねた。
「ああ。地図によれば、遺跡の中心部にあるらしい」
俺は地図を指差した。
五人で、遺跡の中を進む。足音が、石畳に反響した。
風が、崩れた壁を撫でる。
やがて、開けた場所に出た。
そこに、封印された温泉があった。石造りの円形の池。表面は硬い岩で覆われている。
「ここだな」
俺は勾玉を取り出した。青い光が、勾玉から溢れる。
「いつものように頼む」
俺は勾玉をかざした。光が、温泉を包む。
封印が、ゆっくりと解けていく。
その瞬間――温泉から、眩い光が立ち上った。
「なっ……!?」
俺は目を細めた。
光の中から、人影が現れる。いや、人ではない。
それは、光そのものだった。温かく、優しく、そして圧倒的な存在感。
「マックスよ」
声が、空間に響いた。低く、穏やかな声。
「よくぞここまで来た」
「……温泉神!?」
俺は驚いて叫んだ。
光が、ゆらめく。
「そして我が眷属クラリスよ」
温泉神の声が続いた。
「よくぞ彼を導いた」
「眷属……?」
俺はクラリスを見た。彼女は震えていた。杖を握る手が、白くなっている。
「やっぱり……」
スヴィーナが呟いた。猫耳がピクリと動く。
「クラリスは温泉神の……」
「そうです」
クラリスが涙を流した。
「私は温泉神様の眷属として、あなたの旅を見守るために遣わされました」
彼女の声が震える。
「あなたが仲間を信じ、困難を乗り越えられるか。それを見届けることが、私に与えられた役目の一つでした」
「役目……?」
「でも……それがすべてではありません」
クラリスは俯いた。
「残された真実は、最後の国で明らかになります。今は、まだお話しできません。でも、これだけは本当です……最初は任務でした。でも今は、あなたたちが本当の仲間です!」
「そんなの……」
パティの犬耳が垂れ下がった。琥珀色の瞳が揺れる。
「信じていいの……?」
俺は、拳を握りしめた。
クラリスの涙が、頬を伝う。
温泉神の柔らかな光が、五人を包んだ。
「クラリスは、与えられた役目の一つを果たした」
温泉神の声が響く。
「だが彼女もまた、お前たちとの絆で変わった。それが試練の意味だ」
「試練……」
俺は呟いた。
(そうか。これも、試練の一つだったのか……)
俺は、手を差し伸べた。
「クラリス」
彼女が顔を上げる。
「お前は俺たちの仲間だ。それは変わらない」
「マックス……」
クラリスが、俺の手を取った。温かかった。
彼女は泣き崩れた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
スヴィーナが溜息をついた。
「……もう、しょうがないわね」
彼女は振り返って、クラリスに歩み寄った。
「許すわ。でも二度と嘘はつかないで」
「はい……!」
「あたしも!」
パティが駆け寄って、クラリスに抱きついた。
「やっぱりクラリスは仲間だよ!」
ディアナも微笑んで、クラリスの肩に手を置いた。
五人が、抱き合う。
温泉神の光が、五人を優しく照らしていた。
「この地の温泉を解放すれば、残り二か国だ」
温泉神の声が響いた。
「最後の試練が待っている」
光が、消えていく。
「マックスよ。お前なら成し遂げられる」
温泉神の声が遠ざかった。
「信じているぞ」
光が完全に消え、静寂が戻った。
俺は再び青い勾玉を掲げ、源泉へと向き直った。
「温泉神よ、この地に眠る泉を、再び解き放て!」
勾玉から青い光が溢れ、残されていた封印が完全に解けていく。
やがて、岩に覆われていた源泉から温かな湯が湧き出した。
湯気が立ち上り、硫黄の匂いが広がった。
「残り二か国……」
俺は空を見上げた。星が、輝いていた。




