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温泉神の試練 〜八十八か国を巡る魔物退治と混浴の旅〜  作者: サンサンマツリ
第四章【結】決戦への旅立ちと、温泉神の真意、永遠の選択

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第四十五話 八十五か国目と仲間の決断


 俺は廊下を歩き続けた。足音だけが、静寂を刻む。


 自分の部屋に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。

 天井を見上げる。木の節が、じっと俺を見下ろしていた。


(クラリス……)


 あの泣き声が、耳から離れない。


 温泉神の眷属。監視されていた。試されていた。

 そう考えると、すべてが嘘に思えてくる。


 でも、一緒に戦った日々も、混浴で語り合った時間も、確かにそこにあった。


(分からない……)


 拳を握りしめる。爪が掌に食い込んだ。

 朝まで、眠れなかった。


 ◇


 食堂に降りると、スヴィーナとパティとディアナが既に座っていた。

 三人とも、無言で朝食を口にしている。クラリスの席だけが、空いていた。


 俺は席に着き、パンを手に取った。

 噛んでも、味がしない。喉を通らない。無理やり飲み込むと、胃が重く沈んだ。


 食器を置く音だけが、響く。カチャ、カチャ、という乾いた音。


 スヴィーナは俺と目を合わせようとしない。視線を皿に落としたまま、フォークを動かし続けている。

 パティは何度も目元を拭っていた。

 ディアナは窓の外を見つめたまま、紅茶のカップを両手で包んでいる。


「……今日、次の国へ向かう。深い原生林に囲まれた国だ」

 俺は低い声で言った。


 スヴィーナがフォークを置いた。金属音が響く。

「クラリスは?」


 冷たい声だった。


「……」


「置いていくの? それとも連れていくの?」


「一緒に行こうよ!」

 パティが涙声で言った。

「クラリスも仲間だよ! ずっと一緒に戦ってきたじゃん!」


「信用できない」

 スヴィーナがきっぱりと言った。

「温泉神の眷属なんでしょ? 最初から私たちを監視してたんでしょ?」


「それは……」


「違うって言えるの?」


 パティが黙り込んだ。

 ディアナがカップを置いた。


「彼女を、置いていくのですか?」


「……連れていく」

 俺は答えた。

「仲間だから」


 スヴィーナが俺を見た。青い瞳が、鋭く俺を射抜く。

「本気?」


「ああ」


「……分かった」

 彼女は立ち上がった。

「でも、信じたわけじゃないから」


 そう言い残して、部屋を出ていく。

 パティとディアナも、無言で席を立った。


 俺は一人、食堂に残された。


 ◇


 クラリスの部屋の前に立った。扉に手を当てる。

 冷たい木の感触が掌に伝わった。


「出発する」

 俺は扉越しに言った。

「一緒に来い」


 返事はない。


「……仲間だから」


 沈黙が続く。

 俺は扉から手を離そうとした。


 ガチャ、という音がして、扉が開いた。


 クラリスが立っていた。瞳が腫れている。唇が震えていた。

 青いローブの裾が、わずかに揺れている。


「……行きましょう」

 彼女は小さく言った。


 俺は頷いた。


 ◇


 森への道は、長かった。

 五人は縦一列で歩いている。俺が先頭、クラリスが最後尾。誰も会話しない。


 足音と、風が木々を揺らす音だけが続いた。


 一日目の夜、焚火を囲んだ。

 クラリスだけが、離れた場所に座っている。炎が揺れるたび、彼女の影が長く伸びた。

 まるで、俺たちから引き離されていくように。


「ねえ、一緒に座ろうよ」

 パティが声をかけた。


「大丈夫です」

 クラリスは答えた。


「……そう」

 パティは何度も振り返って、クラリスを見ていた。でも、彼女は動かない。


 スヴィーナは最初から背を向けたまま、一度もクラリスを見なかった。


 二日目も、三日目も、同じだった。

 焚火の匂いが服に染み付く。森の湿った空気が、肌にまとわりついた。


 木々の匂いが濃くなる。俺は剣の柄を握りしめ続けた。


 五日目、深い原生林の国の入口に着いた。

 巨木が立ち並び、木漏れ日が地面に斑模様を描いている。


「この先に温泉があります」

 ディアナが言った。


「行くぞ」

 俺は歩き出した。クラリスは、一歩遅れてついてきた。


 五人の距離は、縮まっていない。


 ◇


 温泉跡地に着いた。

 苔むした石が積まれ、枯れた泉が地面に口を開けている。

 木の根が石を侵食し、蔦が絡みついていた。


 俺は勾玉を取り出した。青い光が、温泉を包む。

 地面が震えた。


「来るぞ!」

 俺は剣を抜いた。


 地面が裂け、巨大な蔦が噴き出した。

 ズズズ、という音を立てて、蔦が空へ伸びる。先端に、人の顔のような瘤が浮かんでいた。


「魔物……!」


 蔦が、クラリスへ向かって伸びた。


「クラリス!」

 俺は叫んだ。


 クラリスが杖を構えるより早く、蔦が彼女の身体を絡め取った。

 ギチギチ、という音を立てて、蔦が締め上げる。


「うっ……!」

 クラリスが呻いた。


 スヴィーナとパティが、一瞬動けなかった。


 俺は駆け出した。

「お前が何者でも、今は仲間だ!」


 剣を振るう。刃が蔦を斬り裂き、緑色の液体が飛び散った。

 草の匂いが鼻を突く。

挿絵(By みてみん)

「……ちっ」

 スヴィーナが舌打ちして、魔法を放った。炎が蔦を焼く。


 パティも短剣を抜いて駆け寄り、クラリスを縛る蔦を斬った。


 俺とスヴィーナ、パティで魔物を取り囲んだ。


「一気に畳みかけるぞ!」

 俺は叫んだ。


 剣を振るい、魔法を放ち、蔦を斬り裂く。

 魔物が悲鳴を上げて、光の粒子になって消えた。


 俺は枯れた源泉の前に立ち、胸の青い勾玉を握りしめた。

「温泉神よ、この地に眠る泉を、再び解き放て!」


 勾玉から青い光が溢れ、封印されていた源泉へと広がっていく。

 やがて、温泉から湯気が立ち上った。硫黄の匂いが広がる。


 クラリスは地面に座り込んでいた。


「ありがとうございます……」

 彼女は涙を流した。


 俺は手を差し伸べた。クラリスが、その手を取る。

 温かかった。


 スヴィーナは無言で背を向けたが、去らなかった。


 ◇


 その夜、温泉に浸かった。

 五人が湯に身を沈める。湯気が顔を撫でた。


「お前の秘密は知りたい」

 俺は言った。

「でも今は、お前を信じる」


 クラリスが俺を見た。

「……本当に?」


「ああ」


「最後の国で、すべてを話します」

 彼女は言った。

「それまで待ってください」


「分かった」


 スヴィーナが湯に手を沈めた。

「信じるわ」

 彼女は言った。

「でも裏切ったら許さない」


「……はい」


「やっぱりみんな仲間だね!」

 パティが笑った。


 ディアナが微笑む。

「残り三か国です」


 俺は空を見上げた。星が、輝いていた。

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