第三十九話 氷雪国の温泉と協力の試練
五人は街道を進み続けた。森の木々が、徐々に疎らになっていく。葉が落ち、枝が細くなる。足元の土が、硬くなった。
「寒くなってきたわね」
スヴィーナが両腕を抱えた。猫耳が、冷たい風に震える。
「次の国は、氷雪国だったよな」
俺は地図を確認した。クラリスから渡された、古い羊皮紙の地図。
「ええ。正式にはフロスティア極北公国と呼ばれています。温泉国から北へ七日。氷と雪に覆われた国です」
クラリスが答えた。杖を突きながら、淡々と歩く。
「七日かぁ。まだまだだね」
パティが伸びをした。
「でも、あたしたち今なら何でも倒せる気がする!」
「油断は禁物ですよ」
クラリスが諭すように言った。
「氷雪国の魔物は、これまでと違う性質を持っているかもしれません」
「違う性質?」
俺は問い返した。
クラリスは一瞬、言葉を選ぶように黙った。そして、小さく首を振る。
「……いえ。あくまで可能性です」
その表情に、何か引っかかるものがあった。でも、追及する前にパティが声を上げる。
「あ、見て! 雪だ!」
指差した先に、白い山々が見えた。遠くに聳える、雪を被った峰。空気が、一層冷たくなる。
「本当に雪国なのね……」
スヴィーナが呟いた。猫耳が、不安そうに揺れる。
「寒いの、苦手なのよ」
「大丈夫だ。温泉があれば暖まれる」
俺は勾玉を握った。青い光が、手の中で脈打つ。
(次の温泉も、必ず解放する)
五人は歩き続けた。森を抜け、草原を越え、やがて雪原へ。七日間の旅路。
足音が、雪を踏む音に変わった。
◇
「着いたわね……」
スヴィーナが息を吐いた。白い息が、凍てついた空気に溶ける。
氷雪国の村は、雪に埋もれていた。家々の屋根に雪が積もり、煙突から細い煙が立ち上る。でも、人の気配が薄い。
「静かすぎる」
パティが警戒した。犬耳が、四方を探る。
「誰もいないのかな?」
「いえ、います」
クラリスが杖で村の中心を示した。
「あそこに」
俺たちは村の広場へ向かった。雪を踏みしめながら。冷たい風が、頬を刺す。
広場には、人々が集まっていた。青白い顔で、震えながら。
中央に、凍結した温泉があった。氷の結晶が、月光を反射して輝いている。湯気の代わりに、冷気が立ち上る。
「これは……」
俺は息を呑んだ。温泉が、完全に凍っている。氷の下に、かすかに水が見える。でも、流れは止まっていた。
「あなたたちは……」
老人が近づいてきた。村長らしい。白い髭が、凍りついている。
「旅の者です。温泉を解放するために」
俺は答えた。
村長の目に、希望の光が灯る。
「本当ですか! お願いです、どうか温泉を……」
手が震えている。寒さだけではない。恐怖と、絶望。
「氷の魔物が、温泉を封じたのです」
村長が続けた。
「私たちは、もう何日も温泉に入れない。このままでは、凍え死んでしまう」
「魔物はどこに?」
「温泉の奥に。誰も近づけません」
村長が指差した先に、洞窟の入口が見えた。氷に覆われた、暗い穴。
「分かった。俺たちが何とかする」
俺は頷いた。スヴィーナとパティも、頷く。
「すぐに倒してくるにゃ」
「任せて!」
でも、クラリスだけが黙っていた。凍結した温泉を見つめて。何かを考え込むように。
「クラリス?」
「……ええ。行きましょう」
彼女は杖を握り直した。でも、その表情には迷いがあった。
◇
洞窟の中は、氷の世界だった。壁も、天井も、すべてが氷。青白い光が、内部を照らしている。足音が、氷に反響する。
「寒い……」
スヴィーナが身を縮めた。俺は彼女の肩に手を置く。
「もう少しだ」
「うん……」
洞窟の奥に、温泉の源泉があった。巨大な氷の塊が、それを覆っている。そして、その中に。
「あれが……魔物?」
パティが呟いた。
氷の塊の中心に、透明な人型の影が見えた。青い光が、その体の中で脈打っている。美しい、そして恐ろしい存在。
「行くぞ」
俺は剣を抜いた。スヴィーナとパティも、構える。
でも、その時。
「待ってください」
クラリスが前に出た。杖を横に構えて、俺たちを制止する。
「クラリス?」
「まず、話を聞くべきです」
「話?」
「ええ。魔物を倒す前に」
クラリスの目が、真剣だった。
「なぜそんな……」
言いかけた時、氷の塊が震えた。青い光が、強くなる。そして、声が響いた。氷を震わせる、低い声。
「人間……また来たのか」
魔物が、喋った。透明な体が、氷の中で動く。
「この温泉を守っていた。人間が汚すから、封じた」
「守って……いた?」
俺は剣を握り直した。
「温泉は、生命の源。人間は、それを汚す。欲望のままに、穢す」
魔物の声が、悲しみを帯びる。
「だから封じた。清らかなまま、守るために」
「でも、人々は温泉を必要としている」
俺は言った。
「凍え死んでしまう」
「それは、人間の問題。私の知ったことではない」
魔物は冷たく答えた。でも、攻撃はしてこない。ただ、氷の中で佇んでいる。
(これは……どうすれば)
俺は戸惑った。今までの魔物は、問答無用で襲ってきた。でも、この魔物は違う。意志がある。理由がある。
「マックス」
クラリスが静かに言った。
「倒すだけが、解決ではありません」
「でも……」
「聞いてください。この魔物の言葉を」
クラリスが杖を下ろした。そして、魔物に向かって一礼する。
「私たちは、温泉を汚しません。大切にします」
「……信じられない」
魔物が答えた。
「人間は、いつもそう言う。でも、結局は汚す」
「ならば、約束しましょう」
クラリスが続けた。
「温泉を二つに分ける。一つはあなたの領域。もう一つは人間の領域」
「二つに……?」
俺は驚いた。
「そんなことが可能なのか?」
「ええ。私の魔法で」
クラリスが微笑んだ。
「温泉神の力を借りて」
その言葉に、魔物が反応した。氷の中で、青い光が揺れる。
「温泉神……」
「ええ。この方たちは、温泉神に選ばれた者です」
クラリスが俺たちを示した。
「温泉を解放し、守るために旅をしている」
魔物は黙った。長い沈黙。そして、ゆっくりと答える。
「……約束を守るなら、認めよう」
「本当ですか!」
パティが声を上げた。
「でも、汚したら。穢したら。私は再び封じる」
魔物の声が、厳しくなる。
「それは覚悟しておけ」
「分かった」
俺は剣を鞘に収めた。
「約束する。温泉を大切にする。村の人たちにも、この約束を必ず伝える」
「私たちも誓うにゃ」
スヴィーナが前に出た。猫耳を立てて、魔物に頭を下げる。
「温泉は、みんなの宝物。絶対に汚さない」
「……良い」
魔物が頷いた。
氷が、ゆっくりと溶け始める。クラリスが杖を掲げた。
「温泉の守護者よ、力を貸してください」
詠唱が響く。杖の先から、光の軌跡が放たれた。それは温泉を二つに分ける、境界線となる。
氷が割れる音。水音。湯気が立ち上り始めた。
一方には、魔物の青い光。もう一方には、透明な湯。
「これで……」
クラリスが杖を下ろした。
「共存できます」
魔物は氷の中で静かに脈打っている。もう、敵意はなかった。
「ありがとう」
俺は魔物に向かって頭を下げた。
「力だけが、解決じゃないんだな」
スヴィーナが俺の手を握った。
「成長したわね、マックス」
「……ああ」
俺は微笑んだ。新しい道を、見つけた気がした。
洞窟の外から、歓声が聞こえてくる。温泉が復活したことに、気づいたのだろう。
俺たちは洞窟を出た。
でも、クラリスだけが。
北の空を見上げて。
何かを、考え込んでいた。




