第四十話 クラリスの予感と最後の国への道
洞窟の外では、氷雪国の民たちが集まっていた。温泉が復活したことを知り、歓声を上げている。
「本当に……温泉が戻った!」
「ありがとうございます、旅の方々!」
口々に感謝の言葉が飛んでくる。俺は照れくさくて、頭を掻いた。
「いや、俺たちは……」
「マックス、素直に受け取ってあげるにゃ」
スヴィーナが俺の腕を引いた。猫耳を揺らして、にっこり微笑む。
「みんな、本当に喜んでるんだから」
「そうだよ! あたしたち、すごいことしたんだから!」
パティが尻尾を振って、俺の背中を叩いた。
(……そうだな)
俺は頷いた。素直に、受け取ろう。この感謝を。
でも、クラリスだけが。
少し離れた場所で、北の空を見上げたままだった。
金髪が風に揺れる。その横顔には、複雑な感情が浮かんでいる。
(クラリス……?)
声をかけようとしたが、民たちに囲まれて近づけなかった。
◇
氷雪国を出て、九日が経った。街道沿いの宿場町に到着したのは、夕刻のことだった。
町の入口で、俺たちの姿を見た町人たちがざわめき始める。
「あれは……!」
「温泉を解放する、伝説の旅人だ!」
「本当に来てくれたのか!」
あっという間に人だかりができた。俺は驚いて、剣の柄に手を伸ばしかける。
「落ち着いてください。俺たちは……」
「ようこそ! 我が町へ!」
町長らしき初老の男が前に出た。白い髭を蓄え、温厚そうな顔で俺たちに頭を下げる。
「噂は聞いております。八十八か国の温泉を解放する、勇者たちだと」
「勇者だなんて……」
俺は首を振った。
「俺たちは、ただ……」
「謙遜なさらず。どうか、我が町の宿と食事を受け取ってください。無償で」
「無償?」
パティが目を丸くした。
「本当にいいの?」
「ええ。あなた方がしてくださったことを思えば、これくらい当然です」
町長が微笑んだ。
俺は戸惑って、スヴィーナを見る。彼女は猫耳を立てて、小さく頷いた。
「受け取ってあげるのも、優しさにゃ」
「……分かった」
俺は町長に頭を下げた。
「ありがとうございます。ありがたく、受け取らせていただきます」
町人たちから、歓声が上がった。
俺たちは宿に案内され、温かい出迎えを受ける。部屋は広く、清潔で、窓からは夕焼けが見えた。
「すごいにゃ! こんな立派な部屋、初めてにゃ!」
スヴィーナがベッドに飛び込んだ。猫耳を揺らして、嬉しそうに笑う。
「あたしも! ふかふかだ!」
パティも続いた。犬耳と尻尾を振って、はしゃいでいる。
でも、クラリスだけが。
窓際に立って、外を見つめたままだった。
その横顔は、どこか遠くを見ている。まるで、ここにいないような。そんな表情だった。
◇
夕食後、俺たちは宿の温泉に入った。湯気が立ち上る中、スヴィーナとパティが旅の思い出を語り合っている。
「あの時の魔物、すっごく強かったよね!」
「でも、マックスが倒してくれたにゃ」
「うん! マックスはすごいんだから!」
二人の笑い声が、湯の中に響く。
俺は湯に浸かりながら、仲間たちを見渡した。
スヴィーナの銀髪が湯気に濡れて、肌に張り付いている。パティの犬耳が湯の熱で赤くなっていた。
そして、クラリスは……。
湯の表面を、指先でなぞっている。緑の瞳が、どこか虚ろだった。
「……クラリス?」
俺が声をかけると、彼女は顔を上げた。
「はい?」
「大丈夫か? なんだか、ぼんやりしてるけど」
「ああ……すみません。少し、考え事をしていました」
クラリスが微笑んだ。でも、その笑顔は。いつもより、少し寂しげに見えた。
「残りの温泉も」
俺は湯の中で拳を握った。
「みんなで解放しよう。絶対に」
「うん!」
パティが頷いた。
「あたしたち、ずっと一緒だもんね!」
「そうにゃ! みんなで最後まで!」
スヴィーナも笑った。
でも、クラリスは。
視線を逸らして、湯の表面を見つめたまま。何も、言わなかった。
◇
深夜。物音で目が覚めた。
部屋を見回すと、クラリスの寝床が空だった。
(どこに……?)
俺は服を着て、宿の外に出る。
月明かりの中、屋上に人影が見えた。金髪が風に揺れている。
クラリスだ。
俺は宿に戻り、屋上へと向かった。
彼女は北の空を見上げていた。温泉神の社がある方角。
「クラリス」
俺が声をかけると、彼女は振り返った。
月光に照らされた横顔が、どこか儚げに見える。
「マックス……起こしてしまいましたか」
「いや。それより、どうした? こんな夜中に」
「少し……眠れなくて」
クラリスが再び北の空を見上げた。星が、無数に瞬いている。
「もうすぐ、すべてが明らかになる」
「え?」
「あなたはもうすぐ、本当の試練に直面します」
クラリスが静かに言った。その声は、いつもより低く。重く。まるで、何かを覚悟しているような。
「どういう意味だ?」
俺は一歩、前に出た。
「本当の試練って……」
「いずれ、話します」
クラリスが俺を見た。緑の瞳に、星明かりが映っている。
「でも、今はまだ……」
「クラリス、お前……」
「大丈夫です。心配しないでください」
彼女が微笑んだ。でも、その笑顔は。悲しみを、隠しているように見えた。
俺は拳を握った。何か、言わなければ。でも、言葉が出てこない。ただ、クラリスの横顔を見つめることしかできなかった。
夜風が吹いて、彼女の金髪を揺らす。
夜の静寂の中、俺の胸に。
不安が、広がっていった。




