第三十七話 仲間の赦しと新たな誓い
窓の外が白む。東の空が、薄紅色に染まっていく。
鳥の声が、遠くから静かに聞こえてきた。医療室の冷えていた空気が、少しずつ温かくなっていく。
スヴィーナが、マックスの手を固く握ったまま船を漕いでいた。猫耳が時折ピクリと動く。パティは椅子に座ったまま机に突っ伏し、犬耳が力なく垂れている。クラリスだけが窓際に立ち、じっと朝日を見つめていた。
マックスの指が、かすかに動いた。
スヴィーナの手の中で、微かな力が戻る。
「……ん」
低い呻き声。
スヴィーナの目がパッと開いた。猫耳がピンと立つ。
「マックス……!?」
マックスの重い瞼が、ゆっくりと持ち上がった。
朝日が眩しい。視界が白く滲む。天井の木目が、少しずつはっきりとしてきた。
「……ここは」
声が、掠れていた。喉が猛烈に渇いている。
「医療室よ」
スヴィーナの泣きそうな声が、すぐそばで聞こえた。
マックスは首を少し動かした。全身に激痛が走る。体が鉛のように重かった。
スヴィーナが、マックスの手を両手で包み込んでいる。目が真っ赤だ。銀髪が乱れ、服にしわが寄っていた。
「……お前、ずっと寝てないのか」
「起きたのね!」
パティの声が弾けた。ガタッと椅子が倒れる音がする。犬耳の少女が、ベッドに夢中で駆け寄ってきた。目の下に大きな隈がある。いつもの元気な表情に、濃い疲労の色が滲んでいた。
「マックス、大丈夫!? 痛いところは!?」
「……ああ、大丈夫だ」
嘘だった。全身が割れるように痛む。だが、それより気になることがあった。
「お前たち……ずっとここに?」
「三日間ね」
クラリスが窓際から静かに歩いてきた。ローブの裾が、床を滑る音がする。
「あなたが目を覚まさなかったからです」
三日――マックスは息を呑んだ。
「……すまない」
「謝らないで」
スヴィーナが、マックスの手をギュッと強く握りしめた。
「あなたの過去を聞いたわ」
マックスの体が、一瞬で強ばった。
「……聞いた、のか」
「うなされてたのよ。昨日の夜」
スヴィーナの青い瞳が、まっすぐマックスを見つめる。
「仲間を信じて戦ったけど、自分が弱くてみんな死んだって……」
「だから今度は、一人で戦うしかないって……」
パティが、涙声で続けた。
「そんな……そんな理由で、一人で戦ってたの……?」
マックスは思わず視線を逸らした。天井の木目を虚しく数える。喉の奥が、熱く焼けるようだった。
「……すまなかった」
声が、震えた。
「お前たちを……信じきれなかった」
「違うわ」
スヴィーナが優しく首を横に振った。銀髪がさらりと揺れる。
「あなたは私達を信じてた。信じすぎてたのよ」
「……何?」
「私達を二度と失いたくなかったんでしょ?」
スヴィーナの声が、とても優しかった。
「だから一人で戦った。一人で守ろうとした」
「でもね、マックス」
パティが、マックスの手の上に自分の手を重ねた。
「あたしたちも弱いんだよ」
犬耳が、しょんぼりと垂れる。
「マックスみたいに強くない。すぐ怖くなるし、泣いちゃうし……」
涙が、ポロポロとこぼれ落ちた。
「でも……でも一緒なら、強くなれる!」
パティの暖かい涙が、マックスの手に落ちる。
「一人で戦うより、一緒に戦った方が、ずっとずっと強いんだよ!」
マックスの固く握られていた拳が、少しずつ解けていった。荒かった呼吸が、深くなっていく。
クラリスが、ベッドの傍らに立った。
「弱さを認めることが、本当の強さです」
穏やかな声が、静かな部屋に深く響く。
「あなたは弱さを隠して、一人で背負って戦った。でもそれは、仲間を信じないことと同じです」
「……」
「仲間に自分の弱さを見せること。助けを求めること。それができて初めて、人は本当の強さを手にできるのです」
マックスはそっと目を閉じた。涙が一すじ、頬を伝う。
(……俺は)
(弱い)
(ずっと、本当は弱かったんだ)
ガチャリと扉が開く音がした。
「目を覚ましたのですね!」
ディアナの明るい声が響いた。温泉国の王女が、トレイを持って嬉しそうに入ってくる。白い湯気が美味しそうに立ち上っていた。
「お粥を用意しました。まずは体力を回復してください」
ディアナがトレイをサイドテーブルに置く。出汁と米の温かな香りが広がった。
「それから……今夜、大温泉にご招待します」
「大温泉……?」
マックスが目を開けた。
「ええ。あなたが封印を解いてくださった、あの大温泉です」
ディアナが柔らかく微笑んだ。
「もう魔物はいません。安全に入れますよ」
「五人で入りましょう。ゆっくり話ができますから」
スヴィーナが、マックスの手を愛おしそうに握った。
「今夜、待ってるわ」
◇
夜。満天の星空が、頭上にどこまでも広がっていた。
大温泉の豊かな湯気が、月明かりに青白く浮かび上がっている。
マックスは石段を慎重に下りた。足元がまだ少しふらつく。
「無理しないでね」
スヴィーナが、マックスの腕をそっと支えた。彼女の白い肌が、月明かりに美しく光っている。
パティが先に湯に浸かっていた。
「あったかーい! 気持ちいいー!」
犬耳が嬉しそうにピョコピョコ揺れる。
クラリスが静かに湯に入った。金髪が湯面に美しく広がる。
「……良い湯です」
ディアナが最後に入り、満足そうに深く息をついた。
「ようやく、我が国の宝が戻りました」
マックスも静かに湯に身を沈めた。心地よい温もりが、全身の細胞に染み込んでいく。硫黄の匂い。石の滑らかな感触。波打つ美しい湯面。星空が、湯面にキラキラと映っていた。
「……俺は」
マックスが口を開いた。湯面を見つめたまま。
「俺は、弱い」
声が、微かに震えている。
「一人じゃ、何もできない」
拳を強く握りしめると、温かい湯が溢れ出た。
「だから……お前たちの力が、必要だ!」
心地よい沈黙。湯の湧き出る音だけが、静かに響く。
「やっと言ってくれたのね」
スヴィーナが、優しく微笑んだ。猫耳が、嬉しそうにパタパタ揺れる。
「待ってたのよ、その言葉」
「一緒に戦おう!」
パティが、元気よく叫んだ。
「あたしたち、仲間だもん!」
犬耳が、ぴょこぴょこと跳ねる。
「ええ。私達は仲間です」
ディアナが、優しく頷いた。
「あなた一人の戦いではありません」
クラリスが、夜空を見上げた。
「これからが、本当の試練です」
静かな声が、夜風に溶けていく。
「でも、あなたにはもう仲間がいる」
クラリスの視線が、ふっと北の空へ向いた。
温泉神の社がある方角。
一瞬、彼女の表情が曇る。眉が、わずかに寄せられた。
「……」
スヴィーナの猫耳が、クラリスの方を向いた。でも、問いかける前に。
「明日は出発の準備をしましょう!」
ディアナの明るい声が、場の空気を華やかに変えた。
「次の国へ向かうのでしょう?」
「ああ」
マックスが強く頷いた。
「まだ、解放すべき温泉はたくさん残ってる」
「今度は絶対に一緒ね!」
スヴィーナが、マックスの肩にそっと寄りかかった。
「もう一人で戦わせないから」
「絶対に!」
パティが拳を元気に突き上げた。バシャッと湯が飛び散る。
五人の幸せな笑い声が、夜空に高く響いた。
星が、静かに、優しく瞬いている。
ただ一人、クラリスだけが北の空を見つめていた。
その綺麗な唇を、わずかに噛み締めながら――。




