第三十二話 仲間との亀裂と孤独な決意
扉の向こうで、足音が小さく動いた。
「マックス……」
スヴィーナの声が、扉越しに聞こえる。いつもより低く、微かに震えていた。
「私達、ずっとここにいるから。話したくなったら、いつでも……」
その声がふっと途切れる。重い沈黙が流れた。
俺は膝を抱えたまま、硬い扉に背を預けている。月明かりが窓から差し込み、床に青白い光を落としていた。
「マックス」
今度はパティの声だ。
「あのさ、あたしたちも一緒に考えようよ。一人で抱え込まないで……」
その声は無理に明るさを装っているが、裏に深い不安が滲んでいる。
「お願い、開けて……」
だが、俺は答えなかった。喉が石のように固まっている。
(何を言えばいい……? 俺が仲間を守ろうとして、全部壊したんだ)
クラリスの静かな声が響いた。
「マックス様。今は無理に話さなくてもいい。ただ、一人で決めないでください」
その言葉が、胸に突き刺さる。だが、俺は膝を抱えたまま、深く顔を伏せた。冷たい床の感触が、頬に伝わってくる。
やがて、足音が遠ざかっていった。三人分の気配が、廊下の向こうへ消えていく。
静寂が、部屋を満たした。
俺は勾玉を固く握りしめた。温かいはずの石が、今は冷たく感じる。
(俺が強ければ、こんなことには……)
月明かりが床に落とす影を揺らしている。窓の外から、遠くで犬の遠吠えが悲痛に聞こえていた。
◇
朝日が窓から差し込み、埃が光の中で静かに舞っている。
俺は窓辺に立ち、外を見つめていた。王都の街並みが、朝靄の中に白く霞んでいる。遠くで鐘の音が鳴り、市場が開く時刻を告げていた。
扉が静かにノックされた。
「マックス、入るわよ」
スヴィーナの声だ。返事を待たずに、扉が開く。
彼女は部屋に入り、俺の背中を見つめた。その緊張した気配が、空気の流れで分かる。
「一緒に考えよう」
その声は、いつもよりずっと真剣だった。
「私達、ずっとマックスと一緒に戦ってきたでしょ? 今回だって、みんなで――」
「俺一人の問題だ」
俺は窓の外を見つめたまま、低く答えた。
「お前たちには、関係ない」
スヴィーナの息を呑む音が聞こえた。
「そんな……」
扉が再び開き、パティが飛び込んできた。
「関係ないって、何言ってんの!」
その声は、いつもの明るさをすっかり失っている。
「あたしたちも戦える! 一緒に――」
「お前たちを、二度と危険にさらせない」
俺は振り返り、二人を見た。
パティの琥珀色の瞳が、驚きとショックに見開かれている。スヴィーナは、俺に向かって縋るように手を差し出していた。
「マックス……」
だが、俺はその手を見ないように視線を外した。冷たく顔を背け、再び窓の外へ向ける。
「次は、俺が一人で片付ける」
「待ってください」
クラリスが入ってきた。その足音は静かで、床をほとんど鳴らさない。
「仲間を信じることが、試練かもしれません」
彼女は俺の横に立ち、同じように窓の外を見た。
「一人で戦うことが、本当に正しいのですか?」
その言葉が、胸の奥深くに突き刺さる。だが、俺は頑なに首を横に振った。
「これは、俺の戦いだ」
三人に背を向け、扉へ歩く。
「一人にしてくれ」
スヴィーナの瞳に、大粒の涙が浮かんでいるのが見えた。パティは拳を握りしめ、唇をかみ締めている。クラリスは、静かに俺を見つめていた。
三人はそれ以上何も言わずに、部屋を出て行った。扉が閉まる音が、やけに重く大きく響いた。
◇
昼下がり、俺は宿を抜け出し、王宮の庭へ足を運んだ。庭には誰もいなかった。
噴水の水音だけが、静かに響いている。石畳の上を歩くと、足音が庭全体にむなしく広がっていく。
俺は噴水の前で立ち止まった。水が、陽光を反射してキラキラと煌めいている。
(なぜ、俺は……)
水音を聞いていると、忘れたいはずの記憶が蘇ってきた。
激しい雨の音。絶望の悲鳴。倒れていくかつての仲間の姿――。
突然、呼吸が激しく乱れた。胸が激痛で締め付けられ、空気がうまく吸えない。手が震え、膝からガクガクと力が抜けていく。
俺は噴水の縁に必死に手をつき、そのまま膝をついた。冷たい石の感触が、掌に強く伝わってくる。
(あの時、俺が強ければ……!)
風が吹き抜け、木の葉がカサカサと揺れる。鳥の鳴き声が、どこか遠くで響いていた。
やがて、荒い呼吸が少しずつ落ち着いてきた。俺はゆっくりと立ち上がり、空を見上げる。雲ひとつない青い空が、どこまでも広がっていた。
(二度と、同じ過ちは繰り返さない)
俺は固く拳を握りしめた。
(次は、俺一人で終わらせる)
◇
夜。俺は四人を食堂に呼び出した。
テーブルには誰も座っていない。蝋燭の小さな炎が揺れ、黒い影が壁にゆらゆらと踊っている。
やがて、扉が開いた。
スヴィーナ、パティ、クラリス、そしてディアナが入ってくる。四人は不安に満ちた顔で、椅子についた。誰も何も言わない。
俺は立ったまま、四人を見つめた。
「次は、俺一人で魔物を倒す」
スヴィーナの顔が、一瞬で蒼白になった。
「マックス……そんな……」
一すじの涙が、彼女の頬を静かに伝う。
パティが勢いよく立ち上がった。
「待ってよ! あたしたちも――」
「決めたことだ」
俺は彼女の言葉を途中で遮った。
「お前たちは、ここで待っていてくれ」
クラリスは、静かに俺を見つめている。その深い緑の瞳が、何かを問いかけているようだった。
ディアナが震える声で訴えかけてきた。
「時間が……ありません」
その声は、焦りと恐怖に満ちている。
「魔物は強化されています。一人では――」
「分かってる」
俺は四人に背を向け、扉へ向かった。
「だからこそ、俺が行く」
背後で、誰かが必死にすすり泣く声が聞こえた。だが、俺は絶対に振り返らなかった。
扉を開け、廊下へ出る。重い足音が、静かな夜の宿に響いていく。
部屋に戻ると、窓から冷たい月が見えた。
(これでいい……)
勾玉を握りしめ、俺はそっと目を閉じた。
(これが、俺の戦いだ)




