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温泉神の試練 〜八十八か国を巡る魔物退治と混浴の旅〜  作者: サンサンマツリ
第三章 【転】裏切り、最大の失敗、そして仲間の許しと真の結束

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第三十一話 大温泉の封印と最強の魔物


 ディアナの案内で、俺たちは大温泉へと続く山道を登っていた。


 王都を出て半刻ほど歩いただろうか。道は次第に険しくなり、足元の石が転がる音が響く。暗雲は空全体を覆い、風が冷たくなってきた。草の匂いが薄れ、代わりに湿った土の匂いが鼻をつく。


「もうすぐです」


 ディアナが前を歩きながら言った。その声は固く張り詰めている。


 山道を登り続けると、やがて巨大な石造りの遺跡が見えてきた。崩れかけた柱が何本も立ち並び、中央には湯気の上がるとてつもなく大きな池がある。だが立ち上る湯気は黒ずんでおり、水面は不気味に濁っていた。


「これが、大温泉……」


 スヴィーナが息を呑んだ。遺跡全体から、肌が泡立つような静けさが漂っている。鳥の声も虫の音も一切聞こえない。風だけが、崩れた石の間を不気味に通り抜けていく。


「封印が、弱まっています」


 クラリスが呟いた。


「魔物の気配が、強すぎます……」


 俺も感じていた。胸の勾玉が熱を持ち始めている。ディアナが首から下げたペンダントも、微かに光を放っていた。


「始めましょう」


 ディアナが池の前に立ち、ペンダントを高く掲げた。俺も勾玉を握りしめる。スヴィーナ、パティ、クラリスの三人が周囲を固め、警戒の目を光らせている。


 ペンダントと勾玉が強く共鳴し始めた。光が激しさを増し、熱が手のひらにダイレクトに伝わってくる。封印の古文字が池の周囲に浮かび上がり、一つずつ消えていく。


 ズズズ……と激しい地響きがした。池の水面が激しく波立ち、黒い泡が次々と湧き上がる。そこから、想像を絶する巨大な影が姿を現した。


「なっ……!」


 予想を遥かに超える大きさだった。三階建ての建物ほどもある異形の黒い塊が、ゆっくりと立ち上がる。無数の触手がうねり、ギラギラとした赤い眼が俺たちを見下ろしている。空気が震え、耳が痛くなるほどの低い唸り声が周囲に響き渡った。


「こんなはずじゃ……!」


 ディアナの声が激しく震えている。


 魔物が巨大な触手を一斉に振り上げた。


「散れっ!」


 俺が叫ぶと同時に、触手が地面を叩きつけた。


 ドォンッ!という凄まじい轟音と共に石畳が砕け、岩の破片が激しく飛び散る。スヴィーナが悲鳴を上げて横に飛び、パティが地面を必死に転がる。クラリスが即座に防御魔法を展開するが、次の一撃で光の壁があっけなく砕け散った。


「くっ……!」


 クラリスが膝をつく。


 魔物は俺たちを無視して、四人娘に狙いを定めた。次々と獰猛な触手が襲いかかる。パティがまともに吹き飛ばされ、太い石柱に激しく叩きつけられた。鈍い音がして、パティがそのまま地面に崩れ落ちる。


「パティ!」


 スヴィーナが駆け寄ろうとするが、別の触手が彼女の足首を固く捕らえた。


「きゃあっ!」


 スヴィーナが宙に高く持ち上げられる。血の匂いが風に乗って運ばれてきた。


(このままじゃ、みんなが……!)


 俺は激しく迷った。儀式を続けるべきか。それとも、仲間を守るべきか。


 クラリスが立ち上がり、必死に魔法を放つ。だが魔物の動きは止まらない。スヴィーナが苦しそうに喘ぎ、パティは倒れたまま動かない。


(儀式を完成させれば、封印が解ける。でも、それまでにみんなが殺される……!)


 手が震えた。勾玉を握る力が緩む。


 ディアナが叫んだ。


「マックス様、儀式を! 止めないでください!」


 だが、俺の体は勝手に動いていた。


「やめろっ!」


 勾玉を握りしめ、全力で魔物に向けて聖光を放つ。


 青い光が魔物の巨体を貫き、スヴィーナを捕らえていた触手が弾け飛んだ。

挿絵(By みてみん)

スヴィーナが地面に落ち、激しく咳き込む。


 魔物が怯んだ。赤い眼が俺を睨みつけ、不気味な笑い声を上げた。そして、濃い黒い霧に包まれて姿を消した。


 ◇


 静寂が戻る。


 だが、封印は半分しか解けていなかった。池の周りに浮かんでいた文字が、中途半端に残ったまま固まっている。そして、残された封印から不穏な黒い光が漏れ出し、周囲の空気が重く澱んでいく。


「なぜ……!」


 ディアナがその場に膝をつき、顔を覆った。


「なぜ儀式を止めたんですか!」


 俺は何も言えなかった。胸の奥が冷たく凍りついていく。


(俺が、間違えた……)


 クラリスがゆっくりと立ち上がり、不完全に残った封印を見つめている。


「封印が……逆に魔物を強化してしまいました」


 その声は静かだったが、どこか冷たかった。


「次に現れる時、魔物はさらに強くなります」


 パティが辛そうにうめき声を上げ、スヴィーナが彼女に駆け寄る。俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 ◇


 王都への帰り道、誰も口を開かなかった。


 パティはスヴィーナに肩を借り、痛みに耐えながらゆっくりと山道を下っていた。ディアナは俺たちの前を歩き、一度も振り返らない。クラリスも、何も言わずに歩いていた。


 俺は誰とも目を合わせられなかった。


(俺が、仲間を守ろうとして……事態を悪化させたんだ)


 足元の石が転がる音だけが、やけに重く響いていた。


 ◇


 王都に戻ると、広場に無数の民が集まっていた。希望に満ちた瞳で、俺たちを見ている。


 ディアナが立ち止まり、深く息を吸った。


「封印は……解けませんでした」


 その声は激しく震えている。


「魔物は、以前より強くなりました」


 民の顔から、一瞬で希望が消え去った。ざわめく囁き声が広がり、絶望と失望の視線が一斉に俺たちに突き刺さる。


「このままでは……」


 ディアナの声が途切れた。


「国が……滅びます」


 膝をつき、両手で顔を覆うディアナ。その華奢な肩が、小刻みに震えている。


 民の冷たい視線が、俺に集中した。誰も何も言わないが、その沈黙が痛いほど重い。


(全部、俺のせいだ……)


 スヴィーナが俺の袖をそっと引いた。


「マックス……」


 だが、俺は彼女の手を振り払って歩き出した。


 宿に戻り、部屋の扉を強く閉める。背中に寄りかかり、そのまま床にへたり込んだ。


 扉の向こうから、四人娘の気配がする。誰かが扉を静かにノックした。


「マックス、開けて……」


 パティの声だ。だが、俺は答えなかった。ただ、膝を抱えて暗闇の中で座っている。


(俺が、守ろうとして……全部壊したんだ)


 胸の奥が、どこまでも冷たく沈んでいった。

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