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温泉神の試練 〜八十八か国を巡る魔物退治と混浴の旅〜  作者: サンサンマツリ
第三章 【転】裏切り、最大の失敗、そして仲間の許しと真の結束

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第二十九話 美人国の温泉と王との和解


 廊下を歩く足音が、静かに響く。スヴィーナの手が、まだ俺の手を握っていた。柔らかく、少しだけ震えている。涙の跡が頬に残ったまま、彼女の猫耳は半分だけ伏せられていた。


 パティが心配そうにスヴィーナを見つめながら、俺たちの後ろを歩いている。クラリスは相変わらず静かで、何かを見守るような表情だ。


(スヴィーナ、大丈夫か……?)


 声をかけようとした時だった。廊下の先から、侍従が息を切らせて駆けてくる。


「お、お待ちください!」


 俺たちは足を止めた。侍従は息を整えながら、深く頭を下げる。


「王が、再びお呼びです」


「……え?」


 スヴィーナの手が、俺の手を強く握った。侍従が顔を上げる。その表情に、焦燥が浮かんでいた。


「新たに発見された温泉に、魔物が現れました」


 俺とクラリスは顔を見合わせた。パティの犬耳がぴんと立つ。


「それは、俺たちの……」


「ええ。温泉解放の使命に関わることかと」


 侍従の言葉に、スヴィーナの猫耳が完全に伏せられた。


「もう、関係ない」


 スヴィーナが呟く。その声は小さく、だが拒絶の響きがあった。


「スヴィーナ」


 俺は彼女の肩に手を置いた。


「温泉解放は、俺たちの使命だ。それに……」


 スヴィーナが俺を見上げる。青い瞳が揺れていた。


「国に戻らなくても、人を助けることはできる。そうだろ?」


 スヴィーナの猫耳が、ゆっくりと持ち上がる。


「……そうね」


 彼女が小さく頷いた。


 ◇


 俺たちは再び謁見の間に通された。王は玉座から降り、俺たちの前に立っていた。


「戻ってくれたか」


 王の声に、先ほどのような威厳はなかった。代わりにあったのは、疲労と切実な懇願。


「国には戻らなくてもいい。だが……」


 王が深く頭を下げた。


「新たな温泉を、解放してほしい」


(王が……頭を下げた!?)


 パティが息を呑む音が聞こえた。スヴィーナは無言で、ただ王を見つめている。


「わかりました」


 俺が答えた。


「温泉解放は俺たちの使命です。引き受けます」


 王が顔を上げる。その瞳に、安堵の色が浮かんだ。


「感謝する」


「ただし」


 俺は王を真っ直ぐ見た。


「これは、国のためじゃない。困っている人のため、そして俺たちの使命のためです」


 王が深く頷く。


「それでいい」


 そして、王は腰の剣の柄に手をかけた。


「私も、共に戦わせてほしい」


 スヴィーナの猫耳が、ぴくりと動いた。


「父上……」


「娘を守るのは、父の務めだ」


 王の言葉に、スヴィーナは何も答えなかった。ただ、背を向けて歩き出す。


「行きましょう」


 その声に、感情は読み取れなかった。


 ◇


 美人国の郊外、岩山に囲まれた窪地に、新たな温泉があった。


 硫黄の匂いが濃く、鼻をつく。湯気が立ち込め、視界が白く霞んでいた。靴底を通して岩の凹凸が足裏に伝わり、熱気が肌を焼くように熱い。


 そして、温泉の中央に巨大な影があった。


「あれが……魔物か」


 パティが呟く。甲殻類のような姿をした魔物が、温泉を占拠していた。体長は五メートルを超える。鋭い鋏を振り上げ、こちらを威圧するように威嚇している。


「陣形を組め!」


 俺が指示を出す。スヴィーナが左翼、パティが右翼に展開する。クラリスは後方で杖を構えた。王は俺の隣に立ち、剣を抜く。


「行くぞ!」


 俺の号令で、戦闘が始まった。


 スヴィーナのしなやかな爪撃が魔物の甲殻を鋭く削る。パティの速攻の蹴りが側面に炸裂する。クラリスの束縛魔法が魔物の動きを封じる。


 だが、魔物は強大だった。強靭な鋏が横薙ぎに振るわれ、スヴィーナが吹き飛ばされた。


「スヴィーナ!」


 俺の叫びが、岩山に反響する。


 スヴィーナは岩壁に激突する寸前、しなやかな身のこなしで受け身を取り、衝撃を極力殺して地面に着地した。


(守れなかった……また、守れなかった……!)


 頭の中で、あの日の恐怖が激しく渦巻く。


(違う、これは……!)


 俺は我を忘れて、魔物に突進した。


「マックス、待て!」


 クラリスの制止も聞こえない。ただ、スヴィーナを守らなければという激しい衝動だけが、俺を動かしていた。


 その時だった。


「娘を守るのは父の務めだ!」


 王の咆哮が轟いた。鋭い剣光が閃き、魔物の側面を深く斬り裂く。老いても衰えぬ百戦錬磨の気迫が、王の全身から溢れていた。


 魔物が大きくよろめく。


「今だ!」


 俺と王の息の合った連携で、魔物の甲殻に大きな亀裂が走る。クラリスの攻撃魔法がそこへ突き刺さり、破裂音とともに魔物が崩れ落ちた。


 俺は胸元の青い勾玉を強く握りしめ、湯気立つ温泉へと向かって高く掲げた。


「封じられし湯よ、今再び目覚めよ!」


 勾玉から聖なる青い光が溢れ出し、温泉全体を包み込んでいく。禍々しい呪いが霧散し、濁っていた湯が瞬く間に清らかな透明へと変わっていった。


 温泉の復活だ。


 俺は息を整えながら、スヴィーナのもとへ駆け寄った。


「スヴィーナ、無事か!?」


「……ええ」


 スヴィーナがゆっくりと起き上がる。咄嗟に受身を取ったおかげで、大きな怪我はないようだ。だが、差し出した俺の手が微かに震えていることに、彼女は気づいていた。


(俺は……何を……)


 王がスヴィーナに近づく。


「無事か」


「……はい」


 スヴィーナが複雑な表情で頷いた。王は何も言わず、ただ愛おしそうに娘を見つめている。


 温かな湯煙の中、静かな沈黙が温泉を包んだ。


 ◇


 日が暮れ、復活した温泉に俺たちは身を沈めた。


 透明な湯が体を包み込み、激闘の疲れがじんわりと溶けていく。


 湯船の少し離れた場所で、スヴィーナと王が向かい合っていた。


「父上」


 スヴィーナが口を開いた。


「なぜ、私を追放したんですか」


 王が湯に肩まで浸かる。その表情には、深い陰りと疲労が浮かんでいた。


「陰謀があったのだ」


「……陰謀?」


「お前を王位につけまいとする者たちの、な」


 王が遠くを見つめる。


「お前を国に置けば、いずれ命を狙われる。だから……嘘をついた。お前を深く憎んでいるふりをして、追放したのだ」


 スヴィーナの猫耳が、ハッと完全に立ち上がった。


「それは……」


「本当は、追放などしたくなかった」


 王の声が微かに震えた。


「すまなかった。我が娘よ」


 スヴィーナの瞳から、大粒の涙が溢れ出す。


「私も……誤解していました」


 スヴィーナが湯をかき分けて王に歩み寄る。


「父上を、ずっと憎んでいました」


「それでいい」


 王が優しく微笑んだ。


「お前に憎まれても、生きていてさえくれれば」


 二人は強く抱き合った。温泉の湯面に、柔らかな波紋が広がる。

挿絵(By みてみん)

 俺は少し離れた場所で、その光景を静かに見つめていた。


(家族って……こういうものなんだな)


 胸の奥が、温かく満たされていく。


 パティが俺の隣に来て、にっこりと笑いかけた。


「よかったね、マックス」


「ああ」


 クラリスが静かに頷く。


「運命ですね」


 その言葉の真意を、俺はまだ理解していなかった。


 ◇


 翌朝、俺たちは出発の準備を整えた。


 王宮の大きな門の前で、スヴィーナが王に向き直る。


「父上」


「うむ」


「私は、マックスたちと旅を続けます」


 王が頷いた。


「そうか」


「でも……」


 スヴィーナが晴れやかに微笑む。


「いつか、必ず帰ってきます」


 王の表情が、温かくほころんだ。


「待っているぞ」


 スヴィーナが深く頭を下げる。王がその頭にそっと手を置いた。


「行け。お前自身の道を」


 俺たちは美人国を後にした。


 門を出たところでスヴィーナが振り返ると、王が小さく手を振っていた。スヴィーナも笑顔で手を振り返す。その青い瞳には、もう一片の迷いもなかった。


「さあ、次はどこに行くの?」


 パティが明るく尋ねる。


「温泉国へ戻ろう」


 クラリスが静かに地図を広げた。


「八十八か国の中心にある、最も重要な国です。ディアナ様と約束した通り、あの大温泉を解放するために力を尽くすべき時です」


 俺は強く頷いた。


(温泉国……そこで、何が俺たちを待っているんだろう)


 空を見上げる。雲ひとつないどこまでも澄み渡った青空が、俺たちの行く手を照らしていた。

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