↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
温泉神の試練 〜八十八か国を巡る魔物退治と混浴の旅〜  作者: サンサンマツリ
第三章 【転】裏切り、最大の失敗、そして仲間の許しと真の結束

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/51

第二十八話 美人国の真実とスヴィーナの過去


 窓の外で、夜が深まっていく。


 だが、俺たちはすぐに眠りにつくことはなかった。クラリスが地図を広げ、パティが薪をくべ、スヴィーナが湯を沸かす。安宿の小さな部屋に、温かい匂いが満ちていく。


「次はどこに行くの?」


 パティが尋ねた。犬耳がぴんと立っている。


 クラリスが地図の一点を指さした。


「ベルフィーネ王国――通称、美人国です。ここから徒歩で七日ほど。以前、マックスさんとスヴィーナさんが温泉を解放した国ですね」


 美人国。その名を聞いた瞬間、スヴィーナの猫耳が微かに揺れた。だが、彼女は何も言わなかった。湯を注ぐ手が、少しだけ震えている。


「大丈夫か?」


 俺が尋ねると、スヴィーナは小さく頷いた。


「……平気よ」


 声が、いつもより低い。


(何か、引っかかるな……)


 だが、俺は無理に問い詰めなかった。お互いに本音をぶつけ合ったあの日、約束したばかりだ。彼女が自分の意思で話したくなったときに話してくれる。それを信じることが、今の俺にできることだ。


 ◇


 翌朝、俺たちは宿を発った。石畳の道を歩き、森を抜け、川を渡る。七日間の旅は穏やかだった。パティが道端の花を摘み、クラリスが薬草を採取し、スヴィーナが狩りで兎を捕まえる。夜は焚き火を囲んで、他愛のない話をした。


 だが、美人国に近づくにつれて、スヴィーナの様子が変わっていった。耳を頻繁に動かし、周囲を警戒するように見回す。会話も減り、焚き火の炎を見つめたまま黙り込むことが増えた。


「スヴィーナ、どうしたの?」


 パティが心配そうに尋ねたが、スヴィーナは首を横に振った。


「何でもない」


 その言葉に、嘘の匂いがした。


 ◇


 七日目の昼過ぎ、俺たちは美人国の城下町に到着した。


 石畳の大通りには露店が並び、色とりどりの布や宝石が陽光を弾いている。焼き菓子の甘い匂いと、香辛料の刺激的な香りが混ざり合う。人々の話し声が、波のように押し寄せてくる。


「すごい人だね!」


 パティが目を輝かせた。だが、スヴィーナは俯いたまま、俺の袖を掴んでいる。


「大丈夫か?」


 俺が囁くと、スヴィーナは小さく頷いた。だが、その手は微かに震えている。


 その時、大通りの向こうから豪奢な馬車が近づいてきた。黒塗りの車体に、金の紋章が刻まれている。王宮の紋章だ。


 馬車は俺たちの前で止まり、礼装を纏った使者が降りてきた。


「スヴィーナ様」


 使者が深々と頭を下げた。


 瞬間、スヴィーナの身体が硬直した。猫耳が完全に伏せ、尻尾が足に巻きつく。


「……なぜ、あなたがここに」


 スヴィーナの声が震えている。


 使者は顔を上げた。


「王がお会いしたいと仰せです。どうか、王宮へお越しください」


「断る」


 スヴィーナが即答した。だが、使者は引き下がらない。


「王の命です。どうか」


「断ると言っている!」


 スヴィーナの声が大通りに響いた。周囲の人々が振り返る。パティとクラリスが戸惑った表情で俺を見た。


 俺はスヴィーナの小さく震える手を包み込んだ。冷たかった。


「スヴィーナ、無理に行く必要はない」


 俺は静かに言い、彼女の目をまっすぐ見つめた。


「でも……もし会うつもりなら、俺たちも一緒に行く」


 俺が言うと、スヴィーナがハッとして顔を上げた。


「マックス……」


「お前一人じゃない。俺たちがいる」


 あの日、彼女が俺に言ってくれた言葉だ。今度は俺が返す番だった。


 スヴィーナの青い瞳に、涙が滲んだ。彼女は強く頷いた。


「……わかった」


 使者が安堵の息をついた。


「では、ご案内いたします」


 ◇


 俺たちは馬車に乗り込んだ。車内は静かで、外の喧騒が嘘のようだ。スヴィーナは窓の外を見つめたまま、何も言わなかった。


 王宮は、城下町の中心にそびえ立っていた。白い石壁と尖塔が、青空に映える。門をくぐると、広い中庭に噴水があり、水の音が静かに響いている。


 謁見の間は、想像以上に広かった。高い天井、冷たい大理石の床、壁に掛けられた古い絵画。そして、奥の玉座に座る老いた王。


 王は、スヴィーナを見つめていた。その目に、複雑な感情が宿っている。後悔、期待、そして深い愛執。


「……久しいな」


 王の声が、重く静かに響いた。


 スヴィーナは俯いたまま、答えなかった。


「顔を上げよ。我が娘よ」


 その言葉に、俺とパティは息を呑んだ。


(娘……!?)


 クラリスだけが、静かに頷いている。まるで、最初から知っていたかのように。


 スヴィーナが、ゆっくりと顔を上げた。


「私は、もうあなたの娘ではありません」


「そうか」


 王は悲しげに微笑んだ。


「だが、血は争えぬ。お前は王族の血を引く、美人国の姫だ」


 スヴィーナの猫耳が、苦しげに伏せられた。


「国を継ぐために、戻ってきてほしい」


 王の声が、切実な懇願に変わる。


「待ってください」


 俺が一歩前に出た。


「彼女には、自分の意志で生き方を選ぶ権利があります」


 王の鋭い視線が、俺に向けられた。


「貴様に何がわかる」


「わかりません」


 俺は王の圧迫感を真っ直ぐ受け止めた。


「ですが、彼女は今、自分の足で自分の道を歩んでいます。仲間として、その決意を尊重してほしいんです」


 王の拳が、玉座の肘掛けを固く握りしめた。


 重苦しい静寂が、謁見の間を支配する。


 そして、スヴィーナが凛とした声で口を開いた。


「私には今、大切な仲間がいます」


 スヴィーナの声が、震えながらも確かな強さを伴って響く。


「国には、戻りません」

挿絵(By みてみん)

 王の表情が、一瞬強ばった。


 かつて幼い娘を束縛し、追い詰めてしまった後悔。そして今、自立した凛々しい瞳で仲間とともに立ち向かってくる娘の姿。


 王はゆっくりと目を閉じ、肩の力を抜いた。その皺の深まった顔に、厳格な王としてではなく、ただ一人の父親としての温かな笑みが滲み出る。


「……そうか」


 王が静かに呟いた。そこにはもう、権力者としての圧力はなかった。


「それでいい。お前は、自由だ」


 その笑顔を見たスヴィーナの青い瞳が、見開かれた。


「父上……」


「行け。お前自身の道を」


 王が優しく手を振った。


 スヴィーナは、深く深く頭を下げた。大粒の涙が、大理石の床にぽろぽろと落ちる。


 ◇


 俺たちは謁見の間を出た。


 輝く陽光が差し込む廊下を歩きながら、スヴィーナが俺の手をキュッと固く握りしめてきた。


「ありがとう」


 小さな声。だが、そこには確かな温もりと、過去の呪縛から解き放たれた晴れやかな響きがあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。