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温泉神の試練 〜八十八か国を巡る魔物退治と混浴の旅〜  作者: サンサンマツリ
第三章 【転】裏切り、最大の失敗、そして仲間の許しと真の結束

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第二十六話 裏切りの影と信頼の試練


 王都を出てから五日が経った。


 足の裏が痛い。靴底を通して、小石のひとつひとつが骨に響く。街道の両脇には枯れ草が広がり、風が吹くたび砂埃が舞い上がる。喉の奥がざらつく。水筒を振ると、残り少ない水が音を立てた。


「……疲れたにゃ」


 スヴィーナが小さく呟いた。猫耳が普段より下がっている。銀色の髪に砂が付いていた。


「もうちょっとだよ! あそこに街が見えるもん!」


 パティが前を指差す。犬耳がぴんと立っている。確かに、街道の先に建物の影が見えた。温泉国の隣にある、小さな国の街だった。


「……急ぎましょう」


 クラリスが静かに言った。彼女の青いローブも、旅の埃で色が褪せて見える。


 俺たちは足を速めた。夕日が背中を押す。影が長く伸びる。


 街の入口に着いたとき、豪華な馬車が止まっていた。黒塗りの車体に、金色の装飾。二頭立ての馬が、鼻を鳴らしている。


「おや、これはこれは」


 馬車から中年の男が降りてきた。紫色の上着に、宝石のついた指輪。太った体を揺らしながら、俺たちに近づいてくる。


「温泉解放の英雄とお見受けする。噂はここまで届いておりますぞ」


 男は深々と頭を下げた。丁寧すぎる仕草。妙に滑らかな笑みを浮かべている。


「あなた方のご活躍、この国でも語り草になっております。どうか、私めにお手伝いをさせていただけませんか」


 お手伝い……? 俺は仲間たちを見た。パティが嬉しそうに尻尾を振っている。スヴィーナだけが、耳を伏せていた。


「……にゃ」


 スヴィーナが俺の袖を引く。小さな力だったが、その仕草には強い警戒心が滲んでいた。


「この国の温泉も、魔物に封じられております」


 男は続けた。


「私は貴族の端くれ。この国を救いたい一心で、あなた方をお待ちしておりました。どうか、温泉解放にお力をお貸しください。私が案内いたします」


 案内……それは助かる。土地勘のない国では、温泉の場所を探すだけで時間がかかる。


「近道も存じております。街道を使えば三日かかる道を、一日で」


 男の笑顔が深くなった。宝石の指輪が夕日を反射して、きらりと光る。


「……マックス」


 スヴィーナが俺の袖を強く引いた。猫耳が完全に伏せている。青い瞳が、男を睨んでいた。


「怪しいにゃ。この人……」


「……私も少し引っかかります。ですが、最終的にはマックスさんのご判断に」


 クラリスも目を細め、静かに男を観察しながら呟いた。


「疑いすぎだ」


 俺は小声で言った。


「せっかく助けてくれるって言ってるのに」


「でも……」


「俺たちを助けたい人を疑うのか?」


 声が、思ったより強く出た。スヴィーナが僅かに身を引く。


(いや、言い過ぎたか……)


 だが、疲れていた。五日間の徒歩移動で、体も心も擦り切れている。善意を無駄にしたくない。そう思った。


「……お願いします」


 俺は男に向き直った。


「案内していただけますか」


 男の笑顔が、さらに広がった。


「もちろんでございます。さあ、こちらへ」


 男は森の方を指差した。街道を外れた、獣道のような細い道。木々が影を落とし、薄暗い。


「近道でございます。すぐに着きますよ」


 パティが歩き出し、クラリスも警戒を保ちつつ後に続いた。スヴィーナは動かなかった。俺の袖を掴んだまま、じっと男を見ている。


「……スヴィーナ」


「……分かったにゃ」


 彼女は小さく頷いた。だが、猫耳は伏せたままだった。


 森の中は冷たかった。木々が日差しを遮り、湿った空気が肌に纏わりつく。道は次第に狭くなり、足元が不安定になる。枯れ枝を踏む音だけが、静寂を破った。


「もうすぐでございます」


 男が前を歩く。その背中が、妙に大きく見えた。


 足元に、何かが光った。


「……ここだ」


 男が立ち止まる。そして、足元の光る円を踏んだ。


 魔法陣だ。


「え……?」


 次の瞬間、足元の地面が崩れ去った。


 浮遊感。体が宙に浮く。スヴィーナの悲鳴が聞こえた。パティが何か叫んでいる。視界が回転し、背中から硬い石に叩きつけられた。


「がっ……!」


 息が詰まる。肺から空気が抜ける。頭が激しく揺れた。


「マックス!」


 パティの声。俺は必死に体を起こした。


 そこは薄暗い石造りの地下牢だった。側面に頑丈な鉄格子の扉があり、天井の吹き抜けから男の嘲笑が降ってくる。


「はっはっは! まんまと引っかかりましたな」


 男が吹き抜けの上から覗き込んでいた。さっきまでの丁寧な笑顔は消え、醜い悪相に変わっている。


「奴隷商人が高値で買うと言っていた。特に、犬耳の娘はな!」


 パティが息を呑む。


「やめて……!」


「おい、連れて来い」


 男が手を叩くと、牢の鉄格子の扉が解錠され、数人の手下が踏み込んできた。粗末な服を着た傷だらけの男たち。そのごつい手が、パティの腕を力任せに掴んだ。


「離せ! 離してよ!」


 パティが暴れる。だが、手下の力は強い。強引に引きずられていく。


「パティ!」


 俺は立ち上がろうとした。だが、落下の衝撃で膝が震え、体に力が入らない。


「俺が……」


 拳で石の床を叩いた。冷たさが沁みる。もう一度叩く。皮が破れて、血が滲んだ。


「俺が信じすぎた……!」


 スヴィーナの警告を無視した。善意だと思い込んだ。そして、仲間を危険に晒した。


(また、守れなかった……)


 過去の記憶が蘇る。元の世界で、仲間を失ったあの日。力が足りなくて、判断を誤って、大切な者を守れなかった。

挿絵(By みてみん)

「マックス」


 スヴィーナの声。彼女が俺の肩にそっと手を置いた。


「……今は、脱出を考えましょう」


 冷静な声。だが、その表情はいつになく硬かった。


「パティが捕まっている……下手に広域魔法は使えないにゃ」


「……任せてください」


 スヴィーナがクラリスと視線を交わした。


 スヴィーナが凄まじい速度で踏み込んだ。猫のようなしなやかな身のこなしで、パティを掴んでいた手下の腕に鋭い蹴りを叩き込む。


「きゃっ!?」


 手下が腕を押さえて怯む。


「パティ、下がるにゃ! クラリス、今だ!」


 パティが手下の手から逃れ、俺たちの元へ転がり込む。その瞬間、後方に控えていたクラリスの手から青白い光が迸った。


 魔法陣が空中に展開し、鉄格子の扉と押し寄せる手下たちを包み込む。破裂音とともに強烈な衝撃波が吹き荒れ、手下たちが吹き飛ばされた。


「今のうちに、階段を上るにゃ!」


 スヴィーナが地下牢の奥へ続く階段を指差す。


「逃げるぞ!」


 俺はようやく立ち上がった。四人で地下牢の階段を駆け上る。


 地上へ出ると、男はすでに馬車へ乗り込むところだった。


「待て!」


 俺は叫んだ。だが、馬車は激しく鞭を打たれ、スピードを上げて走り去っていく。男の嘲笑だけが風に乗って消えていった。


 森の中に、むなしい静寂が戻る。


 男が示していた「近道」は、温泉とは全く逆方向の罠地帯だった。それどころか、勾玉が示す方角へ目を向けると、坑道の入り口が巨大な岩で塞がれていた。周囲には、男の手下たちが残したと思われる足跡があった。


 案内どころか、温泉への道すら完全に封鎖されたのだ。解放は、失敗だった。


「……俺の、判断ミスで」


 声が震えた。パティが俺に抱きついてくる。その小さな体は、まだ微かに震えていた。温かい体温が伝わってくる。だが、それが余計に胸を締め付ける。


「マックスのせいじゃないよ! あたし、大丈夫だから!」


 パティが必死に励ましてくれる。だが、俺の心は押し潰されそうだった。


 スヴィーナが、少し離れた場所に立っている。猫耳は伏せられたまま。その静かな瞳が、俺を見つめていた。


「……今は、休みましょう」


 優しい声。だが、その瞳には、確かに深い失望の色が浮かんでいた。


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