第二十二話 追跡者との対峙と仲間の選択
「出発の準備、できたにゃ?」
スヴィーナが荷物をまとめながら尋ねてきた。俺は窓の外に視線を向けたまま、頷いた。
「ああ、もうすぐだ」
あの人影のことは、まだ気になっていた。だが、ここで立ち止まっている余裕はない。次の国へ向かわなければ。
「マックス、荷物持つの手伝うにゃ」
スヴィーナが俺の荷物を軽々と持ち上げる。パティも自分の荷物を背負い、クラリスは小さな荷物を肩にかける。
「では、出発しましょう」
クラリスが穏やかに言った。
俺たちは宿の部屋を出て、階段を降りた。宿の主人に別れを告げ、湖畔の国の朝の街を歩き出す。朝日が湖面を照らし、水鳥が鳴いている。平和な光景だった。
だが、その平和は長くは続かなかった。
湖畔の国を出て四日。街道沿いの宿場町に差し掛かったのは、夕暮れ時だった。
「今夜はここで泊まるにゃ?」
スヴィーナが尋ねてくる。俺は頷いた。
「ああ。日が暮れる前に宿を取ろう」
宿場町の広場は、旅人や商人で賑わっていた。焼き栗の屋台から甘い煙が立ち上り、行商人たちが声を張り上げている。俺は宿の看板を探して広場を歩いていた。
その時、パティが突然立ち止まった。
「……パティ?」
振り返ると、パティは広場の向こうを凝視していた。犬耳がぴくりと動き、尻尾が硬直している。
「どうしたの?」
スヴィーナが心配そうに尋ねた。
パティは何も答えない。ただ、向こうから歩いてくる三人組の男たちを見つめていた。
男たちは粗野な服装で、腰に鞭と鎖をぶら下げていた。胸元には見覚えのある紋章――奴隷商人の印だ。
男たちもパティに気づいた。リーダー格の男がニヤリと笑い、こちらへ近づいてくる。
「よう、逃亡奴隷。久しぶりだな」
男の声は低く、粘りつくようだった。
パティの呼吸が荒くなる。俺は咄嗟にパティの前に出た。
「何の用だ」
俺の声は低く抑えていたが、握りしめた拳は震えていた。
男は肩をすくめた。
「用? 決まってるだろう。逃亡奴隷を返してもらう」
「彼女は正式に解放されている。それを証明する契約書もある」
俺が反論すると、男は鼻で笑った。
「契約書に不備があるんだよ。奴隷の所有権は俺たちの主人にある。返してもらおうか」
「ふざけるな――」
俺が言い終わる前に、男の一人がパティの腕を掴もうと手を伸ばした。パティは後ずさりし、俺の背後に隠れる。周囲の人々が騒ぎに気づき始めた。ざわめきが広がる。
「マックス……」
スヴィーナが俺の横に立ち、猫耳を立てて威嚇する。クラリスも冷静に魔法の構えを取った。
「これ以上近づくな」
俺が低く言うと、男たちは笑った。
「やる気か? いいぜ。ただし――」
その時、パティが叫んだ。
「あたしは……自分で決める!」
喉を絞り出すような、震える声だった。パティは俺の背後から飛び出し、男の手を払いのけた。
「あたしは、もう奴隷じゃない!」
パティの手は震えていた。だが、その目には強い意志が宿っていた。
「……ほう」
男が不敵に笑う。だが、その笑みはすぐに消えた。
スヴィーナが腰の剣に手をかけ、低く唸る。クラリスの手に淡い光が集まる。
「彼女の意志は明確です。これ以上の干渉は許しません」
クラリスの声は穏やかだったが、その目は冷たかった。
男たちは一歩後退した。
「……ちっ」
リーダー格の男が舌打ちし、仲間に合図を送る。男たちは退散し始めたが、最後に振り返って吐き捨てた。
「奴隷商人は諦めない。お前の首には賞金がかかっている。覚えておけ」
男たちは人混みに消えた。周囲の野次馬から安堵の声が漏れ、騒ぎは次第に収まっていった。
パティは震えながらも、立ち続けていた。自分の手を見つめ、小さく息を吐く。
「……パティ」
俺が声をかけると、パティは顔を上げた。
「あたし……自分で選んだ」
その声は震えていたが、どこか誇らしげだった。
◇
宿の部屋。夜。パティは窓際に座り、自分の手を見つめていた。爪を噛む癖が出そうになって、慌てて手を膝に置く。
「怖かったけど……自分で選んだ」
パティが震えながら笑った。涙が頬を伝う。
「お前は強い」
俺が言うと、パティは首を振った。
「強くなんかない。すごく怖かった。でも……逃げたくなかった」
「それが強さだにゃ」
スヴィーナがパティを抱きしめた。猫耳が優しく揺れる。
パティはスヴィーナの肩に顔を埋め、静かに泣いた。
「これからも一緒にいるにゃ。ずっと」
「……うん」
クラリスが窓の外を見つめながら言った。
「追跡者は諦めないでしょう。急いで次の国へ向かうべきです」
「そうだな」
俺も頷いた。だが、パティは複雑な表情を見せた。
「あたし……逃げない。でも、みんなを危険にさらしたくない」
「一緒に逃げるんじゃない」
俺はパティの肩に手を置いた。
「一緒に進むんだ。お前一人の問題じゃない」
パティは目を見開き、それから小さく頷いた。
「……ありがとう」
窓の外に月明かりが差し込む。遠くで夜鳥が鳴いていた。
「明日の朝、早く出発しよう」
俺が言うと、三人が頷いた。
だが、その時――窓の外に人影が見えた。
フードを深く被った男が、こちらを見つめていた。
月明かりに照らされたその顔には、深い傷跡があった。あの、奴隷商人の手下だ。
男はニヤリと笑い、闇に消えた。




