第二十一話 奴隷の焼印と自由の意味
山道を抜けて三日目の夕刻、俺たちは湖畔の国の温泉街に辿り着いた。
石畳の道の両側には、湯気を上げる小さな湯屋が軒を連ねている。硫黄の匂いが風に乗って漂ってきた。
「わあ、久しぶりの温泉だね!」
パティが尻尾を振りながら喜んでいる。
「ここの温泉は、魔物に封じられていないのか?」
俺が尋ねると、クラリスが頷いた。
「ええ。この国の温泉は小規模で分散しているため、魔物が狙いにくかったのでしょう」
「じゃあ、ゆっくり休めるにゃ!」
スヴィーナも嬉しそうだ。
宿に荷物を置いて、俺たちは湯屋へ向かった。
湯屋の暖簾をくぐると、番台の老婆が笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい。四人さんかい?」
「ああ。混浴の湯はあるか?」
「あるよ。奥の露天風呂が貸し切りで使えるよ」
ありがたい。俺たちは脱衣所で着替え、露天風呂へ向かった。
石造りの湯船に、透明な湯が満ちている。湖を見下ろす絶景だ。夕日が水面を赤く染めている。
「気持ちいいにゃあ……」
スヴィーナが湯に浸かって、長い息を吐いた。猫耳がぴくぴく動いている。
「本当だね! 疲れが取れるね!」
パティも嬉しそうに湯を掬っている。犬耳が垂れて、リラックスしている様子だ。
クラリスは静かに湯に浸かり、目を閉じている。その横顔は穏やかで、何か考え事をしているようだった。
俺も湯に肩まで浸かる。温かさが体に染み込んでくる。
(ああ、これは最高だな……)
四人で旅をするようになって、こうして一緒に温泉に入るのも当たり前になってきた。最初は戸惑ったが、今では心地よい時間だ。
湯気が立ち上り、夕日が湖面を金色に変えていく。
「ねえ、髪結んでもいい?」
パティが尋ねてきた。
「ああ、好きにしろ」
「ありがと!」
パティは髪を後ろで結び上げた。
その瞬間、俺は息を呑んだ。
首の後ろに、焼印の痕が見えた。小さいが、はっきりと残っている。奴隷の証だ。
スヴィーナも気づいたようで、表情が固まった。クラリスは静かに目を伏せている。
「それは……」
俺が言葉を失っていると、パティが慌てて髪を下ろした。
「見ないで!」
震える声だった。
「パティ……」
「……ごめん。見せたくなかったの」
パティは湯に沈み込み、膝を抱えた。耳が垂れ下がり、尻尾も動かない。
「無理に話さなくていい」
俺が言うと、パティは首を横に振った。
「……話す。あたし、話すよ」
「パティ……」
「ここじゃなくて、宿に戻ってから。ちゃんと話す」
その声には、覚悟が滲んでいた。
俺たちは無言で湯から上がり、宿へ戻った。
部屋に戻ると、パティは膝を抱えて座り込んだ。視線は床に落ちたまま、動かない。
俺は何も言わず、パティが話し始めるのを待った。スヴィーナとクラリスも静かに見守っている。
しばらくして、パティが口を開いた。
「あたしは……命令されることが、生きる道だった」
低い声だった。
「奴隷として売られて、命令に従うことだけが許された。自分で選ぶことは、罰だった」パティの声が震える。
「朝起きる時間も、食べるものも、寝る場所も、全部命令されてた。『座れ』って言われたら座る。『黙れ』って言われたら黙る。それが当たり前だった」
俺は拳を握りしめた。
「マックスに助けられた時、最初は嬉しかった。でも……怖かった」
「怖かった?」
「うん。自由が、怖かった」
パティの頬を涙が伝った。
「自分で決めるって、どうすればいいの? 何を選べばいいの? 間違ったら、また罰を受けるんじゃないかって……」
その言葉に、俺は胸が締め付けられた。
「お前は自由だ。もう誰もお前を罰したりしない」
「分かってる。頭では分かってるの。でも……怖いの」
パティは顔を伏せたまま、小さく震えている。
スヴィーナが静かに口を開いた。
「自由って、自分で選べるってことにゃ。だから最初は怖くても仕方ないにゃ」
「スヴィーナ……」
「あたしも、自分で選ぶのが怖かった時期があったにゃ」
スヴィーナは自分のペンダントを無意識に触っている。
「でも、自分で選ぶことでしか、本当に生きることはできないにゃ。パティは、もう自由なんだから」
クラリスも優しく微笑んだ。
「時間をかけて学べばいいのです。一度に全てを決める必要はありません。小さなことから、少しずつ」
「……ありがとう」
パティは涙を拭った。
「みんな、ありがとう」
その夜、俺たちは遅くまで話し込んだ。パティの過去、スヴィーナの言葉、クラリスの助言。
四人で語り合う時間が、少しずつパティの心を解きほぐしていくようだった。
翌朝、宿の食堂で朝食を取っていると、パティが明るく言った。
「あのね、今日の朝ごはんも、あたしが自分で選んだの! 前より迷わずに決められたよ!」
テーブルには焼いた川魚と、野菜のスープ、塩漬けの野菜が並んでいる。
「いいな」
俺が頷くと、パティは嬉しそうに笑った。
「あたし、これからも自分で決める練習をする。小さなことから、少しずつ」
「少しずつでいいにゃ」
スヴィーナも優しく微笑んでいる。
「応援しています」
クラリスも穏やかに言った。
パティの笑顔を見て、俺は彼女の成長を見守る決意を新たにした。
(きっと大丈夫だ。パティは強い)
窓の外では、朝日が湖面を照らしている。
だがその時、窓の外に人影が一瞬見えた。
フードを深く被った男が、こちらを見ていた。
すぐに人混みに消えたが、その視線には何か、冷たいものがあった。
「マックス、どうしたの?」
パティが尋ねてきた。
「いや、何でもない」
俺は首を振った。……気のせいか?
「じゃあ、そろそろ出発の準備するにゃ」
スヴィーナが立ち上がる。
「ああ。次の国へ向かおう」
俺たちは荷物をまとめ始めた。だが、あの人影が頭から離れなかった。




