第十九話 古代遺跡の国と金髪のエルフ
山道を下り始めて数時間。朝日は高く昇り、汗が額を伝う。
スヴィーナが俺の手を握ったまま歩いている。その手の温もりが、まだ少し恥ずかしい。
「マックス、次の国ってどんなところなの?」
パティが振り返って尋ねた。相変わらず元気いっぱいだ。
「エルドリア学術合州国――通称『古代遺跡の国』だ。温泉神の社で聞いた話だと、遺跡の奥に温泉があるそうだ」
「遺跡! 面白そう!」
パティが目を輝かせる。
スヴィーナは少し不安そうに俺を見上げた。
「遺跡って……魔物が強いんじゃない?」
「大丈夫だ。今までだって乗り越えてきただろ?」
俺はスヴィーナの手を握り返した。彼女が小さく頷く。
山道を下りきると、風景が変わった。緑が減り、乾いた大地が広がる。
遠くに古い石造りの残骸が点在しているのが見えた。
「すごい……」
スヴィーナが呟いた。
崩れた柱や壁が果てしなく続き、風が砂埃を巻き上げて目を細めさせる。
それから六日間、俺たちは古代遺跡の国を目指して歩き続けた。
途中の村で食料を補給し、野営を繰り返す。
スヴィーナとの関係が変わってから、夜の時間が少し違って感じられる。焚き火を囲んで話す時間が、前より温かい。
六日目の夕暮れ、ようやく目的の遺跡都市の入口に着いた。
石造りの巨大な門が、夕日に照らされて赤く染まっている。
「ここが入口か……」
俺は門を見上げた。古代文字が刻まれているが、読めない。門の向こうに、さらに多くの遺跡が見える。
「今日はここで野営しよう。明日、遺跡を探索する」
「了解!」
パティが荷物を下ろした。スヴィーナも頷いて、野営の準備を始める。
俺は周囲を警戒しながら、薪になりそうな木の枝を探した。
夕暮れの光が、遺跡の影を長く伸ばす。
風が吹くたび、砂が足首に当たる。乾いた空気が喉を刺激した。
パティが少し離れた場所で薪を集めている。
その時、遺跡の影から人影が現れた。金髪が夕日に輝く。
長い髪、尖った耳――エルフだ。
青いローブを纏った女性が、静かに俺たちに近づいてくる。
「誰だ!」
俺は身構えた。スヴィーナも剣の柄に手をかけ、俺の背後に立つ。
女性は穏やかに微笑んだ。
「敵意はありません。あなたたちが温泉を解放する旅人ね」
女性の声は落ち着いていて、知的な響きがある。緑の瞳が、俺たちを静かに見つめている。
「……なぜそれを知っている?」
俺は警戒を解かなかった。女性は少し首を傾げる。
「噂は聞こえてきます。山岳国で温泉を復活させた三人組がいると」
「噂……」
スヴィーナが小さく呟いた。女性はゆっくりと近づいてくる。
「私の名はクラリス。この国の遺跡を研究している者です」
クラリスと名乗った女性が、丁寧にお辞儀をした。
パティが薪を抱えて戻ってきた。
「あれ? 誰?」
「クラリスと言う。遺跡の研究者らしい」
俺はパティに説明した。クラリスはパティにも会釈する。
「あなたたちは、この国の温泉を解放しに来たのでしょう?」
クラリスが尋ねた。俺は頷く。
「ああ。遺跡の奥にあるらしい」
「そうです。ですが……この国の温泉魔物は特殊です」
クラリスの表情が少し曇った。俺は身を乗り出す。
「特殊? どういうことだ?」
「魔物の核が、通常とは違う場所にあります。左の角――そこを狙わなければ倒せません」
クラリスの言葉に、俺は息を呑んだ。
「なぜそんなことを知っている?」
「古い文献で読みました。この国の遺跡には、温泉魔物についての記録が残されているのです」
クラリスは穏やかに答えたが、俺の疑問は消えなかった。
(古い文献だけで、そこまで詳しく分かるものだろうか?)
スヴィーナがクラリスを見つめている。その視線は鋭く、警戒心を隠していない。
「……信用していいの?」
スヴィーナが小さく俺に囁いた。俺も迷う。だが、クラリスの言葉には嘘を感じない。
「とりあえず話を聞こう。情報は多い方がいい」
俺はスヴィーナに答えた。クラリスは俺たちの様子を静かに見守っている。
「もしよければ、明日遺跡を案内しましょう。温泉の場所も、私は知っています」
「……本当に、文献だけでそこまで分かるのか?」
俺の問いに、クラリスは微笑んだ。
「長年研究してきましたから」
その笑顔は穏やかだが、どこか謎めいている。
夜が訪れ、焚き火を囲んでクラリスも加わった。
彼女は遺跡の歴史を語り、温泉魔物の弱点についても詳しく教えてくれた。
パティは興味津々に聞き入っているが、スヴィーナはずっと黙ったままクラリスを見つめている。
翌朝、四人で遺跡の奥へ進んだ。
石造りの通路は薄暗く、壁には読めない古代文字が刻まれている。
足音が反響し、冷たい石の感触が足元から伝わる。
「この先です」
クラリスが先導する。彼女の足取りは迷いがなく、まるで何度も来たことがあるようだ。
(本当に文献だけで、ここまで詳しく分かるのか……?)
俺の疑念は深まるばかりだ。だが、今は温泉の解放が優先だ。
遺跡の最奥、広い空間に出た。
中央に巨大な魔物がいる。岩のような体、二本の角、赤く光る目――今までで最も大きい魔物だ。
「来たか……」
魔物が低い声で唸った。地面が揺れる。
「気をつけて。左の角を狙うのです」
クラリスが冷静に指示を出した。俺は頷き、懐から温泉神の勾玉を取り出す。
魔物が咆哮し、突進してきた。俺たちは左右に跳んでかわす。
「左の角だ! 集中攻撃!」
俺の号令に、二人が素早く動いた。
スヴィーナが素早い踏み込みから剣を振るい、左の角を鋭く切り裂く!
さらにパティが短剣を構えて飛びかかり、角の根元を激しく蹴りつける!
「グオオオッ!?」
魔物が苦しそうに吠えた。左の角に大きな亀裂が走り、メリメリと砕け散る。
核を失った魔物が大きく体勢を崩し、その場に膝をついた。
「今だ!」
俺は胸の前で勾玉を強く握り締め、高く掲げた。
「温泉神よ、封印を解き、清らかな湯をここに満たせ――!」
勾玉がまばゆい聖なる光を放ち、弱り切った魔物の巨体を包み込む。
「オオオオッ……!」
光に浄化された魔物は静かに崩れ落ち、光の粒子となって消滅した。
静寂が戻る。
直後、遺跡の奥からゴゴゴと地響きが鳴り響き、温かい湯気が立ち上ってきた。硫黄の匂いが鼻をつく。
「やった……!」
パティが息を切らしながら笑った。スヴィーナも胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべる。湧き出した温かい湯が、遺跡の床をみるみる満たしていった。
「見事ですね」
クラリスが静かに微笑んだ。その笑顔に、俺はまた疑問を感じる。
「クラリス……本当に、文献だけでここまで分かったのか?」
俺の問いに、クラリスは少し考えるような仕草を見せた。
「……そうですね。長い研究の成果です」
曖昧な答えだ。だが、それ以上は語らない。
遺跡の外に戻ると、夕暮れの光が再び遺跡を照らしていた。
クラリスは「では、私はこれで」と去ろうとする。
「待ってくれ」
俺は彼女を呼び止めた。クラリスが振り返る。
「一緒に来ないか? お前の知識は、俺たちの旅に必要だ」
俺の言葉に、クラリスは少し驚いたような表情を見せた。それから、穏やかに微笑む。
「……考えさせてください」
「考える?」
「はい。少し時間をいただけますか」
クラリスはそう言って、遺跡の影に消えていった。
その後ろ姿を、スヴィーナが鋭い視線で追っている。
夜、解放された温泉に浸かりながら、スヴィーナが口を開いた。
「マックス……あの人、何か隠してる気がする」
スヴィーナの声は低く、警戒心を隠していない。
「確かに謎が多い」
俺も認めた。クラリスの知識は、文献だけで得られるものとは思えない。
「でも、悪い人には見えなかった」
「……そうかもしれないけど」
スヴィーナは納得しない様子で、湯に沈んだ。
クラリスは再び現れるのだろうか? そして、彼女の本当の目的は何なのか?
俺の疑問は、答えのないまま夜の闇に溶けていった。




