第十八話 山の温泉と心の告白
俺は勾玉を握りしめたまま、村の宿舎へ戻った。
スヴィーナとパティが無言でついてくる。三人とも、言葉を交わす余裕がなかった。村長の言葉が、胸に重くのしかかっていた。
「マックス……」
スヴィーナが小さく呼びかけた。俺は振り返る。彼女の青い瞳が、不安そうに揺れていた。
「大丈夫だ。明日、温泉を解放する」
「……うん」
スヴィーナが頷いた。だが、その表情は晴れない。
宿舎に入ると、村人が用意してくれた質素な夕食が並んでいた。山菜の煮物と、硬いパン。三人で囲んで食べたが、誰も口数が少なかった。
パティが先に寝床に入った。スヴィーナが俺の隣に座る。
「ねえ、マックス」
「何だ?」
「もし……山の神が本当に怒ったら、どうするの?」
スヴィーナの声が震えていた。俺は彼女の肩に手を置く。
「その時は、俺が責任を取る。お前たちを巻き込まない」
「そんな……!」
スヴィーナが俺の手を掴んだ。その手が、冷たく震えている。
「わたしも一緒に戦うにゃ。マックスだけに任せない」
「スヴィーナ……」
俺は彼女の手を握り返した。温かい感触が、掌に伝わってくる。
「ありがとう」
◇
翌朝、村長が宿舎の前で待っていた。
「準備はいいか」
「ああ」
俺は頷いた。村長が山道を先導する。
険しい斜面を登りながら、俺は呼吸を整えた。スヴィーナとパティが、俺の後ろを黙ってついてくる。
一時間ほど登ると、岩に覆われた窪地が見えた。黒い瘴気が、岩の隙間から漏れ出している。
「ここだ」
村長が指差した。その表情が、硬い。
「……頼んだぞ」
村長がそう言って、少し離れた場所まで山を下りていった。俺たち三人だけが、温泉跡の前に残された。
俺は勾玉を握った。掌に、温かい感触が広がる。だが、その温かさとは裏腹に、胸の奥が冷たく凍りついていた。
(失敗したら……村長の言う通りになる)
瘴気が、俺の手に反応して渦を巻いた。岩の下から、低い唸り声が響く。
「来るにゃ……!」
スヴィーナが身構えた。パティも短剣を抜く。
岩が砕け、巨大な影が飛び出した。四本の腕を持つ魔物が、咆哮を上げる。その声が、山肌に反響した。
「俺が儀式に集中する。二人で魔物を抑えてくれ!」
「分かった!」
「任せて!」
スヴィーナとパティが、視線を交わして頷き合った。二人が魔物の前に立つ。
俺は勾玉を掲げ、詠唱を始めた。
魔物が腕を振り下ろす。スヴィーナが横に飛び、パティが側面へ回り込んだ。二人の動きが、息を合わせたように流れる。
「こっちだにゃ!」
スヴィーナが魔物の注意を引いた。魔物が彼女に向き直る。その隙を突いて、パティが背後から斬りつけた。
「やった!」
だが、魔物は怯まない。四本の腕が同時に動き、二人を薙ぎ払おうとする。
「危ない!」
スヴィーナとパティが地面を転がった。魔物の腕が、岩を砕く。破片が飛び散り、スヴィーナの頬を掠めた。血が一筋、流れ落ちる。
(くそ……!)
俺は詠唱を続けた。勾玉が光を放ち始める。だが、まだ足りない。儀式が完成するまで、あと少し時間が必要だった。
魔物が再び襲いかかる。スヴィーナとパティが、体を張って防いだ。二人の呼吸が荒くなり、疲労が見え始める。
(任せられる……!)
俺は二人の背中を見つめた。震える手が、少しだけ落ち着いた。
「頼む……!」
詠唱が最後の節に入る。勾玉が眩い光を放った。
温泉跡を覆う岩が、音を立てて砕け始める。魔物が最後の力を振り絞り、俺に向かって跳びかかった。
「させないにゃ!」
スヴィーナが魔物の腕に飛びついた。パティも反対側から体当たりする。二人が魔物を押さえ込んだ。
「今だ、マックス!」
俺は勾玉を地面に叩きつけた。光が爆ぜ、温泉跡全体を包み込む。
魔物が悲鳴を上げ、光の中に消えていった。
◇
岩が完全に砕け、地面から温かい湯が湧き出した。湯気が立ち上り、硫黄の匂いが鼻をつく。山から暖かい風が吹き下ろし、瘴気を吹き飛ばした。
「……成功した」
俺は膝をついた。スヴィーナとパティも、地面に座り込む。三人とも、疲労困憊だった。
その時、遠くで様子を見守っていた村長と村人たちが、山道を駆け上がってきた。
「温泉が……!」
「本当に湧いた!」
村人たちが湯に手を浸す。その顔が、驚きに染まった。
「暖かい……」
「こんなに気持ちいいなんて……」
村長も、無言で湯を見つめていた。その目が、ゆっくりと俺に向けられる。
古老が湯の側に膝をついた。
「……山の神の加護を感じる」
古老が呟いた。その声が、静かに響く。
「山の神が……認めてくださったのか」
村人たちが、ざわめいた。
「山の神が怒らなかった!」
「温泉が戻ってきた!」
歓声が上がる。村長が俺のところへ歩いてきた。
「……すまなかった」
村長はその場に膝をつき、深く頭を下げた。
「お前たちは本物だ。山の神も、温泉神も……対立などしていなかったのだな」
「ああ」
俺は答えた。村長が顔を上げ、俺の手を握った。
「今夜はゆっくり休んでいけ。村を挙げて、お前たちを歓迎する」
◇
その夜、復活した温泉に三人で入った。
星空の下、湯気が白く立ち上る。村人たちは先に上がり、俺たちだけが残された。
「気持ちいいにゃ……」
スヴィーナが湯に身を沈めた。その頬が、ほんのり赤く染まっている。
「あたしも疲れたぁ……」
パティが大きく伸びをした。
「二人とも、今日はありがとう」
俺が言うと、スヴィーナとパティが笑った。
「当たり前だにゃ。わたしたち、仲間でしょ?」
「そうそう! マックス一人に任せるわけないよ!」
パティが立ち上がった。
「あたし、先に上がるね。ちょっと眠くなっちゃった」
パティが湯から出ていく。その足音が遠ざかり、静寂が戻った。
俺とスヴィーナだけが、温泉に残された。湯の音だけが、静かに響く。
スヴィーナが俺の隣に座った。肩が触れ合う。
「マックス……」
スヴィーナが小さく呼びかけた。俺は彼女を見る。月明かりの下、彼女の銀髪が輝いていた。
「わたし……あなたのことが好き」
スヴィーナの声が震えていた。青い瞳が、まっすぐ俺を見つめている。
「ずっと言えなかったけど……もう我慢できないにゃ」
俺は息を呑んだ。胸の奥が、熱くなる。
「俺も……お前が大切だ」
俺は彼女の手を握った。湯の中で、二人の手が重なる。
「スヴィーナ、俺と一緒にいてくれるか?」
「……うん」
スヴィーナが頷いた。涙が一筋、頬を伝う。
「ずっと一緒にいるにゃ」
俺たちは手を繋いだまま、しばらく湯に浸かっていた。星が、温泉の水面に映っている。
◇
翌朝、パティが俺たちを見て笑った。
「二人とも、何かあった?」
「……ばれた?」
スヴィーナが恥ずかしそうに俺の腕に抱きついた。パティが目を輝かせる。
「やっぱり! おめでとう!」
パティが飛びついてきた。三人で抱き合う。
村を出る時、村長と村人たちが見送ってくれた。
「また来てくれ」
「必ず」
俺は答えた。三人で山道を下り始める。
スヴィーナが俺の手を握った。パティが先を歩きながら、鼻歌を歌っている。
次の国へ向かう道が、朝日に照らされていた。




