第十三話 森の温泉と魔物の群れ
俺は窓を閉めた。冷たい空気が頬に残る。
「魔物……複数いる」
スヴィーナが立ち上がり、窓に近づいた。彼女の猫耳がぴくりと動く。
「確かに。三匹……いえ、もっとかもしれないわ」
パティも起き上がった。犬耳を立て、森の奥を見つめている。
「どうする、マックス?」
スヴィーナが訊く。俺は勾玉を握りしめた。温かい。
「今夜は様子を見る。明日、薬草師の案内で温泉へ向かうはずだ。それまで動かない方がいい」
スヴィーナが頷いた。パティは不安そうに尻尾を揺らしている。
「大丈夫だ。三人いれば、何とかなる」
俺は二人にそう言った。だが、胸の奥で不安がくすぶっている。
(複数の魔物……今までとは違う……)
◇
夜明け前、俺は窓際に座っていた。森の奥から聞こえていた唸り声は止んでいる。だが、不穏な空気は消えていない。
スヴィーナとパティも眠れなかったようで、二人とも起きていた。
「マックス、大丈夫?」
スヴィーナが訊く。俺は頷いた。
「ああ。少し考え事をしていた」
パティが窓の外を見つめている。彼女の犬耳がぴくぴくと動いた。
「……静かになったね」
「ああ。だが、油断はできない」
その時、扉がノックされた。薬草師の声が聞こえる。
「マックス殿、起きておられるか?」
俺は扉を開けた。薬草師は緊張した顔をしていた。
「昨夜、森の奥で魔物の気配がしたと村人から報告があった。温泉へ向かうのは危険かもしれない」
俺は勾玉を握った。
「それでも行く。温泉を解放するのが俺の使命だ」
薬草師は深く頷いた。
「分かった。案内しよう。だが、覚悟してほしい。あの温泉には複数の魔物が巣食っている」
パティが前に出た。彼女は尻尾を立て、真っ直ぐ薬草師を見つめた。
「あたしも……役に立ちたい」
彼女の声は震えていなかった。俺は驚いて彼女を見た。
(パティ……)
スヴィーナが微笑んだ。
「あら、頼もしいわね」
パティの頬が少し赤くなった。だが、彼女は視線を逸らさない。
「あたし、もう逃げるだけじゃなくて……少しでもふたりの力になりたいの」
俺は彼女の肩に手を置いた。
「ありがとう、パティ。頼りにしてる」
彼女の尻尾が大きく揺れた。
◇
朝日が昇り始めた頃、俺たちは森へ向かった。薬草師が先導し、俺たちは後に続く。
森の空気は冷たく、鳥の鳴き声が遠くで響いている。木々の間から差し込む朝日が、地面に斑模様を作っていた。
パティが鼻をひくつかせた。
「魔物の匂いがする……近い」
薬草師が立ち止まった。彼は震える手で前方を指差す。
「あそこだ」
森の奥に、岩に覆われた場所があった。岩の隙間から、わずかに湯気が立ち上っている。だが、その湯気は濁っていて、腐敗臭が混じっていた。
俺は勾玉を握った。温かさが手のひらに広がる。
「封印された温泉……」
スヴィーナが剣を抜いた。パティも身を低くして、周囲を警戒している。
薬草師が後ろに下がった。
「ここまでだ。後は頼む」
俺は頷き、岩に近づいた。勾玉を掲げる。青い光が広がり、岩が震え始めた。
その瞬間、岩の隙間から何かが這い出してきた。黒い影。複数の影が、ぬるりと地面に落ちる。魔物だ。
一匹、二匹、三匹……五匹の魔物が、俺たちを取り囲んだ。低い唸り声が森に響く。
スヴィーナとパティが背中合わせに構えた。
「来るわよ!」
スヴィーナが叫んだ。
◇
魔物たちが一斉に襲いかかってきた。俺は儀式に集中し、勾玉を掲げ続ける。
スヴィーナが前に出た。彼女の剣が魔物の一匹を切り裂く。黒い血が飛び散り、異様な臭いが鼻を突いた。
だが、魔物はすぐに立ち上がる。傷が塞がっていく。
「厄介ね!」
スヴィーナが舌打ちした。その時、パティが叫んだ。
「あたしが注意を引く!」
パティは身を低くすると、一気に地面を蹴った。犬獣人ならではの俊敏さで魔物の背後に回り込む。
魔物が振り向いた瞬間、パティは素早く身をかわし、別の魔物の注意を引きつけた。魔物たちが混乱する。
スヴィーナがその隙を突いて、剣を振るった。二匹の魔物が同時に倒れる。
「パティ、いいわよ!」
スヴィーナが叫んだ。パティの尻尾が嬉しそうに揺れる。
俺は儀式を続けた。勾玉が強く光り、封印が解けていく。地面が震え、岩が割れ始めた。
「古き湯よ、熱き脈動を取り戻せ――!」
魔物たちが苦しそうに唸る。彼らの体が透けていく。
「もう少しだ!」
俺が叫んだ。スヴィーナとパティが残りの魔物を抑え込む。
そして、岩が完全に割れた。清らかな湯気が立ち上り、硫黄の香りが広がる。温泉が復活した。
封印の淀んだ瘴気によって形を保っていた魔物たちが、溢れ出す湯の光と熱気に包まれ、次々と消滅していく。黒い煙となって空に消えていった。
俺は勾玉を下ろした。全身の力が抜ける。
「……終わった」
スヴィーナが俺の肩に手を置いた。
「お疲れ様」
パティは息を切らしながら、尻尾を大きく揺らしていた。スヴィーナが彼女の頭を撫でる。
「パティ、すごかったわよ」
パティの顔がぱっと明るくなった。
「本当?」
「本当よ。あなたがいなかったら、もっと時間がかかってたわ」
パティは嬉しそうに笑った。だが、すぐに俺を見て、少し照れたように尻尾を揺らした。
「マックス、あたし……役に立てた?」
俺は彼女の頭に手を置いた。
「ああ。本当に助かった」
彼女の尻尾が激しく揺れた。
◇
温泉の周囲を確認し、一旦村へ戻って薬草師たちに無事を報告した俺たちは、その日の夜、改めて復活した温泉を訪れた。
その夜、俺たちは復活した温泉で混浴した。湯は透明で、硫黄の香りが心地よい。月光が湯面を優しく照らしている。
パティが湯船の縁に座り、足をばたつかせている。
「あたし、初めてちゃんと役に立てた!」
彼女の声は弾んでいた。スヴィーナが微笑む。
「これからもっと強くなれるわよ」
パティは嬉しそうに頷いた。だが、俺は湯の中で拳を握っていた。
(今回は五匹だった。だが、次はもっと多いかもしれない……)
スヴィーナが俺の顔を覗き込んだ。
「マックス、何か考えてるわね」
俺は彼女を見た。
「……ああ。今回は何とかなったが、今後もっと強い魔物が現れるかもしれない」
スヴィーナは湯に身を沈めた。
「そうね。でも、三人いれば大丈夫よ」
パティも頷いた。
「あたしも、もっと強くなる!」
俺は二人を見た。彼女たちの笑顔が、少しだけ不安を和らげてくれる。
だが、その時、森の奥から何かが動く音が聞こえた。鳥が一斉に飛び立つ。
俺は湯から立ち上がった。
「誰かいる」
スヴィーナとパティも緊張した顔で森を見つめた。
森の奥から、人の足音が近づいてくる。一人じゃない。複数だ。
そして、木々の間から影が現れた。




