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温泉神の試練 〜八十八か国を巡る魔物退治と混浴の旅〜  作者: サンサンマツリ
第一章【起】異世界転生と最初の仲間たち(スヴィーナ・パティとの出会い)

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第十一話 三人の旅と犬耳少女の戸惑い


 俺たちは温泉の建物を出て、宿場町へと向かう準備を始めた。


 パティは俺の後ろを三歩下がって歩いている。犬耳が小さく揺れるたび、首の赤い痕が見える。焼印の痕。まだ消えていない。


「もっと前に来いよ」


 俺が振り返って言うと、パティはびくりと身を縮めた。


「で、でも……ご主人様の後ろを歩くのが……」


「だから、俺はご主人様じゃないって」


 俺は溜息をついた。


 スヴィーナが俺の袖を引く。


「焦らないで」


 彼女が小さく囁いた。


「長い間、奴隷だったのよ。一日で変われるわけがないわ」


(そうだよな……)


 俺は自分の浅はかさを恥じた。自由を与えれば、すぐに変われると思っていた。だが、心の枷は簡単には外れない。


 街道沿いの宿場町に着いたのは、三日後の夕暮れだった。空が赤銅色に染まり、風が冷たくなり始めている。


 パティは相変わらず俺の後ろを歩いていた。指示がなければ動かず、俺の顔色をうかがい続ける。


「今夜はここに泊まる」


 俺が宿の前で立ち止まると、パティもぴたりと止まった。彼女は地面を見つめたまま、何も言わない。


 宿の主人が扉を開けて顔を出した。太った中年男で、人の良さそうな笑顔を浮かべている。


「いらっしゃい。三人かい?」


「ああ」


「三人部屋でいいかね?」


 俺が頷きかけたとき、パティが小さな声で言った。


「あたしは床で寝ます」


 その声は震えていた。当然のことを言うように、淡々と。


「何言ってんだ」


 俺は振り返った。


「お前もちゃんとベッドで寝ろ」


 パティは首を横に振った。犬耳が垂れている。


「奴隷が主人と同じようにベッドで寝るなんて……そんなこと……」


「だから、俺は主人じゃ――」


 スヴィーナが俺の肩に手を置いた。その手に力がこもっている。


「無理強いはよくないわ」


 彼女が静かに言った。


「パティが安心できる場所で寝かせてあげましょう」


 俺は言葉を飲み込んだ。スヴィーナの青い瞳が、俺を諭している。


「……分かった」


 宿の主人に三人部屋を頼み、中に入った。木の床がきしむ音が響く。窓から入る夕日の赤い光が、部屋を染めていた。


 パティは部屋の隅に座り込んだ。膝を抱えて、じっと動かない。


「パティ……」


 俺が声をかけても、彼女は顔を上げなかった。


 ◇


 夕食の時間になった。宿の食堂は賑やかで、旅人たちの話し声と笑い声が響いている。料理の匂いが漂い、腹が鳴った。


 テーブルに料理が並ぶ。焼いた肉、野菜の煮込み、黒パン、そしてスープ。湯気が立ち上り、香辛料の香りが鼻をくすぐる。


 スヴィーナはすぐに食べ始めた。だが、パティは手をつけない。じっと俺の顔を見ている。


「食えよ」


 俺が言っても、パティは動かない。


「……許可が出るまで、食べちゃいけないんです」


 彼女が小さく呟いた。


「奴隷は、ご主人様が食べ終わってから……残り物を……」


 俺は拳を握りしめた。奴隷商人の顔が浮かぶ。あの男が、パティにどんな扱いをしてきたのか。


「いいか、パティ」


 俺は深呼吸してから言った。


「お前は自由だ。自分の食べたいものを、自分で選べ」


 パティの琥珀色の瞳が揺れた。


「え……でも……」


「選んでいいんだ」


 スヴィーナが優しく言った。


「あなたが食べたいものを、あなたが決めていいのよ」


 パティの目から涙がこぼれた。透明な雫が頬を伝い、テーブルに落ちる。


「え……ら、んで……いいの……?」

挿絵(By みてみん)

 彼女の手が震えながら、スープ皿に伸びた。指先がスプーンに触れる。カチャリ、と小さな音。


 パティはスープをすくい、口に運んだ。一口飲む。そして、もう一度涙を流した。


「お、おいしい……」


 彼女が囁いた。声が震えている。


「あたし……初めて……温かいうちに……」


 涙が止まらない。スープの雫が皿に落ちる。


 スヴィーナがナプキンでパティの涙を拭った。


「大丈夫よ」


 スヴィーナが微笑む。


「これからは、いつでも温かいものを食べられるわ」


 パティは頷いた。犬耳が少し立つ。彼女の尻尾が小さく揺れた。


 俺は黙って見ていた。胸が締め付けられる。こんなに簡単なことが、彼女にとってどれほど大きな意味を持つのか。


(自由って、こういうことなんだな……)


 ◇


 夜になった。部屋の中は静かで、窓の外から虫の音が聞こえる。風が吹いて、カーテンが揺れた。


 パティは窓際に座っていた。ガラスに額を押し付けて、外を見ている。月明かりが彼女の茶色い髪を照らしていた。


「パティ」


 スヴィーナが声をかけた。彼女はベッドに座り、古いペンダントを指先で撫でている。月光がペンダントを反射して、小さな光を放った。


「自由って……怖いです」


 パティが小さく呟いた。


「選ぶって……どうすればいいのか……分からなくて……」


 スヴィーナは静かに頷いた。


「私も昔、誰も信じられなかった」


 彼女がゆっくりと語り始める。


「一人で戦い続けて、誰にも頼れなかった。自由だったけど、孤独だった」


「スヴィーナ……」


 俺が呼びかけると、彼女は俺を見つめた。青い瞳が揺れている。


「でも、マックスと出会って……少しだけ、変われた気がするの」


 彼女の手が、俺の手に重なった。柔らかくて、温かい。


「だから、パティも大丈夫」


 スヴィーナが微笑む。


「少しずつ、慣れていけばいいのよ」


 俺は一瞬硬直した。それから、彼女の手を握り返した。


「そうだな」


 俺はパティを見た。


「焦らなくていい。少しずつ、一緒に進もう」


 パティは初めて笑顔を見せた。小さく、だが確かに。犬耳が立ち、尻尾が揺れる。


「はい……ご主人……じゃなくて……マックス」


 彼女が俺の名前を呼んだ。その声は、まだ震えていたけれど。


 窓の外で、風が木々を揺らしている。虫の音が遠くで響いていた。


 だが、その時。


 遠くで馬の蹄の音が聞こえた。複数の馬。急いでいる。


 俺は窓に駆け寄った。街道の向こうから、黒い影が近づいてくる。松明の光。武装した男たち。


 そして、その先頭にいる男の顔を、俺には見覚えがあった。


 奴隷商人だ。彼は大勢の用心棒を連れて、こちらに向かってくる。


「……来やがったか」


 俺は呟いた。

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