④
留保。何はともあれ留保。
判断を先延ばしにする。これいついかなる時も大事。
さて、どうにか町長から逃げ仰せた。いま僕はルキとマリーの家まで帰路についている。
とはいえ、一時的なものなのでどうしたものか。
さすがに、このまま飯だけ食らってはいバイバイというのはよろしくない。
そういうのは気が引ける。
どうせ旅立ったらもう二度と会わないのだとしても、僕はそういう後腐れをすっぱり割り切れるような性格はしてない。
かと言って、この町の【ガーディアン】にはなれない。
だって、戦うのは怖い。
そりゃ僕は竜だ。人なんかよりよっぽど強い魔法が使える。
でも、それができるからと言ってやりたいわけではない。
敵を殺す覚悟なんてできない。
山賊と戦ったことがある。攫われそうになったんだ。
急に後ろから麻袋を被せられて運ばれて、僕は無我夢中で魔法を唱えた。
『──っ! 切り裂け! 水刃!』
あっという間だった。魔法で作った水の刃が辺りを一網打尽にした。
竜族同士であればとても殺傷には至らない、よくてかすり傷。
切羽詰まったまま放った魔法は、人攫いの悪漢たちの命を瞬く間に刈り取った。
僕が慌てて麻袋の残骸を退けて辺りを見回すと、……血の海だった。
人間相手に手加減なんてできない。人間は弱すぎる。
僕や他の竜が【ガーディアン】をするということは、つまり、そういうことだ。
なんで他人のために好き好んで手を汚したいと思うものか。
答えはノーだ。
なーんてことを考えながらほっつき歩いていると、気づけばマリーとルキのお家に着いていた。
行きは空腹、帰りは【ガーディアン】云々でそれどころじゃなかったから歩いているときは気にならなかったけれど、立ち止まると町の人たちの好奇の視線が背中にザクザク突き刺さる。
トントンとノッカーを鳴らして家の扉が開いた瞬間、僕は逃げ込むように体を滑り込ませた。
「おかえりなさい」
「ああ……、えっとただいまです」
出迎えてくれたマリーは布頭巾を被ってはたきを持っていた。
掃除の途中みたいだ。
僕は『おかえり』に変な感触を覚えながらも、久しぶりに『ただいま』を口にした。
……旅の間、交わすことなんてない言葉だからさ。
そんな感じにモニョっていると、マリーが浮かない顔の僕に気がついた。
「やっぱり【ガーディアン】の勧誘みたいなの、されました?」
「あ、えっと、まあはい」
そりゃあもう、ガッツリと。
僕は愛想笑いで返す。
「やっぱり……」
心労が出ているのを察したのか、マリーは目を伏せた。
「ごめんなさい。弱みに漬け込むような形になってしまって」
「いや、マリーさんが謝ることじゃないですよ」
僕は手をヒラヒラとさせる。
行き倒れてたのを拾ってくれたってんだから、命の恩人だ。
それに、マリーがしたわけでもない。
けど、マリーは申し訳なさそうな顔を崩さなかった。
「気にしなくていいですからね。うちの町長、水竜様がこの町にやってきてくれたってすごく舞い上がっちゃったんです。倒れてたからそっとしてあげてほしいって町の人たちには言い含めておいたんですけど……」
「ああ……。それは助かりました」
だから、町の人たち遠慮気味だったのか。不躾にこっちを見てきはしたけれど、話しかけには来なかった。
普通なら、もっとなんていうか、崇拝される。
一応、これでも竜族は天の御使だったわけだしね。
世界が再生する前の古竜って呼ばれる竜たちは、天の御使として世界を維持していたんだけれど、古竜たちはその立場と引き換えにして今の世界を再生させたんだってさ。
そんな古いお伽話は世界中どこにでも伝わっている。
だから、竜が訪ねてきたとあらば、そりゃあお祭り騒ぎですよ。しょうがない。
ああまあ風竜族が営んでいる【風竜宅急便】は、どこにでもやってきてテレポートで荷物や手紙を届けてくれる分もう少し人々の暮らしに密接で、その分だけ神秘性みたいなのはないのかもしれないけど。
国際機関職員だし。
ま、そんなことはどうでもよくて。
「そういえば、ルキと、ご両親は?」
あの糞ジャリのことだから、僕が帰って来たらちょっかい出しにきそうなものだけど、その様子はない。
そもそもマリーとルキだけで二人暮らしっていうのも不用心だ。
マリーはお姉さんだけど、大人というには若過ぎる。
マリーはおっとりと手をほおに当てた。
「ルキはいまお外に遊びに行ってます。多分、友達にでも水竜様のこと自慢してるんじゃないかしら。父と母はいま遠くにちょっと用事があって出払ってるんです。実は、いま水竜様が使ってるのも父と母の部屋で」
「ああ、なるほど」
部屋が空いてたから、都合よく使わせてもらえてるってわけね。
じゃあ、綺麗に使わないとだ。
「お世話になります。本当、何から何までありがとうございます」
「いえいえ、父も母ももう少しかかると思うので気にせずゆっくりしてくださいね」
マリーと僕はお互いにペコペコし合う。町長との腹芸とは違って素直な礼儀の応酬だ。
そうだ。お世話と言えば、だ。
「それと──、僕行き倒れてたと思うんだけど、ルキはなぜあそこに?」
僕は気絶する寸前、誰かが顔を覗き込んでいたことを思い出していた。
アレは、きっとルキだ。
「ああ、えっと、子供たちはよく町外れの森とか川で遊んでるんです。そこまでおっきな森じゃないので迷うこともないですし、森の外も見えるので、遊んで走り回ってる間にリットさんのことが視界に入ったんじゃないでしょうか」
「なるほど……、じゃあ、ルキにもお礼を言わないと──」
「ああ、いいんですいいんです。あの子調子に乗っちゃうから」
「あはは、かもですね」
そんな風に談笑を終えて、僕は先に休ませてもらうことにした。
と、部屋に戻るその前に。
僕は寝室への階段を登る前に、マリーへ振り返り一言。
「僕のこと、水竜様じゃなくてリットでいいですよ」
……ちょっと厚かましかったかな。
けど、僕は様づけで呼ばれるような大層な存在じゃない。
少なくとも、命の恩人が恐縮する必要なんかない。
マリーは一瞬目を見張っていたけれど、すぐに微笑んで、
「はい、リットさん」
柔らかく頷いた。
リットさん。うん、水竜様より余程いい響きだった。




