5.王妃の犬ども
アーベリアはすぐにライラックの方へ身体の向きを変えると、丁重なカーテシーをする。
「あぁ、もう来てたんだね。君がアーベリア嬢かい?」
「ライラック・ユグドール王太子殿下に御挨拶申し上げます。はい、わたくしがバセロルト公爵家長女、アーベリア・バセロルトでございます。殿下の婚約者になれましたこと、大変光栄に思いますわ」
そう言い、アーベリアは嬉しそうに微笑む。
「こちらこそ嬉しいよ。これからよろしく、アーベリア」
「はい、不束者でございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「――アナタ達、もう挨拶はいいでしょ! 家令に部屋を案内させるから、アナタはそこの護衛とさっさとここから出なさい!」
ライラックとアーベリアが微笑み合う光景がよほど気に触ったのか、ルマーサは金切り声を上げアーベリアに命令をした。
「かしこまりました、王妃陛下の仰せのままに。それでは失礼いたします」
アーベリアはセンダンとルマーサに向き直ると洗練されたカーテシーをする。
そして、迎えに来た家令のあとに続き、イグニスと共に謁見の間を出た。
相変わらずこちらを見向きもしない家令の後ろを追っていると、彼の足が止まり、ようやくアーベリア達の方を振り向いた。
「ここがあなたの部屋、隣があなたの護衛の部屋です。王妃に逆らったらすぐにここから追い出されますからね。くれぐれもそのような愚行はせぬよう」
「かしこまりました。御心配くださりありがとうございます」
ニコリと微笑むアーベリアを片眉を上げ一瞥し、家令は足早にこの場から去っていった。
イグニスが家令の背中を見送っていると、クイッと袖が引っ張られる。
「そんなに睨むと目つきが悪くなりますわよ? さぁ、中に入りましょう」
「睨んでない。それに目つきが悪いのは元からだ」
イグニスは淡々と答えると、アーベリアに続いて部屋に入る。
そこはライラックの婚約者候補の部屋だったのか、普通の部屋よりも広く綺麗に整頓されていた。
「使用人の上に立つ家令がアレだから、掃除も整頓もしていない荒れた部屋に案内されると思っていたが。バセロルト公爵家を敵に回さなくて命拾いしたな」
「ふふっ。そうなりますと、あの家令の首が吹き飛びますわね。もちろん、『職を失う』という意味で、ですわよ?」
「兄上に知られたら、文字どおりの前者になるな」
「それを冗談と言えないのがお兄様の恐ろしいところですわね」
口元に手を当てふふ、と笑うアーベリアに、同意の意味で肩を竦めたイグニスは、部屋の隅にダイヤル錠が付いた鉄の箱があることに気が付いた。
「あれは……金庫か。錠には四桁の数字が並んでるな。その数字を組み合わせて暗証番号を作るんだろう。王族の部屋に金庫があるのはわかるが、普通の部屋にあるのは珍しいな」
「えぇ、そうですわね」
アーベリアがイグニスの言葉に頷いたその時、扉からおざなりなノックが聞こえてきた。
こちらが返事をする前に扉が開かれ、四十代くらいの女性がカツカツと足音を鳴らし部屋に入ってくる。
「失礼いたします。本日付で貴女様の専属侍女になりました、侍女長のミモザ・メセイアと申します。これからよろしくお願いいたします」
菫色の髪を後ろで結わえ、同じ色の瞳を持つ彼女は、無表情で挨拶をすると小さく一礼をした。
「まぁ! 王妃陛下は、侍女長であるあなたをわたくしに付けてくださったのですね。大変光栄ですわ。こちらこそよろしくお願いいたします」
ミモザの無礼を気にも留めず、アーベリアはふわりと微笑むとカーテシーで返した。
「それでは、ミモザさん……とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「どうぞお好きに」
表情を動かさず上から目線なミモザの態度に、眼鏡に隠れるイグニスの銀の瞳が微かに細められる。
「こちらにある金庫は、自由に使わせていただいてもよろしいのかしら?」
「あぁ……別にかまいません」
「ダイヤル錠がついていますが、暗証番号は固定なのでしょうか?」
「いえ、御自分で自由に決められます。初期の暗証番号は『0』が四つとなっております。番号は初期状態で変更可能です。『0』を四つ合わせて扉を開き、新しい番号に合わせたあと扉を閉めてください。変更しましたら、王妃陛下にその番号を必ずお伝えください。あのお方に隠しごとなど以っての外ですし、勝手に不審なものを入れられたら困りますので」
失礼なミモザの言葉など意に介さず、アーベリアは微笑みを湛えながらコクリと頷いた。
「かしこまりました。変更の際には必ず王妃陛下にお伝えいたしますわ」
「ほかに用件がないようでしたら失礼いたします。こちらも忙しい身ですので」
「まぁ、それはお引き止めして申し訳ございませんでした。どうぞ御自分の業務に戻ってくださいませ」
ミモザは無言で一礼すると、またカツカツと足音を響かせ部屋を出ていった。
「……家令に続いて侍女長も王妃の犬だな。姉上を見張るためにあの女を専属侍女にさせたんだろう。こちらの行動を王妃に逐一報告するに違いない。兄上の言うとおり、ここにはロクな奴がいないな」
「ラハンお兄様の情報は、いつも正確で感嘆いたしますわ」
そう言いアーベリアは微笑すると、足を扉に向けた。
「では、一通りお城を見て回り、重鎮達に御挨拶をいたしましょうか。今後のためにも、城内の構造や使用人達の顔を覚えておきましょう」
「あぁ、そうだな。――姉上」
「はい、なんでしょうか?」
イグニスは一瞬、逡巡するように目線を彷徨わせたが、やがてアーベリアの輝く翠色の瞳を見つめて言った。
「本当にいいんだな? 王太子の婚約者になって」
「それがわたくしの望んだことですから。わたくしの気持ち、もちろんあなたはわかっているでしょう? 愛する人のためならば、どんな苦難にも打ち勝ってみせますわ」
凛と響く言葉に、イグニスは小さく息を吐いた。
「相変わらずのベタ惚れだな。それならもう聞かないが、くれぐれも無理はしないでくれ」
「えぇ、ありがとう」
アーベリアは表情のないままのイグニスを見上げると、ふわりと微笑んだのだった。




