持たざる者に幸あれーーー高鳴り
ぶんっ、と風を切る音がする。誰かが朝から剣の稽古に励んでいるようだ。普段ならこんな朝早くから、このスラム街で稽古をする者などいない。だが、今日は『剛力羅』前日。稽古に励んでいる者が居てもなんらおかしくはない。
さて、どこの誰が情熱を燃やしているのだろうか。
少しからかってでもやろうと、サリエナは玄関の戸を開けた。
ぶんっ!
「違う、こうじゃない。なんかもっとこう……鋭く?」
ぶんっ!
サリエナはまさかの光景に口角がつり上がった。
彼女は集中力を研ぎ澄ましているようだったので、すぐに声をかけることは辞め、区切りの良いところまで見守ることとした。
一振するごとに手を止め、うんうんと考え、またもう一度振る。
「なんなんだろうなぁ、低く早く?うーん、もっと深くかな。」
ぶつぶつ言いながら、真剣な眼差しで丁寧に剣を振り続けている。
ところが、集中力に限界がきたのか剣を振るのを辞め、水分補給をしようとこちらを向いたところでサリエナと目が合った。
「あ、おはよう。おばあちゃん。」
「よもや、お主でありんしたか。」
サリエナの予想を裏切り、剣を振っていたのは可愛い孫であるエルリカだった。
「ん?なにが?」
「いや、なんでもありんせん。朝から精が出るのはいいことでありんす。」
「えへへ、明日に備えてやっておこうかなーって。」
エルリカは楽しそうに言う。
「お主が稽古などどんな風の吹きましじゃ?ましてや朝からなど、以前のお主からでは考えられないことでありんす。」
サリエナがそういうのは当然だ。なんせエルリカは、今まで稽古や特訓などをしたことはない。喧嘩や小競り合いが頻繁に起こるスラム街において、エルリカはその時ぐらいしか剣を持つことはなかった。
「あの雑草野郎とやり合うんだよ?勝って土下座させてやるんだから!」
ここまで息巻いているエルリカは本当に珍しい。余程あの少年に感化されたのだろう。
「よいよい。今後、お主が稽古をする日なんて来るかわかりんせん。今日はわっちが厳しく扱いてやりんす。」
あのエルリカが燃えているのだ。その闘志にサリエナも協力したいとおもった。
しかし返ってきたのはおもわぬ返答だった。
「あー、その提案はすごーく嬉しいんだけど…今日はそういうのじゃないんだ。」
「どうしてでありんす?」
「確かにおばあちゃんと手合わせするのは、勉強になると思うし戦う力も付くと思う。でも、そうじゃない気がして。今はもっとこう、自分を見つめ直す時間にしたいというかなんというか。上手く言葉にできなくてごめん。」
エルリカは、申し訳なさそうな顔をしている。
サリエナはエルリカの表情を見て、長年の勘から何となく彼女が言いたいことを理解した。
きっと、あの少年に何らかの刺激を受けたのだろう。昨日、肉を持って森から帰って来なかったのには何か原因があったのだろうと思っていた。おそらく、その時に少年に会うか何かしたに違いない。
「ふむ、わっちのことは気にするでありんせん。お主の心を信じるでありんす。」
エルリカにわずかだが笑顔が戻る。
「ありがと、おばあちゃん。」
あのエルリカが、剣だけでなく自分を見つめ直すといったのだ。何度でも言おう。あの、エルリカが、だ。
これは明日の『剛力羅』がますます楽しみになってきた。
「よく励むでありんす。」
サリエナは満面の笑みで家へと戻って行った。
さて、今日の晩御飯はなにしようか。
一方、リンデル愧人学園周辺の街は喧騒に包まれていた。明日の『剛力羅』開催に先立ち、参加者が発表された。それに伴い、毎回恒例の誰が『剛力羅銀王』になるのかを予想する賭け事が行われていた。
「今年の有力候補は、まず彼だろうな。隣国ロロイアの若き英傑、ハン・ミンデリー。」
「俺知ってるぜ。16歳とは思えない整った顔立ちでも有名なやつだよな。」
「そう。何より扱える神愧の膨大さを兼ね備えた破壊力満点の剣技。破壊力だけで言えば、生徒会長に匹敵するなんて言われてる。幼少の頃より騎士団の連中と訓練してたってんだから戦闘経験も文句なしだろうな。」
初めて賭けに参加する者もいるらしく、メモを必死に取っている者もいる。
「いーや、リンデルにおける名家の出身、若干14歳にして参加を認められた、ジャン・ローデスだって負けてないぜ。ローデス家と聞いて知らないものはこの都市にいないけど、実はローデス家からこのリンデル愧人学園に『剛力羅』を経由して入学を試みるやつは初めてだな。」
また別の男が候補者をあげる。
「ローデス家って、普段は金で入学を勝ち取ってたが、今回はどうやら実力も期待できるらしい。神愧を利用した火と水の愧術に絶対の自信があるらしい。こいつ無しで今回の『剛力羅』は語れないだろうよ。」
リンデルにおいて、もっとも名を馳せる富豪一家だ、この場に知らない者はいないらしい。
「いやいや、待てよお前ら。お前らの目は節穴か?今回の目玉はこいつ以外に有り得はしねぇよ。なんてったって、国を1つ滅ぼした殺人集団の若頭、「死閃」の2つ名をもつアルシア・ヴァルガイスが参加してるんだぜ?赤子の頃から殺しの英才教育を受けてきた。殺しが原則禁止とは言えどその戦闘経験からくる実力は折り紙付き。18歳と年齢による経験値の差も大きい。」
聞かされた名に、いくらかの人が反応をしめす。
「おいおい、まじかよ。そんな殺人鬼がどうしてリンデル愧人学園に入りたいのかは怪しいところだが、そんなやつなら優勝というゴールだけを見ればこいつが一番かもしれねぇな。」
各々が自分が期待を寄せる参加者について熱く語っている。
そんな喧騒はある人物の登場によってさらに大きくなる。
「なんだい?今年もくだらない賭け事をしているのかい。」
気だるげな声と共に現れたのは、なんともこの場には似つかわしくないリンデル愧人学園の学園長、マギナ・クロックその人だった。
「なっ!!!【愧刻】マギナ・クロック!?!?なんであんたがここに!?!?」
その場にいた全員が声の下方へと振り返った。
「なーに、今年は面白そうな参加者を見つけてね。私も少しくらい一儲けしてもいいんじゃないかと思ってさ。」
その場が一気にざわつく。
「なに?あの【愧刻】に目をつけられているやつがいるだと?誰だ?誰なんだ?」
あちこちで誰のことを指しているのか声があがる。隣国の英傑か、ローデス家の子息か、殺人集団の若頭か、はたまたそれ以外か。
「はは、そんな有名人どもに賭けたって儲け話にはならんだろ?私の本命は……」
そこで周りは一気に静まり返る。マギナの期待する人物に皆耳を澄ませ、興味津々だ。
「『持たざる者』烏原光さ。今年はこの子が一番おもしろくするだろうと思ってる。」
変わらず気怠げな声でマギナはそう告げる。周りはここ一番の轟音に包まれた。
「『持たざる者』?ないない!ぜーったいにありえないね。愧人相手に何ができるっていうんだ!?」
「そもそも参加してることにすら気づきやしなかったぜ!」
「【愧刻】さんよぉ、そりゃ賭け事が下手すぎるにも程があるぜ!」
周りはやんややんやとマギナに対して嘲笑し始めた。
しかし、マギナは動じることはない。
「好きなだけ笑うといい。この賭け事は私がもらったようだな。貴様たちは目をひんむくことになる。ではな。」
そう言い残して、マギナはまた気だるそうにその場を去っていった。
賭場はしばらくの間喧騒が止むことはないだろう。
鬱蒼とした森の中、光の背丈の倍ほどもある大きな岩を前に光は、剣を構え目を閉じる。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「我流剣術初伝ーーー雷」
目を開くと同時に渾身の一振を放つ。
巨岩には大きくひび割れが1つ。
「んー、まだ無理かぁ」
落胆して光はその場を後にする。
森には再び静寂が訪れる。
ーー数瞬後
雷鳴が轟いた。




