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「もし」
守らなくては、そんな気を引き起こすようなか細い声で、女性はガロウズに話し掛けてきた。
「はい、は~い。何をお求めですか、お客さん?」
気配が全く無く、声をかけられて振り向き漸く気づくことの出来た女性の存在に、ガロウズは本当に驚いた。だが、そこはミアから任された店員として、驚きを表情に出してしまう事はせず、にこやかなに笑ってみせた。
「飴を」
綺麗に結い上げた髪、貴族だと主張するドレス。
ただ、どうしてだろうか。
目が霞んでいるのか、彼女の顔や姿が何故かはっきりと認識出来ないような。そんな感覚に彼女を目の前にするガロウズは陥っていた。それは、その不思議な現れ方をした客に注目していたラースもエレクトラもアクナも、それぞれが抱いたことだったが、今この時にそんな感想を伝え合えはしない。この不思議に思ったそれは、彼女が店を立ち去ってから、お互いに伝え合い、そしてその可笑しさに気づくことになる。
「飴?」
「今、持ち合わせがありませんの、ですから、これでどうか、飴を譲っては頂けませんか?」
そう言って、女性が差し出して見せたのは、少しくすんでいる指輪。
くすんで、古ぼけている指輪ではあるが、到底、ただの飴玉と釣り合うものではない。もちろん、指輪の方が高価すぎるのだ。
「いや…えっ?」
半ば無理矢理、その女性から戸惑うガロウズの手へと指輪が移る。
御願い致します、と指輪が乗ったガロウズの開いた手を、女性は柔らかな両手で閉じさせ、指輪を落とさぬようにと握らせた。
その手は、ぞくりっと悪寒が背中に走り抜ける程に、とても冷たかった。ガロウズはそれに気をとられ、常に浮かべていたヘラヘラとした笑いさえ、何処かへ落としてしまった。
「飴を」
「申し訳ありません。私達はただの手伝いで、それをしていいのか判断出来ないのです」
表情を消し、青褪め、女性に手を握られている形で動きを止めてしまったガロウズに代わり、そう女性に言葉をかけたのは一番の年長として、纏め役を自負しているラースだった。
ガロウズのその様子に、ラースは申し訳ないという意思を宿した笑みを浮かべながらも、常人には分からないように装いながら警戒を強める。それはラースだけでなく、店のあちらこちらから女性とガロウズへ目を向けて仕事の手を止めているエレクトラとアクナにも、僅かに警戒した様子が見て取れる。
「そんな…」
顔の印象が上手く定まらないが、女性は確かに悲しげな表情を浮かべた。その声にも、ラース達の胸を強く波立たせる苦しげな響きが。
だが、ラース達にはどうしようも無い事なのは本当だ。
店の商品をどうするかと決定出来るのはミアだけだ。店主であるジェラルドが帰って来れぬ場所に留まっている以上は、今ラース達に勧められて出掛けて行ったミアだけだ。女性には悪いが、タイミングが悪かったとしか言いようはない。
お金ではなく、価値も分からない指輪を代価に。
例え求められた物がたかだ飴だとしても、それをするかしないかを決める権利は、ミアの留守を守る、ただの手伝いでしかないラース達には無いのだ。
いや。
本当にただの飴玉が欲しいのだろうか?
ふと、そんな事を思ったのはラースだけではなかった。皆がほぼ同時に、それに思い至っていた。勿論、それを顔に出す事なく、他の面々に確認を取った訳ではないが、自分以外が一瞬浮かべた顔色を彼達は見逃しはしなかった。
それが名のある本物だろうと、屑石を仕立て上げた偽物だろうと、そもそも指輪という代物自体の価値というものが飴玉と釣り合う訳がない。そんな事、幼子でも理解していることだ。なのに、この女性は指輪と飴玉を交換して欲しいと言う。
その飴玉というのは、本当にただの、あの口に含んで舐め溶かして食す、甘くて硬い飴なのか。
普通の店でなら、きっとラース達も「こんな事があるんだな」と笑い話にしてしまうくらいはするだろう。だが、此処は普通ではない。"幸運を得られる店"。ラース達自身もこの店に『特別な飴』を求めてやって来たのだ。
この女性もそれを、望んでいるのではないのか。
「どうか」
自分達を同じ、自分達がまだ手に入れてはいないそれを望んでいるのか、という思いを目に描き出し、ラース達は女性を見ていた。
その視線の中で、それらに何の気も取られることなく、女性はただ「どうか」と口にした。
どうか飴玉を。
御願い致します。
「子が、お腹が減ったと泣いているのです。どうか、せめて甘い飴玉を」
どうか。
今にも消えてしまいそうなか細い声で、女性は何度も何度も、飴玉を、と繰り返す。
「子供?」
その懇願の中に聞こえた、女性が飴玉を望む理由だと思われる言葉に、エレクトラが一番に気づいた。
「…もしかして、本当に普通の飴をお求め、なんですか?」
「?普通では無い、飴なんてものがあるのですか?」
自分達が思い違いしていたことに、女性のその答えに四人は気づかされた。
『エチゴヤ』は普通ではない店である。だが、その一方でその品揃えは本当に普通の、この港街に並ぶ店達とそう変わらない。そもそも、"幸運を得られる店"というのは店を訪れた客達の体験を基にした噂によるものであって、ミアとジェラルド親子が言い始めたことではない。
その噂を知らぬ者からすれば、この店にはただ欲しい物を購入しにくるに過ぎないのだ。
「あぁ…えっと、飴はこの棚にある、ね」
丁度、アクナが立っている棚の中に、飴玉が数種類、種類ごと瓶に分けられて置かれていた。今日訪れた客達の中にも飴を購入する者達が居た為、アクナが片手で掴み上げる程しかない丸い瓶の中に、瓶の半分有るか無いか程しか残ってはいない。
その内の一つ、透き通った青色の飴が入った瓶をアクナは持ち上げ、コロコロと音を立てさせる。
その顔は自分がしていた勘違いが気まずく、苦虫を噛み潰した表情を浮かべている。
御願い致します、と女性は尚も言い募る。
「あぁ…いいよ。うん、分かった。アクナ、この人にそれ渡してあげて」
氷りついていたガロウズが復活した。
まだまだ完全ではない様子で、その顔に浮かんでいるのは常のヘラヘラとしたものではなく、何処か疲れの見えるものだった。
「ガロウズ。勝手なことは」
出来ないんだぞ、とラースは言い続け、ガロウズを注意しようとした。だが、それをガロウズは肩を竦めて止めた。
「飴の代金は俺が払っておくから、さ。ほら、俺、指輪受け取っちゃってるし…」
女性に握られた冷たさが、まだまだガロウズの手に残っている。ラース達に見せようと顔の位置にまで持ち上げられたガロウズの、硬く握り締められた手は、ガタガタと震えていた。手だけなのだ。顔も体も、下に垂れ下がったままの逆の腕も、一切震えてはいない。
「ちゃんと、ミアちゃんにも謝るから」
なっ?と。
「ミアちゃんが怒って、貴方のことを追い出しても、助けてなんてあげないからね」
その方が飴を多く手に入れることが出来るかも知れないし。
エレクトラがその頼みを鼻で笑い、だがその手はアクナから飴の瓶を奪い取る。そして、ガロウズに向けたのとは正反対の、優しげで美しい笑顔を浮かべて、女性へと近づいた。
どうぞ。
エレクトラが差し出した飴の瓶を、その女性は宝物を扱っているかのように、大切に大切に胸へ押し付けるように抱き締める。
「ありがとうございます。あぁ、本当に、ありがとうございます」
そして女性は、エレクトラとガロウズ、そしてアクナ、ラースに頭を何度も下げ、瓶を胸に抱え走るように店を後にしていった。
「…まるで死体みたい」
その背中を見送ったエレクトラは呟いた。
瓶を渡す際、触れることのなってしまった女性の手が、昔触れたことのある死体のように、冷たかった。冷たいもの、というだけなら他にも例えようがあるのだが、エレクトラはただ直感として、死体、というものが思い浮かんだ。それが何故なのかは、エレクトラ自身も分からない。
だが、ふと顔を上げた時に目が合う事となったガロウズも、真剣な面持ちでエレクトラのその呟きを肯定していた。




