プロローグ 天使って、何ができるの?
楽屋のテーブルに、差し入れの箱が置かれていた。
「わ、プリンだ」
誰かの声に、何人かが集まってくる。
葉澄日和莉も、少し遅れて箱を覗き込んだ。
「おいしそう」
「日和莉、こういうの好きそう」
「好き」
即答だった。
箱の中には、きれいに並んだプリン。
一つ。
二つ。
数えていた楓花が首を傾げる。
「あれ、一個足りない?」
「ほんとだ」
「誰か食べた?」
「まだ誰も食べてないよ」
ちょっとした騒ぎになる。
日和莉はもう一度箱を見た。
それから、特に考え込む様子もなく言った。
「じゃあ私いいよ」
「え?」
「私の分なくて大丈夫」
「でも日和莉、今好きって言ったじゃん」
「うん、好きだよ」
「じゃあ食べなよ」
「でも一個足りないんでしょ?」
日和莉は不思議そうに首を傾げた。
まるで、それ以外に選択肢がないような顔だった。
「さっきパン食べたし」
「いつ?」
「……朝」
「朝!?」
一斉に声が上がる。
日和莉は目を丸くした。
「朝も、さっきじゃない?」
「違うよ!」
「そうなんだ」
真顔で頷く。
その瞬間、楽屋に笑いが広がった。
「もう、日和莉ってほんと天使だよね」
誰かが言った。
「Rain Crownの良心」
「それ絶対そう」
日和莉は笑いながら、
「そんなことないよ」
と手を振った。
でも。
数分後。
みんながプリンを食べ始めた頃。
ソファに座っていた日和莉のお腹が、小さく鳴った。
しん。
一番近くにいた真姫が振り返る。
「……ひーちゃん」
「ん?」
「お腹すいてる?」
少し考えて。
「うん」
「でしょうね」
真姫が笑った。
「私の半分食べる?」
「いいの?」
「いいよ」
「でも真姫ちゃんの減っちゃうよ」
「半分だから」
「半分って、減ってるよ?」
「そういう意味じゃないの」
また笑いが起きる。
日和莉だけが、なぜ笑われているのか分からない顔をしていた。
◇
その日の夜。
日和莉はベッドの上で、今日公開されたRain Crownの記事を読んでいた。
メンバーそれぞれの紹介。
歌声。
ダンス。
表現力。
トーク。
リーダーシップ。
ステージでの存在感。
いろんな言葉が並んでいる。
そして自分の名前。
『Rain Crownの天使』
『癒しの存在』
『誰にでも優しい、グループの良心』
日和莉はしばらく画面を見つめた。
嫌なわけではない。
むしろ、そんなふうに思ってもらえているのは嬉しい。
ただ。
「……天使」
小さく口にする。
天使。
優しい。
癒される。
よく言われる。
でも。
自分では、よく分からない。
困っていたら声をかける。
一人だったら隣に座る。
食べ物が一個足りなかったら、自分が我慢する。
そんなの。
特別なことなんだろうか。
日和莉はスマートフォンを胸の上に置いた。
天井を見る。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……天使って、何ができるんだろ」
答えは出なかった。
ただその言葉だけが。
いつもより少し長く、日和莉の中に残った。
ーー続く




