6話 別れと始まり
魔王は立ち上がり、手を鳴らした。
「はい。じゃあ勇者君の御一行はー……退散!」
「……するわけねえだろ! クレア、お前も何馬鹿なことを……!」
「アーサー」
アーサーの声が掠れている。そんなに泣きそうな顔をしていたんだということに、今更気付いた。私は駄目な友達だ。
「ありがとう。でも、もう決めたことだから。……これで皆のことを守れるなら、私はそれが一番幸せだよ」
「そんな奴の言うことをあっさり信じるのかよ!? クレアはもっと慎重な奴だ! ……さては魔王、お前……クレアに何かしたんじゃ……!」
「馬鹿なこと言わないでよ。クレアは俺が知る限りでも相当優秀な賢者だ。洗脳の類はクレアには効かないよ」
洗脳の類は——効かない?
そんなの、私ですら初耳だ。
「……貴方は、いったい……」
どこまで、私のことを?
「クレア。積もる話はあとでゆっくりしようね。……ほら、いつまで居るの君達。早く帰りなよ。帰り道も襲われることないから、暗くても大丈夫だって。一本道だったでしょ?」
「クレア……! 私、そんな……クレアが居なくなるなんて考えられないよ!」
「僕だってそうだ……。クレア、考え直そうよ。バラデアが襲われたって、僕達ならどうにでも出来るから……!」
「俺がどうにかしてみせる! だからクレア……!」
皆はずっと、私のために焦ってくれる。私のためにどうにかしようとしてくれる。
ああ、やっぱり私はこの人達が大好きだ。だからこそやっぱり——揺らいじゃいけないね。
私はたっぷりと息を吸い、ゆっくりと吐き出す。全ての息を吐き切ってから顔を上げた。
「魔王……様。三人を……すぐに、王国に帰してあげることは出来ませんか……?」
「……っ、クレア!」
焦るアーサーの声が、今は耳に痛い。
「出来るよ。その魔王様って呼び方と、敬語をやめてくれたらすぐにどうにかしてあげる」
まるで同年代の子と初めて喋った時のような会話だ。そういえばニーナに初めて会った時にも、「さん付けと敬語は禁止ね!」と言われたな。
そんなことを思い出し、私は三人から目を背けた。視線は小石が転がる地面へと向く。
「……お願い。レイヴァン、さん」
「分かった。クレア。君の望み通りに」
魔王は指を鳴らす。
すると薄水色の光が地面からあふれ出し、光が消えると同時に、私達の目の前には家の玄関扉ほどの大きさの鉄扉が現れた。扉には大きな金色の輪が取り付けられている。
魔王はそれを持ち上げて扉へ三回ほど軽く打ち付けたあと、扉を開いた。
その先に広がっていた景色は——。
「……地下扉の前……?」
私達がここに来る前に、バラデア王国の国王に見送られた場所そのものだった。
「ここは確か国王城の中にあるんだよね。国王は寝てる時間帯だろうけど、叩き起こして俺の首を見せてあげると良い。それじゃあね、勇者君達。……クレアに会いたければ、探しに来ると良いよ」
「は……!?」
「それじゃあね」
「おい、待て! クレッ……うわっ!」
アーサー、バルド、ニーナの足が地面から浮き上がり、三人の体は扉の向こうに引き寄せられていった。まるで磁石同士がくっ付く時のように、その動きは速かった。
「……皆……!」
私が扉の向こう側を覗き見るよりも早く扉が閉まり、再び薄水色の光があふれ出す。扉は徐々に光と共にその姿を消していった。
——何も言えなかった。もう会えないかもしれないのに。挨拶すら出来なかった。大好きだと、元気でねと、そう伝えることすら出来なかった。
でもそれは私が願ったことだった。別れの言葉を交わすと、私はきっと皆と離れたくなくなるから。
何も言えないくらいがちょうどいい。
「……ごめんね、クレア。無理矢理なことをして。でも俺は嘘は吐かない。勇者君が持って行った俺の首には俺の魔力が込められているから、魔物達は迂闊にバラデアに近付けないはずだよ」
そうなんだ。それはすごいですね。
なんて、言ってもらえると思ったのだろうか。この人でなし。いや、人じゃないから、それはそうなのか。
私の目からはとめどなく涙がこぼれる。もののついでに大声も張り上げて、泣き喚いてやる。
私は遠慮することもなく腹の底から泣いた。
「……ごめん。ごめんね。クレア」
地面に膝をついた私の体を、諸悪の根源が抱きしめた。
悔しいほどに落ち着く匂いがする。どうしてなのだろう。私の情緒はぐちゃぐちゃだ。
「これは俺の我儘でしかないってことはちゃんと分かってる。君を傷つけた分、取り繕うから。絶対に不幸になんかさせないから。だから……」
魔王の手が私の頭を撫でる。
「もう俺から……離れないで」
「……言ってる意味が分からない……。私、貴方と初めて会うのに……」
「…………やっぱり、そうだよね」
「……やっぱり……?」
私の体がふわりと浮き上がった。眼前には魔王の顔がある。憎たらしいほどに綺麗な顔。
だからこれは——つまり。
「……えっ!?」
体が横抱きにされていた。
人生で初めての経験だ。そもそも男性に触れられたことなんてないのに。もちろん、アーサーやバルドにだって。
ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
「あ……ごめん。癖でつい……」
「癖!?」
私は足をじたばたと暴れさせるが、それでも魔王は私のことを降ろしてくれる気はなさそうに私の体を抱く手にさらに力を込めた。
「とりあえず、今日はうちに帰ろう。疲れたでしょ」
「……う、うちって……」
気付けば涙が止まっていた目で、私は聳え立つ魔王城を見る。魔王は小さく微笑み身を翻して足を進め始めた。
「…………あれ?」
と思ったのだが、魔王の足が止まる。
彼は眉を顰めつつ首を傾げていたが、やがて「まあ良いか」と呟いた。
「クレア、場所を移動するね。酔っちゃうかもしれないから俺が良いって言うまで目を閉じてて」
「え?」
「少しだけ」
言われるがままについ目を閉じてしまった。真っ暗な景色の中で、ほんの一瞬だけ僅かに体が重力に逆らったような、内臓が持ち上がるような感覚を受けた。
「お待たせ。目、開けて良いよ」
またしても言われるがままに、そっと目を開く。
「…………あ……」
花畑。
そう呼ぶに相応しい光景が広がっていた。月明かりの元で数多の花達は色とりどりに咲き誇っている。「私を見て」「私が一番綺麗」なんて声が聞こえてきそうなほどに、どの花達も美しい。
花畑の隅に一軒の家が建っていた。魔王城に比べると小さいが、私が住んでいた家に比べると大きいレンガ調の家。バラデア王国でも、富裕層はこういう家に住んでいた。
「……ここ、は……?」
「俺の家。今からクレアの家でもあるね。……花は、好き?」
好きかどうかの二択なら——それは、好きだけれども。
私がつい頷くと、魔王は目を細めて笑んだ。彼は玄関の前に立ち、私の体を地面へと降ろす。
「さぁ、入って。クレア。……掃除だけは毎日ちゃんとしていたんだ。綺麗好きな君がいつ来ても良いように」
背中を押されて家の中へと入る。彼の言う通り掃除はされているようで、蜘蛛の巣一つ見当たらない。
彼はしきりに「ここがトイレでこっちがお風呂ね」などと私に説明をしながら家の中を案内する。声色はなんだか明るい。
「で、ここが……クレアの部屋」
「私の?」
「そう」
促されるまま扉を開いた。
部屋の中はベージュを基調とした部屋。テーブルがあって、クローゼットがあって、ベッドがあって、全身鏡が置いてあるだけ。シンプルそのものなのに、私の心は酷く落ち着いた。
その部屋を見た途端に全身の力が抜け、また私は膝を地面につく。
「……どうして……」
だって、ここは——。
「君が住んでいた時の部屋をそのままにしてある。家具の劣化を防ぐために魔力は込めてあるけど……それ以外は、君の部屋のままだ。……好みは変わっていないみたいだね。良かった」
バラデア王国にある私の家の、私の部屋。そっくりそのままの姿だったから。
「……お帰り、クレア」
魔王が言う「お帰り」の意味も分からないまま、私はまた咽び泣いた。背後から魔王の腕が伸び、私の体を抱きしめる。
悔しいほどに、その腕は私を安心させてくれた。




