5話 選択
「魔王辞める。その代わり、この娘を置いて帰って」
魔王の口調からは喜怒哀楽のどれも感じなかった。
しばらく間が開いたのち、「はぁ!?」と私以外の三人が大きく声を張り上げる。
「クレアを置いて行けって!? 帰れるわけないだろ! お前、何考えやがる!」
「うるさいなぁ。何考えてるって聞かれても、俺はずっとクレアのこと考えてるんだよ」
「だからなんでだよ! さっきからクレアのこと知ってるように話すけど、クレアはお前のことなんか知るわけねえんだよ!」
アーサーの言う通りだ。私は魔王のことを知らない。
知らない——はずだ。
「もー、仕方がないな。こういう交渉の仕方は好きじゃないけど、言い方を変えるね。……クレアを置いて帰らないなら、魔物達にさっきの約束を忘れてって言っちゃうかも」
「さ、さっきの約束って……バラデアに手を出さないでってやつ……?」
ニーナの問い掛けに魔王は頷く。
「勇者君。君の剣はさっき俺が折っちゃった。君に与えられた勇者の加護は、そうなるとどうなるの?」
「…………そ、れは……」
アーサーは手に持つ剣を見詰めた。今はもう一滴の光すらも放たない、折れた剣。
「アーサー、心配要らない。そのために僕が居るんだ」
「そうだよ! 私だって居るよ!」
「うーん。茶髪君は強い魔力を感じるから魔法使いかな? ピンク髪ちゃんは……まあ微量の魔力はあるけど、戦えるほどではないよね。君達二人だけで俺に勝てるって、本気で思ってる?」
魔王が二人に目を配る。途端、バルドの持つ杖は切れ目が入ったように真っ二つに割れた。
「なっ……!」
「さて。もう誰も守れないかもしれない君達が、のこのこと王国に帰ったら国の人達は君達のことをどう思うだろうね。魔物達に『皆で仲良くバラデアを襲いに行け』と命令することも俺には出来るよ」
月に雲が被り、翳る。
「それにしても特に……勇者ってのは大変だね。生まれながらにして、身勝手に人の命を背負わされて」
魔王の眼は暗がりの中でも鈍く光った。
「さて——勇者。改めて聞こう。一人の存在を取るか、王国に住む多くの命を取るのか。好きな方を選ぶと良い」
アーサーは口を閉じ、目を伏せた。
——だけどそんなこと、アーサーが選ぶまでもない。
選ばせない。
私は震える唇から息を吐き出し、腕に付けたブレスレットを握りしめた。
「どうして……私なの?」
震えているのは息だけかと思っていたけれども、言葉も体も心臓もすっかりと震えてしまっていた。
「…………君を、待っていたから」
魔王は私に向かって手を差し出した。細く長い指先は、微かに震えているように見えた。
どうして魔王も私と同じように震えているのだろう。なぜこんなに、怖がっているように見えてしまうのだろう。
「クレア。どうか俺と……一緒に来て。そうすればバラデアは……君の王国には、誰にも手出しさせない。勇者君も茶髪君もピンク髪ちゃんも、家族も、友達も、皆で平穏に暮らしていける。俺が保証する」
身勝手で無茶苦茶で、それでいて傲慢だ。
私はこんなにも訳が分からないというのに、説明の一つもありはしない。聞きたいことはいくらでもある。知りたいことも納得出来ないことも、たくさんある。
「……本当に?」
私は魔王の顔を見詰め返す。彼はゆっくりと頷くが、その目は瞬きをすることはない。
「クレア! 惑わされるな!」
「ソイツは君の賢者の力を知って、君を狙っているのかもしれない! あまりにも危険だ!」
「そうだよ! こんな奴、放っておこう! ……もう帰ろう! クレア!」
魔王から目を逸らして三人の顔を見ると、心は安堵で満たされた。
家が近所の幼馴染。両親が亡くなってからも、三人がずっと側に居てくれたから寂しくなかった。これからも当たり前に四人一緒にいるものだと思っていた。
鼻の奥がツンと痛む。その痛みを誤魔化したくて、唇を噛んだ。
「分かりました。私……貴方と行きます。魔王」
大好きな友達。
私ね、三人が無事でいてくれるなら——何も怖くないよ。
「クレア!」
三人が声を揃えて私の名前を呼ぶ。焦燥感に満ちたような、そんな声を私のために出してくれている。
それだけでもじゅうぶんすぎるほど、私は幸せだ。
「その代わり三人の……バラデア王国の安全は必ず……」
「約束する」
魔王は私の前に跪き、私の左手を取った。
あれほどの数の魔物達を跪かせるほどの存在が、私の前に片膝をついている。
「君の友人達に捧げるのは、俺を討伐したという名誉と王国の安全だ。まあ、名誉なんてあるか分からないけどね」
月を隠していた雲が風に流され、再び月明かりは私達を照らし出した。
魔王の白い肌も、長い睫毛も、形の良い唇も。月がその美しさの何もかもを暴いていく。
このままだと目が奪われてしまうと、私はかぶりを振った。
「君はただ、俺の隣に居てくれればそれでいい。何もしなくていい。ただ、笑って生きていてくれればそれでいい。クレアのことは……俺が必ず守るから」
握られていた左手に、魔王の桜鼠色の髪の毛がさらりとかかった。薬指に何かが触れる。柔らかくて、冷たい。
それが魔王の唇であったことに気付いたのは、少し後になってからだった。




