33話 氷の針
気怠そうに頭を掻きつつ、レイはルシアンさんとエドガーくんに向けて交互に視線を動かす。
エドガーくんは立ち上がろうとした様子を見せたが、それより先に片膝が地面へとついた。
「えっ。エドガーくん?」
「…………クレアちゃんは人間だから分からないと思うんだけど、魔王様の魔力の圧ってまじでやべーのよ。俺みたいな中位の魔物は、圧に屈して体が勝手にこうやって動いちゃうんだよね」
「余や、ヴィル坊やクロ坊なら平気なんじゃけどな」
「……ああ、そうだ。お前たち、ルシアンとエドガーだったっけ」
そう呟く声の低さからも気怠さを感じる。
「そろそろちゃんと覚えてほしいのう。レイ坊」
「クレアと……まあ、クロとヴィクトルで名前覚えるの限界なんだよね。名前を覚えるって面倒でしょ?」
「多分それはお主だけじゃと思うけど。それよか、クレア嬢に土産を渡してある。余が食べたクッキーの中で、もっとも美味いクッキーじゃ」
「ご機嫌取りのつもり? まあいいや。……ヴィクトル、外にいる村人たちがこいつらのことを不審がって教会に入れないみたいだけど」
「えっ」
私も扉の外へ視線を向けた。
確かに教会の前を通り過ぎる村人たちは、ひそひそと囁きながら行き交っている。
「なんじゃ。そんなに余たちが物珍しいかのう」
「変わった服着てるからじゃない? エドガー、いつまでそうしてるの? 早く立ちなよ」
「……そうしたいんだけど……魔力を抑えてもらえないかにゃー……」
「魔力を抑えるなんてやったことないからやり方が分からない。お前が適応して」
クロやヴィクトルさんと話すのとはまた違う、今のレイの声色にはいつもより氷の針で刺されたような冷たさを感じる。
よく見るとエドガーくんの額には脂汗か冷や汗か、どちらとも区別のつかないものが垂れていた。体も微かに震えているような気がする。
「……レイ、あの……魔力ってどうしても抑えられないものなの? ちょっと弱めたり……」
「…………んー……。頑張ってみるね」
私が尋ねると、レイは唇を薄く開いた。
「クレア嬢がレイ坊の手でも握ってやれば、もしかしたらどうにかなるかもしれんのう」
間髪入れずにルシアンさんはほくそ笑む。
「……手を? 私が?」
「そうじゃ。な、レイ坊。そうしたらお主はなんでも出来るじゃろ?」
「茶化すな。クレアに触れるなんて、そんなことをしなくてもどうにでも出来るよ」
「……え?」
ルシアンさんとエドガーくんに向けられていた氷の針がそのまま私の心臓を突き刺した。冷たくて痛い。
なんて、馬鹿げた比喩だ。
実際に刺されたわけじゃあるまい。そんなわけがないのに。
私はただ瞬きを繰り返すことしか出来なかった。
そんな私をよそに、レイは腕を組んでエドガーくんを見下ろす。
「ほら、どう?」
「あ、立てる立てる。サンキュー、魔王様」
私には何の変化も感じられなかったけど、エドガーくんにとっては違ったようだ。へらへらと笑いながら彼は立ち上がり、レイに向かい腰を軽く折ってお礼の言葉を述べた。
「でさ、魔王様。クロは一緒じゃなかったん? クロに会いたいんだけどさあ」
「クロなら……もう帰ってくるよ。すぐそこにいる」
クロがすぐそこにいる?
ああ、良かった。
私は息を吐く。これは安心した吐息。
今は無性にクロの顔が見たかった。
でも、この様子だとクロはエドガーくんとルシアンさんと話し込むだろう。きっとヴィクトルさんもそこに混ざる。
私はそうしたらレイと時間潰しに何か会話をすることになるのだろう。
嫌ではない。誓って、そこに嫌という感情はないけれども ——。
「おっ」
聞こえた一言と共に、ひょっこりと扉の陰からクロが顔を覗かせた。
「やっぱエドガーとルシアンだ。ここに寄るの珍しいじゃん」
「クロー!」
「おお、クロ坊。元気にしとったか。相変わらずお主は綺麗な顔をしとるのう」
「はは。孫の顔を見た爺ちゃんみてえなリアクションだな」
クロは「ルシアンこそ今日も麗しいぜ」と言いつつルシアンさんの横を通り過ぎ、真っ直ぐに私の元へと歩み寄った。
「クロ……」
「……クレア。その紙袋、ルシアン達からもらったんだろ? そこの店のクッキーが猫の形をしててさ、可愛くて美味いんだよ。あいつらの友達の親が作ってんだと。マシュマロってやつも美味くてさ」
「あ! それ、さっき頂いたよ。すごく美味しかった」
クロは目尻を下げる。
「俺もそのクッキー食いてえな。……今から、それ一緒に食っても良いか? 話でもしながらさ」
——ああ。
この人、本当に鋭い。
「…………うん……」
私は潤む視界をどうにか戻そうと下唇を噛む。
クロは片眉を下げて肩を竦めた。
「ヴィル。今日はどうせもう人は来ねえよ。店仕舞いにしようぜ」
「え? いや、でも……」
「俺の可愛さに免じて頼む。ルシアンとエドガーはどうすんだ?」
「家に遊びに行くつもりだったけどにゃー、大丈夫そ?」
「んー」
クロは唇に指を添え、小首を傾げる。
「ならヴィルと一緒に先に行っててくれ。俺はレイの家で……クレアとお茶してから帰るわ」
「え。ちょっと、勝手に決めないでよ」
「あのな、レイ。お前は俺に借りがあんだろ」
クロの気遣いはもちろん有難いし、嬉しい。だけどお茶だけ飲んだらクロは帰ってしまう。
そうしたら家にレイと二人きりだ。今の私はそれが耐えられるだろうか。
色々な感情が渦巻き、ぐるぐると脳の中を駆け回る。今は何も考えたくない。
私は咄嗟にクロの服の袖をつまんだ。
「ん? どうした、クレア」
「クロ。ヴィクトルさんも…………今日これから……私を、二人のおうちに泊めてくれませんか……?」
「おう。もちろん良いぜ。な、ヴィル」
間髪を容れず返ってきた軽快なクロの返事を最後に、教会の中が静まり返る。
私の口だって、意外なほどにあっさりと返ってきた肯定を上手く呑み込めず開きっぱなしになってしまった。
「……クレア?」
やがてレイはか細く私の名前を呼んだ。
「言っとくけどレイは来んなよ。俺の部屋をクレアに貸して、俺はヴィルの部屋で寝る。それでうちは満員だ」
「えー、俺とルシアンは?」
「家は近くに建ててるだろ。寝る時は家で寝ろ。って、あ……クレア。こいつら、いてもいいか?」
クロとゆっくり話したかったような、でも今は賑やかな方がありがたいような。とりあえず私はうん、と頷く。
「よし、そうと決まったら帰ろうぜ」
クロは身を翻して歩き出す。
ヴィクトルさんは何かを言いたげにレイの顔を見たりクロの背中を見たり忙しなく目を動かしていたが、最後は彼の赤色の瞳はクロの背中へと落ち着いた。
「クレア様にお貸しするんだ。帰ったらまずはお前の部屋の掃除だぞ」
「分かってるって。安心しろよクレア。ねんねの時間までには綺麗にするさ。……ヴィルがな」
「おい」
クロは教会の扉に向かって背伸びをし、再び私の方を振り返る。
「それじゃ行くか。今日はルシアンとエドガーもいる。吸血鬼のパーティーへ招待するぜ、クレア」
差し込む光に照らされたクロは、まるで彼自身から光が放たれているかのように眩しい。
「……ごめんね、レイ。明日にはちゃんと……帰るから」
私はレイの顔を見れずにただ俯いた。
感情を落ち着けたらちゃんと、帰るから。




