32話 そなたはそなた
ルシアンさんは私の耳に届くか届かないかほどの声量で笑った。
「器として不完全か。そんなことは言うてはおらんよ」
「でも……」
「レイ坊も悪い男よのう。安心させる言葉の一つも掛けずに側に置いておるんじゃな」
ぱちん、と指同士を弾く音が鳴り、遅れて扉が開いた。「うわっ」と、か細い声が聞こえたかと思えば、人影が教会の中へとよろめきながら入り込む。
「エドガー。いつまでそこにおるつもりじゃ」
「ごめんごめん! 真剣な話してたっぽいから、悪いかなって思っちゃったんだよ」
また私の知らない、若い男性の声が教会を通った。
黄緑色の髪を揺らし、それよりも濃い緑色の瞳をしばたたかせながら男性はへらへらとする。やはり彼の口元にも鋭く尖った犬歯が鈍く光った。
彼は首元で布がたっぷりと弛んだような、これまた一風変わった見たことのない服を着用している。
「クロの奴、どこに行っちゃったのか見つからなくて。会いたいのにさ」
憶測だけどこの人はエドガーという名の男性なのだろう。彼は私の顔を見下ろし、「なるほどにゃー」と顎を引いた。
「クレア……ちゃん。魔力云々は俺には分からないけど、見た目だけならまんまクレアちゃんだね。俺はエドガー。好きに呼んで良いよ」
「……えっと……じゃあ、エドガー、くん」
「謙虚な呼び方だね」
つい先程聞いたばかりのような言葉だ。
エドガーくんはルシアンさんの隣の椅子へと腰掛けた。
「盗み聞きとは趣味が悪いのう」
「外に居るの分かってたっしょ。中に入れてくれりゃ良かったのに」
「お主には分からぬ話かと思うての」
「にゃはは。否定出来ん」
エドガーくんは口元を緩めたまま再び私の顔を見る。クロとはまた違うが、人懐っこい笑顔。
「でもあれな。やっぱり元クレアちゃんと現クレアちゃんは雰囲気がやっぱり違うね」
「……雰囲気?」
「うん。現クレアちゃんの方がふわふわしてる。儚い? って言うの?」
「……あ……クロにも似たようなこと言われました」
「だろうにゃあ。んでさ、難しい話は終わったの?」
ルシアンさんは軽く唸り、私を見る。
「終わらせてもええじゃろう。あとはレイ坊とクレア嬢の……若いもの同士の話になるわけだし」
「……それは……」
「……クレア様。余計なお世話かとは思いますが……一度、話を休憩にいたしませんか。お疲れになりませんか」
ヴィクトルさんの心配を素直に受け止めた私は息を吐き出した。するとこめかみがずきん、と微かに痛み出す。
我ながら難しい話は苦手だ。きっと混乱しているのだろう。
「あ。クレアちゃん。その手に持ってる紙袋、ちょっと貸してみ」
「え? あ、はい?」
私はルシアンさんから土産だと言われ受け取っていた紙袋をエドガーくんに手渡す。エドガーくんはその中から一つ、透明な袋に包まれた何かを取り出して私に手渡した。
白いふにふにとした、猫の形をした——。
「これって……なんですか?」
「マシュマロって言うの。友達の親が経営してる店で作ってるお菓子。甘くて美味いから食べてみ。疲れた時は甘いものが良いって言うっしょ?」
マシュマロという名前のそれを取り出して眺めてみるが、毒物の類ではなささうだ。口に含むとしゅわっとした食感はすぐに溶け、甘さが口の中いっぱいに広がる。
「すごく美味しい……」
「でしょ? あとクッキーも入ってるからさ、それは家で食べてね。……クッキーは伝わるんだよね?」
クッキーは知っている。だけどマシュマロというものは知らない。それに、彼らの服装も見たことがないものだ。
「クッキーは知っています。けど、ルシアンさんとエドガーくんってこの辺りの人……魔物ではないんですか? 服装が……」
「余達もヴィル坊たちの家の近所に住んどるよ。じゃけど、仕事場が遥か遠くの地でのう。マシュマロもこの服も、そっちで調達したんじゃ」
「ちなみにルシアンが着てるのはTシャツってやつで、俺が着てるのはパーカーってやつ。着心地が良くって気に入ってんのよ」
「へえー……」
異文化交流とはこういったことを言うのだろうか。
本当に不思議な服装だ、なんて、まじまじと彼らの服装を見詰めているとルシアンさんの細い笑い声が聞こえた。
「少し気は紛れたかのう。クレア嬢」
「……あ……」
「かはは。誰がなんと言おうと、今のクレア嬢の人生はそなたのもの、納得のいくようにそなたの生き方を謳歌するとよい。……自分は一体何、なんて考えなくて良い。そなたはそなたじゃ」
ルシアンさんは扉に目を配る。
「レイ坊が近付いて来とるな。……余やヴィル坊は近くの魔力なら感じ取れるが、レイ坊の魔力探知は桁違いの性能じゃ。……ゆえにレイ坊は今のクレア嬢は前のクレア嬢と違う人間と分かりながらも、お主と一緒に居ることを選んでおるはずじゃよ」
私も扉の先に目を向ける。だけど私にはレイが近付いて来ているのかどうかは分からない。
「げっ! 魔王様来るのか。おっかなくて苦手なんだよなー」
「……あ。その件だが、レイヴァン様は魔王を辞めたんだ。と言っても周りの誰も認めていないんだがな」
「……辞めたぁ? 魔王って辞めれるの? え、じゃあルシアンが次期魔王になる日も近いのかにゃ」
「レイ坊が生きている限り、魔物達は余の言うことなんぞ聞かんよ。それにヴィル坊もおるし」
以前レイが、ヴィクトルさんと同等の魔物がいると言った話を思い出した。それがこのルシアンさんなのだろう
薄々、彼からは風格というものを感じる。
ざりっ、と誰かが扉の外の砂利を踏む。
いや、それは誰かではなく——。
「やっぱりお前たちか。久しいね。……クレアに何をしてるの?」
「レイ!」
「クレア、ただいま。そいつらに何もされなかった?」
離れていた時間はそんなに長くなかったはずだったのに、レイの笑顔を見た私ときたら、恥ずかしげもなく彼の元へ駆け出していた。




