34話 結託したかのように
クロとヴィクトルさんの家もまた人間が住む家と同じような造りだった。周辺に人間が住んでいる気配はないが、森の奥にひっそりと隠れるように建つ、ありきたりな一軒屋。
「でさぁ、その友達がクロに顔が似てんのよ。色気のないクロみたいな感じ」
「へえ。そいつ、恋人は?」
「いないってさ」
「ふーん。俺に似てるヤツか。今のうちに唾付けに行こうかなあ?」
「……またお前は性懲りもなく……」
「かはは。ヴィル坊も苦労が耐えんのう」
私たちはテーブルを囲い、エドガーくんとルシアンさんの友人の話やその恋愛事情、そして彼らの仕事事情を聞いている。
これがまた知らない世界が広がるような気分になれてすごく楽しい。ちょっとした旅行気分を味わえるようだ。
クロたちが交友関係を増やしていく理由はきっとここにあるのだろう。
エドガーくんは私を見て頬杖をつく。
「ねえねえ、この猫のクッキーはどう? クレアちゃん。美味いっしょ?」
「本当に美味しい! 今まで食べたクッキーで一番美味しいかも」
「いっぱいあるからいっぱい食べてねん」
「このクッキー、そのクロ似のお友達の……ご両親が経営されてるケーキ屋のクッキーなんだよね」
「そ。ややこしいっしょ」
「ふふ。ちょっとややこしいかも」
エドガーくんに「俺に敬語はやめてにゃ」と言われたので、私はお言葉に甘えて砕けた口調で話させてもらっている。
すると、エドガーくんは微笑んでいた口元を僅かに歪ませた。
「……でさぁ、クレアちゃん。恋愛話のついでに訊きたいだけど」
「ん?」
「クレアちゃんって、結局……魔王様のこと好きなの?」
ごくん、と噛み砕いたクッキーの欠片が無理矢理に喉を通り抜け、詰まらせる。私は異物感に抗えずにまんまと咽せ込んだ。
「あ。ごめんにゃ」
「お茶飲め、お茶」
「クレア様! お茶では熱いので、冷たいお水をお持ちします……!」
ヴィクトルさんが淹れてくれていたお茶を飲むが、熱くてなかなかクッキーを流し込むだけの量を飲めない。
クロが背中を叩いてくれるが、どうにもならない。
「…………うっ……げほっ……。エドガーくん、それは……」
「大丈夫ー? ……そのままの意味よ。魔王様は見ての通りクレアのことべったべたに好きだけど、クレアちゃんはどうなのかなーって思ってさ」
ヴィクトルさんが持ってきてくれたお水でクッキーを流し込み、コップの中でゆらゆらと揺れる水を眺める。
それを邪魔するようにクロは私の顔を覗き込んだ。
「その相談をしに、うちに来たんだろ。言いたことは言っちまえよ」
「クロ……」
「そうじゃよ。一人でモヤモヤしてても仕方がないじゃろ。安心せい、余はこう見えて恋愛トークが大好物じゃ」
私は膝の上で拳を握った。鼓動が早まっていくのを感じる。
「……皆……すごく優しくしてくれますよね。それって、私に対してじゃなくて……生まれ変わる前の私と仲が良かったからですよね」
紅茶の華やかな香りも、クッキーの香ばしい甘味も、口の中はその全てを忘れたかのように苦さでいっぱいになる。
俯いてしまった私をよそに、クロの笑い声が耳朶に触れた。
「俺は今のクレアとも仲良くしたい、思い出を増やしたいって言ったはずだけどな。……俺はそんなに信用がないか?」
「……違う……それはない! 絶対!」
顔を上げた私の視界に映り込んだのは、眉を八の字にさせてか細く笑うクロ。
「だったらそんなこと言わないでくれ。さすがに悲しくなる」
「そうですよ、クレア様。俺たちが今話しているのは……他の誰でもなく、目の前にいるクレア様です」
癇癪を起こした小さな子供をあやすような優しい声で、ルシアンさんとエドガーくんも続けてくれる。
「余もお主と仲良くしたいのじゃ。仲良くなりたい相手に優しくしない物はおらんじゃろ?」
「そうそう。それにさ、あんま卑屈になってても良いことにゃいって。もっと気楽に生きないとさあ。ただでさえ人間の寿命は短いんだから」
それがなんだかくすぐったくて、恥ずかしくて、私は目を伏せた。
「これも前言ったけどさ、レイだって今のクレアをちゃんと見てるよ」
「じゃが、今のままでは二股だって話じゃろ? そこが厄介なんじゃよなあ」
「濁してたのに。あんまはっきり言うなよ」
クロとルシアンさんは顔を合わせ、二人して腕を組んだ。
「それで結局はクレア様はその……レイヴァン様のことは……」
ヴィクトルさんの一言を皮切りに、全員が口を閉じた。
もちろん私も。だけど私が喋らなければこの空気は変わらない。分かっている。
呼吸を整えるのに時間は掛からなかった。
「好き……だと思います。でも私、恋愛ってしたことがなくて。これが好きだっていう感情だと決め付けるには早い気もしてて」
指先をテーブルの下で動かし続けるが、気持ちは落ち着いてくれることはない。
「かはは。若いのう。好きに早いも遅いもないぞ、クレア嬢。好きなら好き、それで良いのじゃよ」
それはそうなのかもしれない。
でも——。
「そもそも好きになったところで、レイの気持ちは永遠に私に向くことはないんでしょう?」
クロもルシアンさんも、レイは今の私のこともちゃんと見ていると言ってくれた。二人が嘘を吐いているとは思えない。
ゆえにこれは私の自虐癖だ。
一度物事を悪く捉えてしまうとずっとそれが尾を引きずってしまう。
なんて面倒な女だ。
こんなに励ましてもらっているくせに。
「……かわいそー。クロ、魔王様にハッキリ言ってやらないのかにゃ? 二股は良くない。元クレアちゃんのことが忘れられないなら、現クレアちゃんは解放してやれって」
「似たようなことは言ったんだけどな。今頃、家で一人で悶々と考えてると思うぜ。ざまあねえな」
クロは「まあでも」と続けて私を見詰める。
「クレアがせっかく好きって言ってくれるようになったんだ。クレアが愛想尽かしちまう前に、何かしらの決着はつけてもらわねえとな」
「んー、でもクレアちゃんってバラデアでは死んじゃった扱いになってるんでしょ? 愛想尽かせて出て行ったところで、クレアちゃんの行く場所がないんじゃにゃい? 外堀埋められてるというか」
「うちに住めば良いだろ。部屋ならヴィルが作ってくれるし」
ヴィクトルさんは笑顔で頷く。
もちろんクロの言葉は嬉しいし、ヴィクトルさんの首肯もありがたい。
でも一つだけ訊きたいことが頭に浮かんだ。
まるで耳元で誰かが囁いたように、それくらい自然に。
「……ねえ、皆。体を返してあげることって……私の魂と前世の私の魂を交換してあげることって…………出来ないのかな」
それが一番丸く収まるのではないかと突発的に思ったのだ。
心の奥底にいる自虐的な私と、"私"が結託してそう言わせたかのように。
その選択がまるで——当然であるかのように。




