30話 お金の使い道は
人の列が再び落ち着き、教会の中には私とヴィクトルさんの二人きり。
「クレア様。先程は油断してしまって申し訳ありませんでした。まさかあんな輩が現れるとは……」
「輩って……。私なら平気ですよ。それに……」
私は手のひらの上に、胃の荒れを治した男性から受け取った金色のコイン——硬貨を置く。
「このお金、本当に私が受け取って良いんですか?」
「当然です。今後もクレア様が受けた依頼の報酬は、クレア様のものですよ。もとよりそのつもりでした」
「……私のお金……」
バラデア王国に暮らしていた頃は両親が遺してくれていたお金で生活をしていたため、自分で硬貨を稼ぐという経験は初めてだった。
アーサー達と王国に悪さをしようとする魔物を討伐しに行ったりもしていたが、報酬は魔物を討伐した人物のみにしか与えられない。つまりほとんどはアーサーのものだった。
尤も、アーサーはそのお金で私たちに食事を奢ってくれたりしていたけれども。
「服を買うのも良いですし、ネックレスや指輪などの装飾品を買うのも良いですよね」
ヴィクトルさんは柔らかく口角を緩める。
「ヴィクトルさんは家賃以外にどんな風にお金を使っているんですか?」
「クロが何か食べたいって言ったらそれを買ったり、あいつの服を買ったりですかね」
「ふふ。クロのことばかりなんですね」
でもヴィクトルさんは——訊ねても良いのか戸惑ったが、素直に疑問を述べることにした。
「ヴィクトルさんって、その……恋人がいたりするんですか?」
「…………はい?」
「さっき女性に言い寄られていた時に、気持ちには応えられないって言っていたじゃないですか。だからその、そういう方がいるのかなと思いまして……」
笑顔が苦笑に変わったのが自分でも分かってしまった。同時に、見上げたヴィクトルさんの顔も渋くなっている。
「冗談はご勘弁を、クレア様。俺はクロだけで手一杯です」
「でも、一晩帰って来ない時がザラだってクロが」
彼の長い吐息が聞こえた。
「これはクロは知らない話なので、ご内密にお願いしたいのですが」
私は頷く。
「あいつは初めて会う魔物にも積極的に話しかけるタイプでして。初対面の者に対しても距離が近いもので……それでいて、あの顔でしょう。他者に勘違いを起こさせるのが上手いのです」
「勘違い?」
「ええ。クロが自分に好意があるだとかなんだとか……なので、あいつの後を追ってくる輩がたまにいるんです」
目線をあちこちに動かしつつ、ヴィクトルさんは目を細める。
「家に入り込もうとしたり、クロが家から出てくるのを待ち伏せたり、そういう奴らを追っ払っているんです。言葉だけで解決させたいのですが、それがなかなか苦戦する時もあって……」
確かに私がクロに初めて会った日も、バルドとクロが初めて顔を合わせた日も、クロの距離感はやたらと近かった。
ましてやヴィクトルさんの言う通りクロは美人だ。迂闊に惚れてしまうのも無理はない。
なんて罪な存在なのだろう。
「なるほど……。それで、一晩帰れない時もあると……」
「そういうことです」
とどのつまり、ヴィクトルさんは——。
「……苦労人なんですね……」
「…………本当に困ったもので……」
「クロは人間の食べ物が食べたくなったらヴィクトルさんが作るってことも言ってましたよね。お金を稼ぐのもヴィクトルさんで、クロに気を持った魔物たちも追っ払って……」
「甘やかしすぎだと思いますか」
「うーん……」
だけど私もまったく人のことを言えないので、大きな声で返事は出来ない。
「あいつと俺の契約は無理矢理なものだったので、せめて行動だけは自由にさせてやらないとって……そう思っているんです」
「……無理矢理?」
「ふふ。これはつまらない話なので割愛させてください。それよりもクレア様、お金の使い道が決まったら、良ければ俺にも教えてくださいね」
誤魔化されたなと思う。でも話したくないだとかそういうわけでもなさそうだ。本当につまらない話だと思っていそうに、私に気を遣うような声色で彼は話題を逸らした。
だから私もそれ以上は訊かないことにした。
「えっと……お金の使い道ですよね。決まってると言えば決まっているんです。…………それで、ヴィクトルさんに訊きたいことがあって」
「訊きたいこと? なんなりと」
「……レイに何か買いたいんです。レイは、何をあげたら喜んでくれるんでしょうか」
硬貨の使い道に迷いはなかった。レイの好きなものを知り、レイにそれをあげたい。これは私の心根。
それを察してかヴィクトルさんは微笑む。
「レイヴァン様は物欲がないんです。あんまり関心がない、という方が正しいか」
それから彼は顎に指を添えたが、考え込むような素振りには見えなかった。
「クレア様から贈ってもらえるならなんでも喜ぶと思います」
「……本当にそう思われますか」
私は指先で硬貨に刻まれた模様をなぞる。
「……クレア様?」
「私がレイに贈り物をしたところで、レイは本当に喜んでくれるんでしょうか。レイが求めてるのは私じゃないのに。……ヴィクトルさん。魔力って一体、なんなのでしょうか?」
レイが本当に待ち望んでいるのは私ではなく"私"からの贈り物のはずだ。なのに私は愚かにも、レイに何かをあげたいと考えてしまった。
流れる沈黙がどんどん私の胸を詰まらせていく。私は詰まりを流すように、息をたっぷりと吸った。
「ヴィクトルさんは位の高い魔物だと聞きました。だからヴィクトルさんも、魔物や人間の魔力の探知や区別が出来るんじゃないかと思って」
ヴィクトルさんの返事を聞かずに私は続ける。
「レイから、生まれ変わる前の"私"と今の私の魔力が違うと言われたんです。……見た目も力も全く同じなのに、境遇と魔力が違う。私って一体、なんなのでしょう」
「——考えられることはあるのう」
ヴィクトルさんの声ではない、聞き覚えのない男性の声が教会の入り口から聞こえた。
私は顔を上げる。
「久しいのう」
扉の先に立っていた声の主であろう人物は、深い灰色の髪を持っていた。後頭部でまとめていて、漆黒の瞳にはしかし艶がある。
服装は全く見慣れないものだった。何の装飾もないただの一枚布。
「……クレア嬢」
そうしてその人物の口元からも、ヴィクトルさんやクロと同じように、鋭い犬歯が覗いていた。




