29話 思い出か今、比べるなんて
三十分ほど経った頃。
教会の扉が開き、ヴィクトルさんとクロが揃って足を踏み入れた。ヴィクトルさんは片手ずつ二個の椅子を、クロは両手を使い一個の椅子を持っている。
「ただいまー……って、あ? 二人して顔赤くね?」
「んなっ……! き、気のせいだよ! それよりクロ、ヴィクトルさん、わざわざ外に出てもらってごめんなさい。……なんだけど、その椅子は……?」
「家具屋で調達してきました。クレア様とお客様に座っていただこうかと思いまして。ここの教会、村長様に許可を得て借りているだけなので勝手に椅子を置いて良いのか躊躇っていたんですが……クレア様をいつまでも地べたに座らせるわけにはいきませんので」
ヴィクトルさんは「座ってください」と私の前に椅子を置いた。
「村長様が椅子は置いて帰って構わないと言ってくださったので、助かりました」
「……ん。ヴィル、そろそろ開店? してやれよ。外で誰か待ってんぞ」
「ああ。クロ、出る時に扉開けて行ってくれ」
「はいはい。レイ、出るぞー」
クロに手を引かれレイは一歩踏み出したが、すぐに私の方を振り向き口を動かす。
「ごちそうさま、クレア。午後も頑張ってね」
ごちそうさまだなんて私の台詞のはずなのに、私は口をパクパクと動かすだけで言葉を出せなかった。
「……クレア様、先程からお顔が真っ赤ですが……どこか体調が悪いですか?」
「いっ、いえ! なんでもないんです……!」
「そうですか……? 無理はなさらないでくださいね」
ヴィクトルさんに椅子に座るように促されたが、ヴィクトルさんは引き続き床に座っていたので、私もそうすることにした。
次に教会に入って来たのは若い男性だった。眉間に深く皺を刻み込む男性は、ヴィクトルさんの案内されるがままに椅子に腰掛ける。
「神父様。そちらの女性が噂に聞く賢者様ですか?」
「ええ。彼女にご用件でしょうか?」
「はい。昨日から胃の調子が悪くて。賢者様に診ていただけないかと」
ヴィクトルさんと目が合う。私は頷き、男性の腹部へと手を近付けた。ぼんやりと感じるのは男性の胃の荒れ。大病を患っているような気配は特になさそうだ。
「胃が荒れているだけかと思います。何か思い当たることは?」
「あ……。そういえば、初めて扱う香辛料を料理に使いました。あまり辛くなかったので油断していましたが……それのせいかも」
私も調味料を手当たり次第に使用して毒性のあるシチューを作ったばかりの身だったもので、その既視感に噴き出しそうになってしまう。
「……賢者様?」
「ああ、いえ。すみません。私も最近似たようなことがあって、つい。お互いに気を付けましょうね」
男性の腹部に光を当てる。しばらくすると、男性の眉間に刻まれていた皺はゆっくりと解かれていく。
「どうですか?」
「ええ、嘘のように楽になりました。ありがとうございます!」
「どういたしまして。良かったです」
男性に笑みが浮かび、私は安堵の息を吐いた。すると男性は私から目を逸らし、両手の指を組んだり離したり忙しなく動かしだす。
「あの……つかぬことをお伺いしますが……神父様と賢者様は、その……ご夫婦なのでしょうか?」
私は今度こそ噴き出す。隣でヴィクトルさんも同時に噴き出した。
「え……!?」
「ち、違います! 彼女はその、弟子というだけで! 本当に!」
「あっ。そうなんですね、それは……良かった」
良かったとはどういうことだろう。一体この男性はおもむろに何を——と首を捻ると、男性は私の両手を握りしめた。
「……ん?」
「治療の代金です。それと……えっと……賢者様の笑顔、すごく愛らしいなと思って見惚れてしまいました……! お仕事終わりで構いませんので、良かったら俺と食事に行きませんか?」
「…………へ!?」
腹の底から声があふれ出た。私の手を握る男性の眼差しは真剣に見える。
これはもしかして、口説かれているというやつなのだろうか。
私の瞬きの回数がつい多くなる。
「……こ……困ります! ク……あ、いや、こちらの方はその……きっ、既婚者ですので!」
ヴィクトルさんの慌てた声が割って入る。
途端、私と男性の「既婚者!?」との声が重なった。
「彼女から手を離していただけませんか」
「す、すみません、つい……。でも賢者様、だいぶお若いですよね? 結婚出来るような年齢には見えないのですが……」
「……とにかく既婚女性です。次の方が後ろに並んでいます。今日はどうか、お引き取りを」
「え? あ、本当だ……。すみませんでした……賢者様、また来ます!」
男性は私とヴィクトルさんに頭を下げると、ちらちらと私の方を振り返りながら教会を後にした。
ヴィクトルさんが次のお客様に——という呼び方で良いのか分からないけど——声を掛けようとした際、扉の向こう側からレイとクロが顔を覗かせ、レイが口を動かす。
私にはレイが何を話したか口の動きだけで読み取ることは出来なかったけど、ヴィクトルさんはくぐもった返事を彼に返した。
◇◇◇
レイヴァンは舌を打った。愛してやまないクレアの手を見知らぬ男が握ったことによる苛立ちゆえだ。隣に立つクロヴィスは深く息を吐く。
更に言えば魔物の耳は人間より聞こえが良いのだ。窓ガラス越しくらいならば、建物の中の会話は聞き取れる。
「……クロ」
「…………嫌だぞ」
「まだ何も言っていないでしょ」
「クレアのことを気に入ったあの男を追っかけて誑かして、クレアから意識を逸らせ。……だろ?」
さすが付き合いが長いだけのことはあり、クロヴィスは言いたいことを上手いこと察知してくれる。
レイヴァンは目線を落とし、数センチ下にあるクロヴィスの目を見詰めた。
「お願いだよ、クロ」
「こんな時ばっかり可愛い声出すなよ……」
「クロなら出来るって。あの人間をお前に惚れさせるだけで良いから。あとは帰って来て良いから」
「あのなぁ、人間っつーのはそんなに単純じゃねえと思うぞ」
クロヴィスという魔物は人間の気持ちについて理解が深い。彼の交友関係がそうさせているのかなんなのかは分からないが。
だが今はそんな話をしている場合ではない。この吸血鬼をどうにかおだててでも、あの人間からクレアの存在を薄めてもらわねば困るのだ。
「お願い。あの人間がクレアに付き纏うことになったら、きっとクレアが怖がる」
「あーもう、分かった分かった。やれるだけやる。……だけど、お前さぁ」
クロヴィスは躊躇するように息を吸う。
「何?」
「いや……レイのそのクレアへの愛情ってさ、どっちに向いてるんだよ」
「どっちって?」
「お前は……思い出の皮を被ったあのクレアを愛しているのか? それとも、今のクレアそのものを愛しているのか? ってコト」
レイヴァンは目を剥く。問われた意味が咀嚼できなかったのだ。
クロは何を訊いている?
クレアはクレアだ。昔も今も何一つ変わらず、自分が愛してやまないただ唯一の存在——。
「今のお前は……お前が過去に愛したクレアの顔をしているから、あのクレアをついでに愛してるっていう風に見えちまうぜ。元カノに顔がそっくりだから今カノと付き合ってるっつー感じ」
「……元カノとか今カノとかっていう言葉の意味が分からないけど……」
レイヴァンはクロヴィスから目線を逸らす。
やましいことがあるわけでもないのに、彼の瞳を真っ直ぐに見られなくなった。
「……クレアは…………それを嫌がるのかな……」
「どっちのクレアの話だ?」
訊かれても、すぐに返せる言葉が見つからない。
「お前にはいまいち理解出来ないだろうけどな、人間っつーのはそういうフラフラした奴が嫌いらしいぜ。まあクレアがどうかは知らないけど」
「……そんなつもりは、ないんだけど……」
「考えることを放棄していたんだろう。お前のめんどくさがりな性格が祟ったな」
クロヴィスはレイヴァンに背を向けて歩き出した。
「なんか話したいことがあるなら、歩きながら聞いてやるよ。さっきクレアに触った男の顔は覚えてんだろ? 俺はあんまり覚えてねえんだよ。探しに行くの付き合え。……ほら、ヴィルに声掛けろ」
「……うん」
レイヴァンもクロヴィスの後ろを歩く。教会の開いた扉から顔を覗かせ、ヴィクトルに声を投げる。
「席を外すからクレアをよろしくね」
ヴィクトルは頷く。
隣に立つクレアには言葉は届かなかったようで、クレアは愛らしく小首を傾げていた。
「クレアには、今は意味なんて考えないでレイの側に居てやってくれって言ったけどさ。……お前がちゃんと向き合わないと、さすがに可哀想なんじゃねえの」
思い出か今か。
比べて選べだなんて、残酷だ。




