27話 感情のない横顔
「村人の怪我を治すためにヴィクトルと村に通うなんて、俺は絶対に反対」
夕日も落ち始めた頃。
村を出て家に向かって歩いている最中、唇を尖らせたのはレイ。
「レイ。私、村の人たちの役に立てるならやってみたい……」
「クレアの意見はなんでも尊重してあげたいけど、こればっかりは反対……したくないけど……やっぱり心配だから……」
——事の始まりは、私が少女の脚を治した後。
私が思っていたよりも賢者——人を治す力を持つ人間というのは珍しいようで、村には一人もその力を持つ人はいないようだった。
週に三回ほど村を訪れるお医者様も賢者の力を持つらしいが、骨折を治すのに半日ほど要するらしく、ゆえに村人たちは私を称賛した。
挙げ句の果て、私が足首を治した少女に「お姉ちゃん。これからも皆の怪我を治しに、神父様と村に来る?」と訊かれ、私はつい「弟子だもん。もちろん来るよ」と答えてしまい——レイの不機嫌な表情が出来上がった。
「ヴィクトルも、なんで否定しなかったの」
「……申し訳ありません……。クレア様のお顔が輝いていたので、つい何も言えなくなって……」
「まあ、ちょっとした怪我治すくらいだったら良いんじゃねえの。あんまり酷い怪我とか病気を治すのは……目立つからアレだけどさ」
「優秀な賢者を誘拐しようなんて輩が出てくるかもしれないでしょ。クレアはただでさえ可愛いのに」
事の発端である私をよそに、三人は神妙な面持ちで話し合っている。
「ヴィルがいるから大丈夫だって。それにクレアがやってみたいって言っているんだ。やらせてやれば良いだろ」
「……うん。やりたい! ずっと家に居るだけじゃ駄目だなって思ってたの! ね、レイ。お願い……!」
私はレイの両手を硬く握った。そのままじっと彼の顔を見ていると、レイの顔はどんどん赤みを帯びる。
彼の肌は赤くなると分かりやすい。
しばらくお互いに黙ったまま見詰めあった後、レイは吐息を漏らし、唇を噛んだ。
「ヴィクトル」
「はい。レイヴァン様」
「クレアをお前の隣に座らせるんだ。命を賭けてクレアを守ってね。クレアに何かあったら、その時はお前の首が飛ぶ時だよ」
「はっ!」
ヴィクトルさんは地面に片膝をつき頭を下げる。レイの「良し」という声が掛かると彼は立ち上がった。
「となると……移動はどうする? 毎回往復で二時間歩くのはクレアがキツいだろ」
「ヴィクトルさんはいつもどうしているんですか?」
「俺は歩いていますよ」
「じゃあ私も歩きます。歩くの楽しいもん」
私は足を踏み出した。ザクッと土を踏む感覚が足裏に伝わる。
「まじか。タフだなー……」
「では、お迎えに上がりますね。クロと共に」
「……へ? 俺も? なんで?」
「お前も教会の外からクレア様を見守るんだよ」
「えー……。まあ良いけど、一人で外にいるのは暇だなぁ。レイも行こうぜ」
「最初からそのつもりだけど。大事なクレアをヴィクトルだけに任せるわけないじゃん」
この人たちは本当に私を大切にしてくれる。それがひしひしと伝わり、胸が温かくなる。
もっとも大切にされているのは——私、ではないのだろうけど。
胸の奥が沈む。これはきっと、自己嫌悪という感情だ。
「クレア、疲れちゃった?」
「え……」
レイに顔を覗き込まれ、私は自分が俯いていたことに気付く。
「嫌じゃなければおんぶするよ。ちょうどほら、川だし」
「ううん、大丈夫……! ちょっと考え事……あ。村に通うの、楽しみだなって思って」
誤魔化すように靴を脱ぎ川へと足を入れた。昼間よりも川の水はさらに冷たいが、それでもさらさらと足先を通る水は気持ちが良い。
クロも靴を両手に持ち、川に足を踏み入れながら戯けた様子で口を開く。
「はーん。なるほど。クレアはレイと家にずっと二人でいるのは嫌だってことか」
軽い声が発した一言に、レイと私の体は固まった。
「…………えっ……」
「……いや……言ってない! レイ、私そんなこと思ってないからね! ……クロったらもう!」
私は水の表面を蹴り上げた。高く飛んだ水滴がクロの首筋に着地すると、クロは肩を跳ね上がらせた。
「冷たっ……! やったな!」
クロは靴を片手にまとめて持ってから、足を使わずに手で私に向けて水飛沫を飛ばす。
魔物なのに私よりも行儀が良いけど——顔に向かって飛んでくる水の量が多い。
「きゃっ……」
と、甲高い声が勝手に喉から出た。だけど時間が経っても私に水は掛からない。
反射的に閉じていた目をそっと開くと、レイの背中が視界に入った。
「レイ……」
「冷た……。クレアに水をかけようとするなんて、覚悟は出来ているんだよね。クロ」
「…………先にやったのはクレアだぜ」
「ヴィクトル、抑えろ」
「はっ」
ヴィクトルさんはクロの背後から両腕を抱え込み、クロの体を固定する。
レイが二人に向かって手を真っ直ぐに翳す。するとヴィクトルさんとクロの頭上に、小さな灰色の雲が浮かんだ。「げぇっ……!」とクロの顔が強張る。
「……え? レイ、あれは……」
「ああ、雲だよ。あれから雨が落ちるんだ」
私の問いにレイが振り向いて答えてくれた刹那、水が落下する音が鼓膜を激しく通り抜けた。その中に二人分の呻き声も混ざる。
「クロ、ヴィクトルさん!?」
一瞬ではあったが、真横に滝壺があるのかと勘違いしてしまうほどの轟音だった。
気付けばクロとヴィクトルさんは川に膝をつき咳き込んでいる。
「……うぇっ……。溺れるかと思った……」
「……クロ。お前のせいで俺まで……」
「ごめーん。……今日はレイの家に泊まろうかと思ったけど、ずぶ濡れのまま家に入って良いか?」
「良いわけないでしょ。帰って」
レイは嫌悪感をたっぷりと含んだ顔つきで、虫を手で追い払うような動作をしてみせた。
「…………ふふっ……」
それがなんだかツボに入ってしまった私は、だんだんと声を大きくさせて笑う。
「レイ、すこすぎる……! 雨を降らせるなんて、そんなことも出来るんだ……!」
「すごいかな? そんなつもりはなかったんだけど、クレアに言われるとそんな気がしてくるね」
「おいおい、クレア。笑ってねえで俺たちの心配してくれよ。風邪引いちまうって」
「そもそもクロが変なこと言うから!」
「……いや、だってさぁ……」
水をたっぷりと浴びたクロはいつもより色気が増していて美しく、濡れた前髪をかき分けるヴィクトルさんは目眩が起きそうなほどかっこいい。
なのにそれすらも愉快で、ケラケラと私はしばらく笑い続けた。
この人達に囲まれて笑う資格は——私のものではないはずなのに。
ああ。また、この感情だ。
◇◇◇
ずぶ濡れのままのクロとヴィクトルさんは玄関先で本当に追い返された。
家の中には私とレイの二人きり。
私はレイの隣で、料理を教わろうと野菜を握りしめていた。
「来週また村に行くの、楽しみ!」
「……俺は心配だな。君のこと、本当はあまり人目に晒したくなかったから。誘拐されたらどうしよう」
「されないよ……」
「きっと誘拐犯のこと、無事に家に帰せないと思う」
「そっちの心配かぁ……。私が誘拐されても見つけられる前提なんだね」
「それは当たり前だよ。クレアの魔力は、どれだけ微弱でも探し当てられる自信しかないからね」
レイは胸を張った。
確かにレイは一目見た魔力は嫌でも覚えてしまうと言っていた。私の魔力もその内に入っているのだろう。
「…………あれ?」
でも、待って。引っ掛かる。
私の魔力というのはつまり——。
「レイ。ニーナとバルドがバラデア王国を出てこの家に向かって来てた時、二人の魔力が動いたから分かったって言っていたよね?」
「うん。癪だけど、二人の魔力は覚えちゃったからね」
「…………私がレイの討伐に来た時、私の魔力がバラデア王国から出たことには気付かなかったの……? 私の魔力って、その……生まれ変わる前の"私"と同じ……なんじゃないの?」
レイはあの時、私の顔を見て驚愕していた。つまり私が来ることに気付いていなかったのだ。
「それが……クレアの魔力、全くの別人みたく変わってたんだ。だから俺の中にその魔力の記憶がなかったから、気付けなかったんだよ」
「……え……」
「やっぱり、そっくりそのまま生まれ変わるっていうのは……きっと難しい話なんだろうね」
悟るように言うレイの横顔からは、何の感情も読み取れなかった。




