24話 可愛いや
「クロ、今何か……」
「自由にさせてやれなくてごめん。でも、悪いけどレイの心の安定のために我慢してやってくれないかって話」
「…………本当に何の話?」
不機嫌そうな低い声でクロに問いつつ、レイがキッチンへと入って来た。だけど私と目が合った途端に彼の瞳には光が宿る。
「クレア、おはよう。朝ご飯食べてくれてたんだね。食べられそう? 残して良いからね。無理せずにゆっくり食べて」
「あ……えっと、今日もすごく美味しいよ。ありがとうレイ。なんか食べてたら逆にお腹空いてきちゃった」
「そう? それなら良かった。薬も買ってきたから、何かあったら使ってね」
レイは私に朝の日差しより爽やかな笑みを見せつつ、クロの耳を引っ張り上げる。
「いててて」
「で、お前は何の話をクレアにしていたわけ?」
「留守番してやったのにこれかよ。なあ、今日はヴィルの仕事見に行こうぜ」
「ヴィクトルの? 嫌だよ。遠いしめんどくさい」
「クレアが行きたいってさ」
まだ私は行きたいとは言ってなかったけど、もちろん気になることは気になるかも。
レイと目が合う。レイが何かを面倒臭そうにしている仕草はあまり見ないので躊躇いつつも、私は控えめに頷いた。
「ヴィクトルさんが何をしているかっていうのは……気になる、かも……。でも、レイめんどくさいんだよね……?」
「ううん。全然めんどくさくなんかないよ」
「えっ」
「ご飯食べ終わったら行こうか。勇者君たちをバラデアに帰した時みたくすぐに行くことも出来るし、クレアが歩いてみたかったら歩いても良いね。あ、空を飛ぶことも出来るよ。どうやって行こうか」
ニコニコと私に対し提案を重ねるレイに、クロは口元を引きつらせる。
「二重人格かよ」
「そんなわけないでしょ。くだらないこと言ってないで食器でも洗ってよ」
「情緒どうなってんだよ……。あ、レイ。扉を開けてくれよ。歩くと一時間は掛かるし、飛ぶのは目立つだろ」
扉——レイがアーサー達をバラデアに半強制送還した際に使用していたあの扉のことだろうか。あれもやはりレイの力なのだろう。
そういえばレイはあの時、月ですら動かしてみせた。改めて思い返すのと、レイは恐ろしいほどになんでもしてみせる。それが魔王と呼ばれる所以なのだろうけれども。
「交通手段はクレアに訊いてるんだけど」
「手強すぎる。なあクレア、行こうって誘ったのは俺だけどさ……歩くと遠いぜ。街を越えて、村に行かなきゃいけねえんだよ」
「村……?」
私はここに来てから、家から少し離れた場所にある街にしかまだ行ったことがなかった。
その先の景色があるならば、それは是が非でも見てみたい。
「ごめんクロ。私、歩いてみたいかも……! 街から先に何があるか、見てみたい!」
「決まりだね。疲れちゃったら、その時はまたどうにかしてあげるからね」
「歩きかー……。仕方がねえ。川とか渡らなきゃいけねえから、足を拭く布をちゃんと待てよ」
「へえー……! 分かった!」
川なんてバラデア王国には存在しなかった。王国から出れば見ることは出来たけど、王国の外に出る機会がそんなになかった私からしたら非常に珍しい響きだ。
なんだかとても楽しみで、私の心はふわふわと舞い上がった。
◇◇◇
街を越え私たちは広い道を歩く。
だいぶ先には森が見えている。
踏み固まった土は道を作り上げていて、道の周りに生い茂る背丈の短い草たちは風にあおられることはない。
建物という遮りがない場所に吹き抜ける風は私の全身を通り抜け、草と土の匂いがなんとも安らぎを与えてくれる。
「なんか……爽やかー……」
「天気も良いから風が気持ち良いね」
私は隣を歩くレイの顔を見上げた。風はレイの髪までをあおり、日差しは彼の肌にさらに透明感をもたらす。
「ん? どうしたのクレア。疲れちゃった?」
「……あっ。ううん、なんでもない……!」
それがあまりにも綺麗で、レイにうっかりと見惚れてしまっていた。私は込み上げる熱を押さえ込むように、顔を手で扇いだ。
「ヴィルがいない時の俺ってめちゃくちゃ邪魔者だなぁ……」
背中でクロが呟く。
「そういえばクロとヴィクトルさんって……友達、って言って良いの? 一緒に住んでるんだよね?」
私は首だけで振り向き尋ねると、クロは「んー」と声に出しつつ目線を空へ投げた。
「友達でもある。親でもあり、子供でもあり、兄弟でもあり、付き合いたての恋人でもあり、熟年の夫婦でもある」
「……ん?」
「言葉じゃ表せねえんだ。魔物の契約ってそういうことなんだよ。契約を交わしたら、お互いに他の魔物とは契約は交わせなくなるんだ」
以前聞いた事を思い返す。
クロとヴィクトルさんは契約を交わしていて、彼らは吸血鬼ではあるけどお互いの血しか飲めないのだと。
「でも、契約を解除してなんとかー……って言ってなかった?」
「一度契約を解除しても、再契約って同じ魔物としか出来ないんだ。……クレアも、結ぼうと思えば魔物と契約結べるんだぜ」
「私も?」
先程まで遠くに見えていた森の入り口に差し掛かり、私たちは森へと足を踏み入れた。葉の影がクロの顔に落ちる。
「……クロ。余計なこと言わないでよ」
レイは振り向くことなく言う。私はそのレイの横顔を見詰めて問う。
「人間と魔物が契約を交わせるってこと?」
「……いや……実際は違うんだ。人間を魔物にして、それから契約を結ぶ。契約内容は魔物それぞれなんだけど……クレアが気にすることじゃないよ。クロが変なこと言ってごめんね」
——やっぱり私、魔物になれば良かった。
私は"私"がそう呟いていた事を思い返す。
「魔物になるってどういうこと?」
「無限とも言える長さの寿命と、ちょっとやそっとじゃ死なない体が手に入る」
口ごもったレイの代わりに答えたのはクロ。
「……でもまあ確かに関係ない話だったな。ごめん。忘れてくれ、クレア」
「う、うん……」
忘れてくれと言われても簡単に忘れられる話じゃない。きっとそれは私には関係がなくとも、"私"には関係があった話なのだろう。
——過去形にさせてしまって、申し訳ないけれど。
引っ掛かりを覚え俯いていた私の耳に、水が流れる音が入り込んでくる。
「……あ。クレア、川だよ。ここを渡らなきゃいけないんだけど……足が濡れないように、少し空中に浮かせても大丈夫?」
まだ朝日と呼べる明るい日差しを川の水が反射させていて、キラキラと宝石のように輝いている。
なんて綺麗なんだろう。
川を覗き込むと深さは感じられず、足を入れたとしても足首くらいまでしか濡れないほどの浅さに見えた。
私はおもむろに靴を脱ぎ、川に足を沈める。
やっぱり全然深くない。
「クレア!」
「冷たくて気持ち良い! 向こう岸まで歩けば良いんだよね? 深さも変わらなさそうだし……私、このまま歩くね!」
透明度の高い川の水は、川底に沈む小石たちを隠すこともしない。足を踏み出すたびに鳴る水の音も耳に心地良かった。
つい楽しくなってしまった私は水面を軽く蹴り、水滴を跳ね上がらせる。
「クレア」
私の足の隣に、一回り大きい足が並ぶ。
「レイ」
「クレアが楽しそうだから俺も入っちゃった。気持ち良いものだね、川の水って」
レイの瞳に入り込む光も川の水に合わせて揺らぐ。
「本当に綺麗だね」
「そうだよね! こんなに透明な川って初めて見た! ……って言っても、川自体をそんなに見たことがないんだけどね。えへへ」
レイから言葉が返ってこない。隣に立つレイの顔を見上げると、彼は頬をほんのりと赤く染め、唇を硬く結んでいた。
ああ。
この人、すごく——可愛いや。




