23話 クロと私、二人きりの朝食
自ら作ったシチューを食べ気を失うという、まさに赤っ恥という言葉が相応しい事件を起こした翌日。
私はなんとなく未だに不快感を訴える鳩尾をさすりつつ、キッチンの扉を開いた。
「おはようレイ。ごめんね、起きるの遅くなっちゃった……って、あれ?」
「お。起きたかクレア。おはよー」
部屋に居たのはクロだった。椅子に腰掛け、マグカップに入ったミルクを飲んでいる様子。
「おはよう、クロ。朝から居るの珍しい……というか、レイは? ヴィクトルさんも」
「レイはクレアのために胃の薬を買いに行った。クレアは自分で治せるだろって言ったんだけど、それでも一応って。ヴィルは仕事」
「……仕事?」
「そう。そっか、クレアは見たことないか。後でヴィルの仕事場でも見に行くか。先に、朝飯は食えそうか? レイが作り置きしてるけど」
「んー……」
私は再び鳩尾を撫でる。ぐるぐると気持ち悪さがあるような気はするのだけれど、せっかくのレイの好意を無駄にも出来ない。
「いただこうかな」
「ミルク温めるから座ってろ」
「さすがにそこまでは……自分でやるよ」
「俺も自分のお代わり温めるとこだし、ついでだよ。……あ。じゃあクレアはレイの作った飯をテーブルに運んでくれ。俺のも作ってもらったんだ。一緒に食おうぜ」
「……うん!」
こうして私は、初めてクロと二人でテーブルを囲んだ。
レイが作り置きしてくれたという朝食は真っ白いふわふわとしたパンと野菜が柔らかく煮込んであるスープで、消化に良さそうだ。
「クロってお腹空くの? 血が食事なんだよね?」
「腹は減るよ。一日三回、ヴィルと血を飲み合う」
「へえ……人間と同じ食生活だ」
「だな。でも人間の飯も好きだよ。腹には溜まらないけど美味いし……レイにもたまに、飯とかおやつとか買って来いって言われる時あるぜ」
「レイは血とか飲まなくて良いんだよね?」
「そ。何も食わなくて平気。でも、レイは人間の食べ物の味を忘れないために定期的に食って、味を思い出すんだと」
私はスープを口に運んだ。優しい味がする。
「……レイは……人間の食事の味を思い出して、どうするの?」
「訊かなくても、もう分かっているだろ?」
クロはパンを頬張った。
——そう。訊かなくても分かってる。それはきっと、生まれ変わる前の"私"のためなのだろう。
"私"がいつ生まれ変わってきても良いように、レイはずっと人間の好む味を忘れないようにしてきたのだろうと、想像に容易い。
「……クレア。俺は……生まれ変わる前のクレアとも仲が良かったよ」
クロはあくまでも優しく呟く。私の指先が縮こまった。
「でも、今のクレアだって俺は好きだぜ。名前も見た目も声も確かに同じだけど、ちょっと性格が違う。喋り方とかもな」
「…………クロ……」
「前のクレアはもうちょっと……勝ち気っつーか、ハッキリしてる感じ。今のクレアは物腰が柔らかいな。……俺は間違いなく、どちらのクレアも違う人間だって認識してる」
私は膝の上で拳を握る。
「生きていた環境だって……俺が話して良い話じゃないからここは濁させてもらうけど、前のクレアと今のクレアはまるで違う」
それは"私"が言っていた話と繋がるのだろう。"私"には優しい両親がいて、友達もたくさんいたと彼女は言っていた。対して私は両親がいない。
「だから……なんつーか、気負うなよ。レイの奴も、今のクレアをちゃんと見てるから」
「……前の私と同じ顔をしているから、だよね……」
情けないことに、私はついにクロの顔が見れなくなった。
「レイは私のこと好きだって言ってくれているけど、それは私じゃなくて、生まれ変わる前の私なんだよね」
「今のクレアのことだってあいつはちゃんと好きさ」
「好きになってもらえるきっかけなんて無かったもん」
「側に居てやってるだろ。それだけでじゅうぶんなんだよ」
「……分からない……。だって側に居るのは、レイが好きだった"私"じゃないのに……」
カチャリ、と、皿にスプーンを置いた音が鳴った。私が鳴らした音ではない。
「クレアは自分に自信がないんだな」
瞬きの回数が増えていたことに気付き、私は目の動きをわざと落ち着けた。
「可愛い私が側に居てやってるんだからレイは幸せに決まってる! ……って、それくらいの認識でも良いんだぜ。実際その通りなんだからさ」
「……可愛くないよ」
「クレアは可愛いよ」
私は眉を顰め、ぐっと下唇を噛んでクロの顔を見る。
クロは片眉を下げて微笑み「まあ、俺の次にね」なんて戯けた様子で言ってみせた。その雑な言い方がなんだか面白くて、私はつい笑う。
「……俺からも頼む。クレア。意味なんて考えないで、今はただあいつの側に居てやってくれ。俺たちは今のクレアと話して、飯食って、笑ってる。前のクレアとの思い出が絡んでないと言ったら嘘にはなるけど……」
たっぷりと息を吸い込み、クロは続ける。
「それでも今のクレアとの思い出を、これから増やしていければ良いって、本気でそう思ってる。だからもっと教えてくれよ。クレアのことをさ」
「……私の、こと」
「ああ。何が好き、何が嫌い……本当は何色が好きなんだ。桜鼠色ってのは、嘘なんだろ」
——服屋での話を思い出す。
白色が好きだったよねと笑うレイに対抗するように、私は咄嗟に近くにあった服を掴んで掲げ、それがたまたま桜鼠色だった。
今となっては好きな色だけれど……。
「……白色が好き。でもそれは、前の私と同じなんだよね。それが嫌で、私……」
「はは。正しくはちょっと違えよ。前のクレアは、一番好きな色は緑色だった。白色はその次くらい。だからレイの着てる着物も、緑色だろ?」
「…………え? ……あっ」
確かにそうだ。私は顎を上げる。
「そうやって少しずつ、前のクレアとは違うところがある。だから……同じクレアになろうとしなくて良い。今のクレアのまま、レイのこと惚れ直させてやろうぜ……じゃねえな。クレアはまだレイのこと好きじゃねえもんな」
「……それは……」
すぐに否定出来ない。生まれてから恋愛と縁がなかったから、何がどうなれば「好き」になるというのか、それが私には分からない。
レイの顔は綺麗で格好良くて「好き」だとは思うし、声も「好き」だ。
だけどそれはなんだか、薄っぺらい気がして、本当の「好き」ではない気がして。
「頑張るのはレイの方だったな。……ま、無理にレイのこと好きになれなんて絶対に言わねえよ。友達として側に居てやるだけで良い。それだけでもあいつはじゅうぶん、幸せ者だ」
再びクロがスプーンを手に取り、スープを飲み始めた。
「……クロ。どうしてそこまで、私にレイの側に居てほしいの?」
「あいつが親友だから。クレアには、自由を与えられなくて悪いとは思ってるけど……」
クロが続きの言葉を言いかけた時、玄関の扉が開く音がした。
この優しい扉の開け方は——レイの音だ。その識別が出来るほど、私はこの生活に馴染んでいた。




