22話 私と"私"
真っ暗闇の中。目の前に立つ私ではない"私"は、苦虫を噛み潰したかのような表情をする。
そういえば暗い割に彼女の顔はやけにハッキリと見える。不思議なものだ。
「レイに毒物食べさせないでよ! クロも可哀想! 今頃ヴィルの血をたんまり飲んでるんだろうな……」
"私"が唇を固く結んだ。
そうだ。
私は自分で作ったシチューを食べて意識を失った。つまりここは——。
「……夢……」
「夢でもあるし、夢ではないよ」
"私"が一歩足を踏み出すと、真っ暗闇だったはずの景色が一変、見覚えのあるキッチンに変貌する。
「レイの家のキッチンだ」
「そう。座って。あなたの目が覚めるまで、お話をしよう」
"私"はいつも私が座る席に座った。それが当たり前であるかのように。
私は彼女と向かい合うように腰掛ける。
「私の目が覚めるまでって?」
「あなたがシチューに適当に入れた調味料の組み合わせが悪くて、体に害のある成分に変化しちゃったの。それを今、あなたの賢者の力が解毒中。それが終わったら目が覚めるよ」
「詳しいんだね」
「それはそうだよ。あなたは私、私はあなただもん」
"私"はテーブルの上で両手の指を組んだ。
「私と私ってややこしいかも……。なにか良い呼び方ない?」
「ない。私はクレアで、あなたもクレアだから」
"私"の語尾は強く、私よりも幾分ハキハキと喋る。
「生まれ変わる前の私……なんだよね」
「そう。ずっとあなたの中に眠ってた私。あなたは、私が失敗した私」
私の呼吸の乱れが"私"に伝わりそうなほどに部屋は静かだ。ぎゅっ、と自分が拳を握った音まで聞こえてくる。
「失敗って……どういうこと?」
「記憶も何もかもを保ったまま生まれ変われると思ってたの。でも私が気付いた時には、あなたはレイに会ってた」
「……会っていた……?」
「そう。私の自我が芽生えたのって、本当につい最近なの。あなたがレイに出会った瞬間、私はそこで起きた」
バクバクと心臓が鳴る。口から飛び出そうだ。
私は心臓が元の位置に戻るように呑み下し、深く息を吸う。
「…………意味が分からない、かも」
「分からなくて良いよ。分かられたところで、もうどうしようも出来ないもん」
"私"の唇が窄まった。
「……あの……。ねえ、"私"。いつも私のことを見ているの? レイとの会話とか」
「ううん。多分、断片的にしか見れてないよ。この前あなたの夢に出てきた時と、今。それだけ。あとは分からないの」
「分からない……?」
「うん。寝てる感じに近いのかな。目が覚めると、目の前でレイが喋ってるの」
"私"は私から目を逸らした。その目線は、彼女が座る隣の椅子に向く。
「でも私が返事をしようとしても喋れない。口が違う言葉を出して、手も足も言うことを聞かないの。レイのことを抱きしめたくても、憚られる」
私はすぐに言葉を返せなかった。彼女の潤む瞳を黙って見詰めることしか出来ない。
「当然だよね。もう、私の身体じゃないんだもん」
目を伏せた"私"の顔は笑う。だけど喜色は顔に滲まない。
「レイのことを愛していたのは私で、レイが愛してくれていたのも私だったの。あなたじゃないんだよ」
あえて彼女の感情に名前を付けるのならば、悲壮感、嫌悪感。そういったものなのだろうと、彼女の眉間の皺が私に訴えかけてくる。
「……それ……は……」
「あなたは何もしていないのに、見た目や声が私だからっていう理由でレイに愛されてるの。ずるいよね。私の皮を被っただけの、私じゃない人間なのに」
ぽろぽろと"私"の口から溢れてくるのは——嫉妬だ。そのくらいは分かる。でも彼女は大きな声で怒ったりしない。ただ静かに、私を妬んでいた。
「レイもレイだよ。見た目が私だからって甘やかして。違う人間なのに、それにまるで気付かない。クロもヴィルもそう。皆してあっさり仲良くなって」
口ごもる私を尻目に、"私"はさらに続ける。
「私じゃない私に、簡単に好きだの可愛いだのって言う。……レイ達にはやっぱり、人間の気持ちなんて分からないんだ。魔物だもん」
"私"は鼻が詰まった声で呟き、いじけた子供のようにテーブルに突っ伏した。
沈黙の中に、たまにぐずぐずと鼻をすする音が聞こえる。
「……ねえ、"私"。レイと……何処で出逢ったの?」
「言わない。教えない。それだけは絶対に、私だけの思い出だから」
「…………そっか」
私は"私"の隣に座り直し、テーブルに伏せる後頭部を撫でた。
一丁前に同情したのだと思う。
「……あなた、両親が亡くなってるんだってね。聞こえちゃった」
彼女はゆっくりと顔を上げ、腫れた瞼を無理矢理開きながら私の顔を見詰めた。
「うん……」
「やっぱり、あなたは私じゃないね。私には……優しいパパとママと、友達だってたくさんいたの」
「……そうなんだ……」
「まるで違う人生なのに、それでもレイにめぐり会うんだもん。私の執念って、本当にすごいや」
"私"は椅子から立ち上がり、背伸びする。
「…………やっぱり私、魔物になれば良かった」
——その横顔は確かにそう呟いた。
「……そろそろ解毒が終わるね。また会えたら会おう。私」
「待って、今の……どういう意味?」
「そうだ。忠告しておいてあげるね。……人前で魔物の治療はしない方が良いよ」
「……え?」
「はーあ。あんまりレイと仲良くしないでほしいような……でも、あなたも私だからレイと一緒に居てほしいような……矛盾してるなあ。嫌になっちゃう。……じゃあね、私」
「あ……ちょっと、待って……!」
まだ訊きたい。話したい。
そんな私の気持ちを知らないフリをするように、"私"はなんの躊躇いもなく、私の前から姿をふっと消した。
◇◇◇
「……クレア!」
目が覚めた私を覗き込んでいたのは、眉を寄せたレイ。
「……レイ……」
「良かった……。体は大丈夫? どこも苦しくない……?」
「……ううん……」
畳の匂い。見慣れない家具。どうやらここはレイの部屋のようだ。私はベッドではない——床に直敷きされたマットレスのようなものの上に寝かされていた。
「あ、起きたか。おはようクレア。よく生きてたな。さすがに結構焦ったぞ」
「クレア様! ご無事ですか……! 目が覚めて良かった……!」
「クロ、ヴィクトルさん……」
ヴィクトルさんは私の隣に膝を折って座り、マグカップに入った水を差し出してくれた。口に含んだ水は冷たく、心地よく私の喉を通っていく。
「本当に良かった……」
レイの両手が私に向かって伸びたが、一瞬の硬直の後に引っ込められる。
「……ごめん。クレア。俺がちゃんと見てなかったから……。本当に良かった……」
「レイの奴、クレアが起きなかったら俺も死ぬってずっと騒いでたんだぜ」
「そう……なんだ……。ごめんね、レイ」
「俺のせいだから、クレアは謝らないで……。本当にごめんね……」
レイの瞳は潤んでいた。私——否、"私"のことをきっと深く心配したのだろう。
ざわざわと私の背筋は粟立ち、それはしばらく治まってくれなかった。




