21話 魔王に料理を教わる
街で材料を買い揃えた私とレイは揃ってキッチンに立つ。今日の夕飯を二人で作ることになったのだ。
私は髪を結び、エプロンを身に纏い、そして拳を握る。
「よーし! やるぞ!」
「エプロン姿のクレアも可愛い! 髪結んだのも似合ってるよ! ずっと見ていられるね!」
レイのおだてを真に受けた私は元気よく鼻を鳴らして更に気合いを入れた。
私はこれから、魔王に料理を教わるのだ。
「じゃあまず、野菜を切ろうか。指を切らないように気を付けてね」
「うん!」
私はまな板の上に置かれていた包丁を手に取った。さて野菜よ、覚悟しなさいと包丁を向けた瞬間、レイが「あっ」と短く声を出す。
「レイ?」
「……クレア。えっと……包丁を握る凛々しいクレアも俺は好きだけど、んー……」
もごもごとレイは口ごもる。どうしたと言うのだろう。
「どうしたの……? 何か変……?」
「えっと……包丁を縦に持つと危ないから、刃を寝かせるように持ってみようか。あと野菜を押さえる手も指をまっすぐに伸ばすと危ないから……」
レイは「包丁はこうやって持って、野菜はこうやって押さえると危なくないよ」と手本を見せてくれた。
なるほど。ふむふむ。
ではいざ、もう一度——。
「……包丁の持ち方が物騒だな」
吐息混じりの声がキッチンの扉から聞こえ、私は視線を上げた。
「あっ。クロ! ヴィクトルさん!」
「よっ。……クレア、俺も料理は苦手だけどさ。包丁は逆手で持たないことくらいは知ってるぜ」
「そういう持ち方をする料理人もいるかもしれないでしょ。余計な言い方はしないでよ」
「レイ。甘やかしすぎるとクレアが病気になっちまうぞ」
クロは椅子に座り、背もたれに両腕を置いて私を見詰める。ヴィクトルさんはクロの隣に立ち、彼の視線もまた私に向いた。
「クレア様、料理は得意でしたよね?」
ヴィクトルさんが首を捻る。彼もまた、生まれ変わる前の私を知っていた人物——否、魔物だ。やっぱりそのことは知っているらしい。
包丁を持つ私の手が一瞬だけ痙攣したかのように跳ねた。
「……ヴィル、そりゃ余計な発言だぜ」
「…………あっ! 失言でした。申し訳ありません、クレア様……!」
ヴィクトルさんは深々と頭を下げる。
「ヴィクトルさん……! そんな、顔を上げてください!」
「ねえ、お前たち。クレアの邪魔するなら帰ってよ」
「邪魔なんかしねえって。お詫びにヴィルも手伝うからさ」
へらへらと笑いつつも、クロは「な、ヴィル」とヴィクトルさんに声を掛けた。
ヴィクトルさんはゆっくりと体を起こし、眉を八の字にさせて私の顔を見下ろす。
「クレア様。本当に申し訳ありません。腹を切って詫びます……」
「そ、そこまでしなくても……。気にしてませんから……」
今度は私の方から頭を下げると、クロの笑い声が聞こえた。
「ところでさ、クレアは何作ろうとしてたんだよ?」
「ん? シチューだよ!」
「へえ。上手く出来たら味見させてくれ」
「クロ。お前も手伝うんだよ。はい、皮剥いて」
「は? ええー……。なんで俺ぇ?」
なんて不満気に声を出しつつも、クロはしっかりと手洗いをし、私の隣に立って芋と包丁を握った。
「頑張ろうなー、クレア」
「うん! ……って、クロも料理が苦手ってさっき自分で言ってたよね?」
「すっげー苦手。なんか食いたくなった時はヴィルに作ってもらってんの」
「へえー……ヴィクトルさんは得意なんだ……」
私とクロは手を震わせながら、それぞれが持つ野菜へ向き合う。気付けばヴィクトルさんもじっとクロの手を見詰めていた。
玉ねぎに刃を入れ、ゆっくりと下ろす。とん、と刃先がまな板へ当たった音が聞こえた。
「クレア、クロよりずっと上手だよ。すごいね、クレアは天才だね!」
「レイ、お前……それを言うために俺にやらせてるのか……」
「何? 喋ってないでさっさと手を動かしてよ」
「お前なっ……あっ」
短いクロの悲鳴。
「クロ! 大丈夫!?」
「やっちまった。芋には……良かった、血付いてねえや」
「指を見せて。治すよ」
芋の皮を剥こうと包丁を滑らせていたところ親指の腹を切ってしまったようで、クロの指から血がたらりと流れている。
だけどそのくらいの傷であれば私はすぐに治せる。
私はクロの指に触れようとしたけれど、クロは足を下げて私の手を避けた。
「よせ、クレア。人間が魔物の傷を治すなんて……御法度だろ。バラデアの法則にあるはずだ」
「え? そうだけど……でも……」
「気にすんな。これくらいの傷だったら十分もあれば傷跡も残らず塞がるからさ。というわけでヴィル、あとは頼む」
クロは再び椅子に腰掛け、ヴィクトルさんに視線を投げた。ヴィクトルさんは腕まくりをし、私の隣に立つ。
「レイヴァン様、クレア様。クロの代わりにお手伝いします。なんでもお申し付けを」
「ヴィクトルは駄目。座って見てるか帰って」
「レイヴァン様、どうして……!」
ヴィクトルさんの悲壮感に満ちた声を初めて聞く。
「お前は料理が上手いから。……じゃ、クレア。残りは俺と二人で頑張ろうね」
「えっ……あ、うん……?」
こうして私はレイに教わりながら料理作りに奮闘した。
——それから二時間後。
私たち四人はテーブルに着き、目の前に置いてある皿を見詰めていた。
「つかぬ事を聞くけどさ、クレア」
「…………はい……」
「俺たちの目の前に置かれているのは?」
「…………シチュー……」
「真っ黒で泡立ってるこれが? 毒物じゃないよな?」
「…………」
クロの追及に私は口を閉じることしか出来なかった。
確かに途中までは白くて美味しそうなシチューだったはずだった。なのに気付いたらシチューは焦げ臭さを纏いだし、あっという間に真っ黒くなり、火を止めてもなお泡立ち続けている。
「おい、レイ。お前が見張っておきながら、なんだこのザマは」
「一生懸命に頑張るクレアが可愛くてつい見惚れてたんだよ。文句ある?」
「あるに決まってんだろ! 食材が泣いてるぞ!」
「クレアが作ったものが食べられないって言うの?」
「そう言うならお前がまず食え!」
「言われなくても」
レイはスプーンを手に取る。
「レ……レイ……無理しなくても……!」
「無理なんかしてないよ。美味しそうだね。いただきます、クレア」
「お前、まじで言ってんの?」
スプーンに掬われたシチューは一本の糸を引きながらレイの口元へと運ばれる。
——シチューって糸なんか引いたっけ?
レイは躊躇うことなく口の中にスプーンを入れ、咀嚼を始めた。
「……レイ……」
私は汗ばむ両手を握り合わせつつレイの横顔を見詰める。
するとレイの顔からボンッ、と音を立てて湯気が立ち昇り、すぐに消えた。
「すごく美味しいよ! クレア、頑張ったね!」
「いや……いやいやいや! 待って、レイ! 今の何!?」
「ん? 今のって?」
「なんか顔から湯気が出たよ!?」
「え、そうなの? ごめんね、気付かなかった」
「そんなわけないよね!? 二人も見たよね!?」
私はクロとヴィクトルさんの顔を交互に見る。
「……良いこと教えてやる、クレア。レイは毒物を摂取すると、一瞬で浄化出来るんだ」
「それが今の現象ってこと!?」
「ちょっと。クロ。それじゃまるでクレアのシチューが毒みたいじゃん。変なこと言わないでよ。クロも食べて。美味しいよ」
「…………信じるぜ?」
クロの喉がごくりと動いた。彼は手を合わせ、ほんの微かな声で「いただきます」と呟く。手を震わせつつもスプーンを口に運んだが、咀嚼することなく飲み込んだ音が聞こえた。
「……ヴィル」
「……なんだ」
「コップ一杯にお前の血を入れといてくれ」
クロはそれだけ言うと席を立ち、キッチンから出て行った。彼が何をしに何処へ行ったのかは分からない。聞いてしまうと私の心が傷付きそうな気がして、聞けなかった。
「……いただきます」
「あっ、クレア……」
レイが何かを言う前に、私も自ら作ったシチューを口の中へと流し込む。
——それからすぐに、意識がなくなった。
◇◇◇
またここだ。
暗い闇の中。
「……料理もまともに作れないの?」
私の目の前で肩を竦めていたのは、まぎれもなく私自身だった。




