15話 来訪者
魔王——レイヴァン、もとい呼び方はレイ。魔王と言ってももう彼は魔王ではない元魔王らしいのだけれども、実際のところはよく分からない。
そんな彼の家に連れて来られてから、一ヶ月が経った。
一ヶ月前に見た夢の話は誰にも出来ていない。というより、もう一人の私が出てくる夢というのはあれ以来すっかり見なくなっていたので、気のせいだと思い込むことにしていた。
「クレア。俺はちょっと買い物に行ってくるね」
そうして一ヶ月も経てば、この魔王と共に暮らす生活に慣れ始めていた。自分自身の適応能力が恐ろしい。
「私も行きたい。何を買うの?」
「夕ご飯の材料。メニューは全然決めてないから、クレアも買い物に付き合ってくれるなら、クレアに何食べたいか決めてもらおうかな」
この一ヶ月で私は何をしていたかと言うと、家の中の掃除を毎日していただけだ。あとは街で買った本を読んだり、レイやクロやヴィクトルさんと談笑したり。
たったそれだけ。
なんなら、家の掃除も最初はさせてもらえなかったほど。
——このままだと、私は人として駄目になる。
これが最近の私の悩み。あまりにも贅沢だともちろん分かっている。でもかなり真剣に悩んでいる。
街を歩く時だってレイはいつも買ったものを持ってくれる。私が持とうとすれば首を横に振りながらさっさと歩き出してしまうのだ。
それはそんなことを考えている今ですら、現在進行形で彼は私を悩ませる。
「レイ、私が持つよ」
「駄目。クレアの綺麗な手が傷付いちゃう」
「綺麗じゃないからそんなに気を遣わなくても……。あ、そうだ。じゃあ袋の持ち手、半分こしよ。ね、それなら良いでしょう?」
私はレイの手に握られていた袋の取っ手の片方を引っ張る。ニーナに誕生日プレゼントとしてもらったシルバーのブレスレットが、夕日を反射させキラリと輝く。
レイは目を伏せて「うーん……」と唸った後、苦笑を張り付けながらもやっと片側だけ取っ手を譲ってくれた。
「軽くなった?」
「うん、なった。ありがとう、クレア」
「えへへ。どういたしまして」
一ヶ月も経てば、私の気持ちだってそれは変わってくるものだ。恐怖心や不信感なんてものは、日に日に滲んで薄れ、今ではほとんど無色透明へと色を変えていた。
それほどまでに彼はまるで私を安心させるように、毎日尽くし続けてくれていたのだ。
◇◇◇
家に着き、私は玄関の違和感に気付く。
「……あれ? レイ、これ……」
扉の足元に鈴のようなものが置かれていた。
いつからこんなものがあったっけ。
「ああ、呼び鈴だよ。クロ達は勝手に玄関を突き破って入ってくるけど、本来はこの家の扉って勝手に開けられないようになってるから」
「気付かなかった。いつから置いていたの?」
「さっき出掛ける時に置いといたんだ。……お客さん用に、ね」
——お客さん? レイに?
私が首を傾げると、レイは「まあまあ」と私を家の中に入るように促した。
「レイにお客さんが来るの?」
「すぐに分かると思うよ」
「……すぐに?」
レイは買い物袋からパンや野菜を取り出す。ガサガサとした音に私の疑問も掻き消されていってしまった。
「ご飯出来たら呼ぶから、部屋で本でも読んでて」
「私も作るってば。いつになったらキッチンの立ち入りが解禁になるの?」
「ふふ。いつだろうね。それに今日は……特に作る量が多いから」
レイは目を細め、野菜を手に取った。
今日のレイはなんだかおかしい。熱でもある? でも魔物って熱なんか出るのかな。急に倒れられても困るから側に居た方が良いかも——なんてことを思いつつ、私はレイを見詰める。
「クレア。部屋に行かなくて大丈夫?」
「あっ……うん。見てても良い?」
「そんなに上手いものではないけどね」
「ううん。すごく手慣れてる。私、料理って得意じゃないから感心しちゃうなあ」
「え……」
——チリン。
控えめな音が遠くから聞こえた。
「……ん?」
——チリン、チリン。
今度はハッキリ聞こえる。鈴の音だ。
「これって、呼び鈴の音……?」
「クレア。ごめん、出てもらっても良い?」
「えっ。私? 良いの?」
「うん。手間掛けさせちゃってごめんね」
「……ううん! 見てくるね!」
初めてレイに頼み事をされた。頼ってもらえるってこんなに嬉しかったっけか。
私の足取りは軽く、玄関へと向かう。その間にも鈴は何回も鳴らされていた。
来訪者はクロとヴィクトルさんではない。彼らは——主にクロがだけど——勝手に扉を開けて入ってくる。もっともこの家にはクロとヴィクトルさんの部屋もあるので、彼らはここを別荘のように扱っているのだとか。
「お待たせしました」
言いながら私は玄関の扉を開いた。
向こう側に立つのは——。
「……クレア……!」
重なる男女の声。
腰ほどまで伸びた桃色の髪の女の子に、栗色の髪を後頭部で一つに束ねた男の子。
私の口がぽっかりと開いたまま、閉じれなくなる。
「……ニーナ……? バルド……?」
何秒経っただろう。やっとの思いで絞り出せたのは、大好きで大切な親友達の名前だけだった。
「……っ、クレア!」
ニーナに飛び付かれ、私の体はよろめく。
「……ニーナ……バルド……ほ、本物……だよね?」
「……僕達は本物だよ。クレアこそ、本物なんだよね……?」
バルドは目を潤ませる。
「どっちも本物だよ」
背後から聞こえた声に私は振り向く。レイはエプロンで手を拭きながら、私達に向かって微笑んだ。
ニーナとバルドは目を丸くさせ「魔王!」と声を重ねる。
「もう魔王じゃないって。……いらっしゃい、ピンクちゃん、魔法使い君。とりあえず入りなよ」
「は、入りなって……!」
ニーナが私の前に立った瞬間、ニーナのお腹の虫が豪快に鳴いた。やや間が開いた後、ニーナは顔を真っ赤にさせてお腹を押さえつける。
「魔物が作ったご飯で良ければ用意してあるよ。……良いからさっさと入るか帰ってくれる? クレアまでお腹空いちゃうじゃん」
レイは冷たく言うが、そもそもニーナとバルドはレイの存在に慣れていない。慣れているわけがない。
なので私が二人を安心させなければ。
「……わ、私も……お腹空いちゃったなあ……!」
「さっき買ったトマト、新鮮だったからチーズと合わせてみたよ。おいで、クレア。ご飯にしよう」
率先して家の中に入った私の姿を見てか、ニーナとバルドは顔を合わせて頷き、二人同時に家の中へと足を踏み入れた。




