14話 吸血鬼
あれよこれよとレイ達は次々に食料やら日用品やらを買い集めていた。さて私はと言うと、手荷物一つ持たせてもらえることもなくただレイの隣を歩き続けるばかりだった。
レイの家に戻り、最初に聞こえたのはクロの吐息。
「重かったー。疲れたー……」
「お前、軽いものしか持ってないだろ」
「それそっくりそのままレイに言ってやれよ」
ヴィクトルさんはクロの服と日用品と食料品を、クロはヴィクトルさんが持ちきれなかった食料品を、そしてレイは私の服を持っていた。
クロはテーブルに袋を置いて両手をぷらぷらと振る。
「じゃあクロ、クレアのご飯よろしくね」
「なんでだよ! お前が作れ!」
「私のご飯!? い、いやいやいや……! それは自分で作るし、皆の分も……って、皆ってご飯って食べるの?」
もっとも、数時間前までクッキーを全員で食べていたくらいだ。魔物も人間と同じものは食べられるみたいだけれども。
「んー。基本的にはレイは何も食わないでも生きていける」
クロはレイの頬を指先で摘む。
「暇潰しがてら何か食べたりする時はあるんだけどね。嗜好品、みたいな感じで思ってもらえれば」
レイはそのクロの手を軽く叩き落とし、私に向かって微笑んだ。
「人間で言うと水みたいな……いや、水は人間にとって大事なんだよね。なんて言えば伝わるかな。えっと、とりあえず俺達の体は人間の食べ物は栄養としては吸収しないんだよ」
「へえー……」
「美味しいとか美味しくないとか、そういう味覚は存在するんだけどね。というわけでクロ、早くして。クレアがお腹空いちゃうでしょ」
「だからなんで俺なんだよ!」
——そういえば、クロは「レイは何も食わないでも生きていける」と言ったような。
「クロとヴィクトルさんは何か食べないと駄目なの?」
私が首を捻った後、クロは首を横に振りながらヴィクトルさんの隣に寄る。
「んーん。俺達も人間みたいなのは食わなくても大丈夫。同じく嗜好品だな。俺達は血液が食事みたいなもんだから」
「…………血液?」
「え? ああ、そっか。言ってなかったか」
クロは口角を上げ、鋭く尖った犬歯を爪でコツコツと叩いた。
「俺とヴィルは吸血鬼なんだよ」
「吸血鬼……って、ヴァンパイアのことだよね?」
「そう。レイの討伐に来る途中、コウモリみたいな奴に襲われなかったか?」
「いっぱい襲われた……」
「あれの進化バージョンが俺達ってわけ。俺とヴィルは所謂、最上位ランクの魔物なんだ」
吸血鬼の存在を知らない人間はいない。
吸血鬼というのは人間の生き血を啜り絶命させるという恐ろしい性質を持ち、ゆえに危険度が高い魔物として広く認知されているからだ。
つまりクロとヴィクトルさんも——私は咄嗟に首筋を手で押さえた。
「はは。安心しろよ。俺とヴィルは人間の血は飲まない。そういう契約なんだ」
「契約?」
「そう。俺達は基本的にお互いの血しか飲めない。身の危険がある時以外は一時的に契約を破棄してー、とかはあるけど……まあ、クレアが気にすることじゃない」
クロはヴィクトルさんの肩に肘を置き、「それに、結局こいつの血が一番美味いしね」と艶めいた声で言う。
「クロの言う通り、俺達は互いの血で賄っています。ですのでクレア様、貴方に危害は一切及ぼしませんのでどうかご安心を」
「魔物にも色々あるんだ……」
「俺達だけが特殊。……だから気を付けろよクレア。他の魔物連中は人間相手となれば見境なく襲ってくる。外に出る時は必ずレイか、俺達のどちらかと行動しろよ」
クロは続ける。
「——魔王の匂いがこびりついた人間なんて、魔物からしたらとんだご馳走だからな」
ヴィクトルさんの肩に置いていた肘を下ろし、クロの右手はヴィクトルさんの左頬を滑った。
なまめかしさすら感じる所作だが、私の背筋は粟立つ。
「俺の匂いがこびりついた……って、え? 俺ってなんか臭い?」
場違いなほどに腑抜けた声。力の抜けた私の体は今度はガクンッと前のめりに滑る。
レイは肘に顔を近付け、くんくんと自分の匂いを確かめるように鼻を動かしていた。
「お風呂はめんどくさくても毎日ちゃんと入ってるんだけど……」
んー、と唸りながらレイは服の裾を捲り上げる。細身なように思えていたレイの腹部がしっかりと割れているのが見え——見えて良かったの? 駄目じゃない?
私は短い悲鳴を上げつつ顔を両手で覆った。
「おい変態。軽率に脱ぐな」
「あっ。ごめん、つい……。臭いかなって思って……。ねえクロ、ちょっと俺の体を嗅いでよ」
「嫌に決まってんだろ!」
「じゃあヴィクトル」
「俺のような者が貴方様の匂いを嗅がせていただくなど恐れ多い……!」
「えー、困る。誰か嗅いでくれないと分からないじゃん」
レイは「ちょっとだけお願い」などとクロ達に迫る。
クロは怒鳴り声を上げつつレイの首根っこを掴み上げ、ヴィクトルさんはそれを止めていて。
ここに来るまでの魔物といえば、私達を見かけるたびに殺意を剥き出しにして襲いかかってきていたはずだった。
それなのにこの三人は——そもそも人という単位を使っていること自体も相応しくないのかもしれないけど、私や街の人達にも危害をまるで及ぼそうとしない。
なんて不思議な魔物達なんだろう。
それが愉快で、私の口から静かな笑い声がこぼれる。
「クレア?」
「ふふ……ごめん、なんだかおかしくて……」
笑った顔を隠そうと俯いていた視界にレイの足先が入り込む。
変なの。魔物なのに、体臭なんて気にするんだ。
「全然臭くないよ、レイ。大丈夫」
まだだらしなく歪んだ口元は戻しきれていなかったけれども私は顔を上げた。レイと目が合う。
レイは目を丸くさせ、唇を一文字に結んだ。彼の顔はどんどん赤くなり、ついには耳朶まで染め上げた。
「…………勘弁してよクレア。可愛すぎるって……」
呟き、レイは口元を軽く握った拳で隠して私から目を背けた。
「……へ?」
その顔の熱が移ったのかなんなのか。私の顔もだんだん熱くなり始め、ついには体中が汗ばみ始める。
「…………やっぱ帰るか、ヴィル」
そのうちに、クロの呆れた声が静かだった部屋に反響した。
◇◇◇
暗く、静かな空間。
ぼんやりと白い光に包まれた人物が目の前に立つ。
白に近い淡い紫髪に、アメジストのような紫色の瞳。あの人は——私だ。
「ずるい」
目の前で私が呟く。
——私? いや違う。私は、ここに居る。
「私が、レイとクロとヴィルとずっと一緒に居るはずだったのに」
ならこの目の前で喋っている彼女は、誰?
「どうして別の存在になっちゃったの? 私だったらレイのことを忘れなかったのに」
彼女の手が私の首に触れた。私の喉から声は出ない。
その手を振り払った瞬間——私の目が覚めた。
同じベッド。同じ壁紙。同じ床。
正真正銘ここは、私の部屋だった。
——夢?
私は自分の首に触れる。やけに皮膚がヒリつき、痛い。
扉をノックする音が聞こえ、私はビクリと肩を震わせて息を吐き出した。呼吸を忘れていた。
「クレア、まだ寝てんの? そろそろ朝飯出来るぜー」
聞こえたのはクロの声。
私は額に滲んだ汗を手で拭い取り、ドアノブに手を掛けた。




